『シゲルとミケ-明け方の月-』




 ぴっちゃん、と濡れた音がする。

 そして、ちろちろちろと連続音とともに、膝の重みを感じてうっそり目を開けた。
 夜着を剥ぐと、そこにはちんまりとした頭が乗っていた。
「・・・みけ」
 猫を、飼っている。
 いや、一緒に暮している。
 ミケ、と言う名の三毛猫の雄だ。
 が、しかし。
 その猫は、月が出るとベツモノになる。
 そして。
 ソイツは、今、自分の下腹を熱心に舐め回していた。
「おい、なにをやってる」
 問うても仕方がないことだが、問わずにはいられない。
 下肢に顔を埋めた少年は、薄い舌をさしだして、ちろちろちろと自分の雄芯をなぶっているのだから。
 その様は、雨の日に庇から流れ落ちる水を猫が熱心に舐めとっている姿に似ていた。
「あ、しげるさん、おはよ」
 得意げな顔で爽やかな朝の挨拶をされて、どうしてくれようとため息をついた。
 外はうっすら明るくなってきている。
 月は、つい今し方昇ったのだろう。
 昨夜は大人しく懐に潜り込んで寝ていたはずなのに、これだ。
 猫の時もそれなりに悪さをするが、ベツモノになったときは、ここのところ心臓に悪いことを次々とやらかしてくれる。
 ただ、全くの悪気がないところがまた、猫ゆえなのか。
 いや、そんなことを呑気に独白している場合ではない。
 かろうじてこらえている自分の分身を内心褒め称えながら、身体を起こしてついでに小僧の口から引き抜く。
 あああと、情けない声を上げながら追いすがろうとする額を片手で掴んで遠ざけた。
「このばか。朝っぱらから俺の身体で遊ぶな」
 ついでにきゅっと上下の唇をまとめてつまむ。
「むーっ」
 小童がじたばたと抵抗しているうちに、己をこっそり宥めにかかった。

 シゲル。
 想像するのだ。
 今のはミケの口の所業ではない。
 ・・・ばばあの口だった。
 
 もくろみが功を奏してするすると縮まるさまに安堵のため息をついていると、むくれて頬を膨らませるみけがとんでもない事を口走った。
「だって、ばさまがなめたら、ものすごくよろこんでたから、おらもしようとおもったのに」
「・・・は?」
 今のは、空耳だろうか。
「しんじろー、あっあっあーっていって、きもちよさそうだった」
 今、とんでもない事を聞いた気がする。
 あぐらをかいて、しばらく考えた。
「みけ・・・。誰が誰をどうしたんだ?」
「ん。だから、ばさまがしんじろーのそこなめたら、あっあっあーって」
「いや、もういい、先は言わんでいい!!」
 恐ろしい話を歌うように語り始めたその口をもう一度手でふさいだ。
「む」
「・・・頼むから。それ以上は聞きたくねえ・・・」
 言い聞かせると、こくこくと肯いたので手の平を離してやる。
「しんじろうって、あの、慎二郎か・・・」
 流れ者の慎二郎。
 シゲルより多少年上の、美丈夫だ。
 確かどこかの良家の次男坊で幼い頃から浮き名を流し、それがもとで帝都を追われたとかいう噂のある男で、どういうわけか隣村に流れ着き、地主の離れでのんべんだらりと暮している。
 そいつがどうしてこの山深い集落まで顔を出してるのか。
 思い当たるのは、この辺りの女は大概食い尽くしたと言うことくらいか。
「いやだからといって・・・」
 なぜそこで伯母へいきつく。
 思わず二人の情事を想像しかけて、頭を振った。
「何故、それを知ってる。」
「んー?だって、外だったから。シマねえがおもしろいよって」
 シマねえとは、最近よく見かける縞猫のメスのことだろうか。
 どうやら猫たちが覗きに来るほどの見ものだったらしい。
 あいつらは呑気に覗かれていることも知らずに・・・いや、猫の目など気にしないのが普通だ。
「外でやるな、ばばあめ・・・」
 いや、それ以前に二回りどころか三十近く年下の男を銜え込む伯母の胆力に、妖怪じみたものを感じ、戦慄が走る。
「あのばばあ、俺よりも長生きするな…」
 そこで、ミケの口から更にとんでもない物が飛び出てきた。
「それに、よさくとごへいも・・・」
「は?」
「はっは、はっは、と、おうん、おうんって、言ってた」
 与作と五平。
「なんだ、そいつらもばばあに食われたか」
「ちがう」
「ならなんだ」
「よさくとごへいが、交尾してた」
「こうび・・・」
 どちらも男で、どちらも女がよりつかないほどの強面と熊のような頑強な身体をしていた。
「そこの森の先の小屋が、がたがたみしみし揺れてっから、なにごとだーってみんなで見に行ったら、よさくがごへいのし・・・」
「だから、みなまで言うなって!!」 
 あわてて、もう一度みけの口をふさいだ。
「むー」
「お前の口は、鉄砲か・・・」
 いつか、俺の心臓を止めるに違いない。

「いいか、みけ」
「はい」
 まずはみけを正座させ、その正面に、自分も背中をまっすぐに居住まいを正した。
 昔は正座なんて数えるほどしかしたことがない。
 だがここのところ、月が出るたびに自分は正座をしているような気がする。
「猫のお前が何を見ても、それは仕方ねえことだ」
 目に入ってくるのだから、どうしようもないことだと、一応思っている。
「だがな。それをいちいち俺に言うな。人間のやることの真似をするな。今後一切、俺を舐めるのもなしだ」
「えーっ」
「えーっ、じゃない。ばかめ」
 思わずげんこつが出て、ぽかりと振り下ろしてしまう。
「いたい・・・」
 涙交じりの声に、ずきっと胸が痛む。
「・・・とにかく、いうことをきけ。わかったな」
「・・・しげるさん、おこった・・・」
「ああ?」
「出て行けっていう?」
 みけは、猫だ。
 人間は、気に入らないことがあったら追い出すことを、学んでいる。
「このばか・・・」
 しょんぼりと肩を落とし、ぽたぽたと涙を膝に落とし始めたのを見て、ため息をついた。
 こいつには、かなわない。
「ほらよ」
 足を崩して胡坐をかくと、しかたなく両手を広げた。
「来い」
 すると、すぐさま細い体が勢いよく飛び込んできた。
「シゲルさん、シゲルさん」
 全身でかじりついてくる。
「なんだ」
 ぽんぽん、と背中をたたいてやると、肩のあたりがじんわり濡れてきた。
「おら、シゲルさんに喜んでほしかった…」
「うん。わかってる」
「だけど、だめなの・・・?」
「ああ。いまはな」
「いまは…?」
「そうだ、いまは、まだ、だめだ」
「いまは、まだ、だめ・・・」
 なにも解らず、ただ呪文のようにシゲルの言葉を繰り返す小さな唇を、優しく吸ってやる。

「いまは、まだ、だ」

 その意味を、知るまでは。




 -完-


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