肉食獣的な彼女-1-


 今日はお肉の日。
 嬉しい楽しいお肉の日!!

 カタカタと軽快な音を立ててキーを叩いていると、隣から吹き出し笑いが聞こえてきた。
「・・・お前、タダ漏れ」
「え?」
 手を止めて声の主の方に顔を向けると、口元と腹を押さえ、声を殺して笑っている姿が目に入った。
「『お肉、お肉、楽しいお肉』って歌ってるだろ?」
 茶色の瞳の際にはうっすら涙すら浮かんでいる。
「あ・・・。ばればれ?」
 唇を指先で押さえると、無言でこくこくと肯かれた。
「だって、ケンケン亭のお肉なんだもん、昨日の夜はあんまり嬉しくてちょっと眠れなかったわよ」
「・・・遠足前の子供か、お前」
「んー。それは否定しない」
 なんせ、全国的に名を轟かせて常に予約でいっぱいの有名焼き肉店をあっさりと目の前の男がキープしたというのだから。
「まあ、偶然キャンセルが重なったって話が来たからな」
 運が良かったな、と笑う男の手を両手で取った。
「運の良い男ってスキ」
 故意に目をきらきらと輝かせてみせると、うっ、と彼はたじろぐ。
「結婚して、片桐さん」
「それは断る」

 今を遡ること数ヶ月前。
 隣の席に座している片桐啓介の婚約が破談になった。
 そんな彼を慰めるべく男どもが大がかりな飲み会を行った。
 そもそも、飲み事に目がない会社関係者達はものの数分でお手軽に酔っ払い、箱の大きな安酒屋で大盛り上がりに盛り上がった。
 店内に居合わせた人々の耳に、片桐の破談が漏れ聞こえるのは当然至極。
 同じように酔っ払った見知らぬサラリーマン達が入れ替わり立ち替わり酒を片手に片桐への慰労に訪れ、彼の杯に色々な酒をなみなみと注いだ。
 その結果、酔いつぶれた彼は次なる恋を手に入れることになる。
 そして、その時は予想だにしなかったことがもう一つ。
 見知らぬ酔っぱらい達から掴まされたのは酒だけではなかった。
 酒と醤油に汚れた宝くじが数枚。
 後日、何の気なしにそのよれよれの宝くじを照合して周囲は驚いた。
 片桐の懐に、かなりまとまった金額の賞金が転がり込んだのだ。

「瀬川がらみの経費がこれで一切チャラって、ほんと、どんな星回りに生まれればそうなるのよ?」
 おかげで、片桐が長田家に借りた某料亭の貸し切り料金も早々に返すことが出来た。
「・・・正直、あまりの強運に、俺自身が怖いよ。いったい何の見返りがくるんだってね」
 物憂げに天を仰ぐ片桐の背中をばん、と叩いた。
「そもそも、瀬川関連が厄みたいなもんだったんだから、大丈夫なんじゃない?」
「まあ、そうあって欲しいな」
 そんなわけで、今夜は片桐主催で幸せのお裾分けの焼き肉パーティである。
 場所は、これまた、たまたま空きの知らせをもらった知人の店なのだが、以前から本間が狙っていたらしく、今朝から彼女はご機嫌だ。
「親族が精肉店という店ほどうまいのはないのよねえ。まさか、ケンケン亭とカツサンドのおがわ亭が親戚だなんて、さすがに知らなかったわ~」
 まだまだ若い本間は、良質の肉を欲している。
「メンバーは、お前と、岡本と、ユズと・・・」
 指折り数えている最中に、男女二人が連れ立って顔を出した。
「・・・珍しい組み合わせが来たな」
 営業の池山と、受付の橋口だった。



「よっ。今晩だよな、焼き肉」
 ひょこひょことスキップせんばかりに池山が近寄ってくる。
「ん。今日。池山さん大丈夫?」
「もっちろん。もう、久々の肉だからさ~。昨日、なんか眠れなかったよ~」
「池山、お前もか・・・」
 そもそも、誘った時に二つ返事で加わったメンバーだ。
 ある程度予想をしていたものの、その浮かれっぷりは凄まじい。
「ふうん。今日、お肉を食べに行くの?」
 ゆっくりと後ろからついてきた橋口は、いつもよりどこか気怠げな様子なのに気が付いた本間が椅子を勧める。
「なんだか疲れてるみたいだけど、どうしたの?そういや午前中はカウンターにいなかった・・・というか、月曜から会ってないよね?」
「ええ、だって今日の午前中まで休みを取っていたから」
 いつもの彼女にしてはいささか乱暴に腰を下ろし、手に持っていたビニールの手提げ袋を差し出した。
「お土産をどうぞ」
「え?でもこれって・・・」
 アルファベットを眺めると、綴りが英語でないことに気が付いて顔を上げた。
「フィンランドのチョコレート。まずはパッケージの色が綺麗で、次に名前がユニークだから飛びついたんだけど、味もヨーロッパのものにしては口に合うからたくさん買ってきたわ」
 袋の中に手を入れて見ると、ピンク色の包装のチョコレートが出てきた。
「あ・・・。ほんとだ。かわいい色」
 背後から覗き込んだ池山が呟く。
「・・・Geisha?ゲイシャチョコって言うのかこれ?」
 興味津々である。
「ちょっと待て、この短期間でフィンランドに行って帰ってきたのか、橋口さん。金曜日は定時までいたよな?」
 片桐は金曜日の定時近くに接客があり、その時の1階の受付は確かに橋口だった。
「そう。でも、金曜日の夜に飛んだわけじゃないわよ。日曜に成田を出て、今日の午前中に成田に着いたの」
「・・・は?それって、現地滞在は?」
「金に糸目をつけずに最短ルートで行ったけど、二泊三日ってところね」
「二泊三日って、弾丸トラベラーか・・・」
「本当は一泊でもいけたんだけどね・・・。まあ、まるっと身軽な二日観光できたから結果オーライということで、ゲイシャチョコ」
 どこかやけっぱちな物言いに、不穏な空気を感じた男二人は口をつぐんで成り行きを見守る。
「・・・二日間、独りで観光したんだ、弥生さん・・・。じゃあ、例の彼氏は・・・」
 橋口弥生。
 受付のクールビューティーと男達が噂する。
 知的な目元と、官能的な厚めの唇のアンバランスさがなんとも魅力で、テナントの男性だけでなく、来客の中には彼女の一目惚れをしてアタックを繰り返す者が後を絶たないが、それらを全てクールにはねのける、氷の女王だ。
 なぜならば、彼女には結婚の約束をした男性が存在し、彼に全てを捧げていたからに他ならない。
「玉砕ね。ものの数分で終わったわ」
 彼女の婚約者は研究職で、半年ほどの約束でヘルシンキの大学へ留学したはずだ。
 しかも、それはごくごく最近の話。
 ため息をつきながら椅子の背もたれに身を預け、気怠げに長くて締まった美しい足を組む。
 たったそれだけでも優雅な仕草に、課長席で気配を殺して座って見守っていた吉田課長がごくりと生唾を飲んだのが本間の耳に入った。
「あ?」
 うろんげな視線を送る本間に苦笑して、すっと優雅に椅子から降りた橋口はチョコレートバーの一つを手に、課長席に歩み寄る。
「よろしければお一つどうぞ。課長のお口に合うかわかりませんが」
 にっこりと微笑まれて、彼はその唇に釘付けだ。
「あ、ありがとう・・・」
 まるで魔法にかかったかのようにふらふらしている。。
「これってあれな。白の魔女にトルコ菓子貰って惑わされる次男?」
「ああ、ナルニアの・・・。いっそのことそれで制御できたらどんなに楽か、あのバ課長・・・」
 ひそひそと部下二人が頭を寄せる中、ぽつねんと立っていた池山が手を上げた。
「あの~。要するに、彼氏、フィンランドで食われちゃったの?」
 空気が、一瞬にして凍る。
 うっとりと橋口の顔を見入っていた吉田課長が「ひいっ」と小さく悲鳴を上げた。
 かたん、と、チョコレートバーを課長の机に置く音がする。
 ゆるりと振り返った橋口の瞳が、一瞬ハイビームで光った。
「うわ・・・。あり得ない、あの直球っぷり」
 できたての傷に思いっきり手を突っ込んだようなものだ。
 本間は卒倒できるものならそうしたいと本気で思った。
 ぎぎぎ・・・と、まるでからくり人形のようにぎこちなく橋口が池山に向かって足を進める。
 と、そこで、片桐がさっと立ち上がり、橋口の両肩を両手で掴んで、もう一度椅子に座らせた。
「ま、ちょっと休もうよ、弥生さん」
 あまりにもそれらが自然だったので、座った橋口自身がぼかんと口を開ける。
「・・・こういう時、お祖母様のご指導のたまものが出るわよねえ」
 実は、ああ見えて女の扱いを心得ている。
 ただ、普段はそれは潜在能力過ぎて作動しないだけと気が付いたのは、一緒に働いて随分経ってのことだったけれど。
「弥生さんも、行かないかな?ケンケン亭って焼き肉屋に知合いがいて、ドタキャンの穴埋めを頼まれたんだけど」
「ケンケン亭・・・」
 どこか焦点の定まらない橋口の腕に本間は優しく手をかける。
「ほら、あの、サムゲタンも美味しいところよ」
「ああ、あれ・・・」
 旅の疲れと時差惚けなのか、彼女にしてはぼんやりしていた。
 しかし、一分ほどで脳の中のシナプスが急に繋がったのか、瞳に生気が蘇った。
「行く。・・・ご一緒させて下さい」
 彼女の瞳にも、肉に対する執念めいた炎が見え隠れする。
「今はとにかくお肉が食べたいわ。良質なものならなおさら」
「あんたもか・・・」
 どうして、こうも肉に飢えている人間ばかりなんだろうと独りごちていると、更に背後から柔らかな声が落ちる。
「え?今、お肉って言った?」
 全員が視線を上げるとそこには、カトレアの花のような清らかさと豪奢な香りのする女性が書類を胸に抱いて立っていた。
「有希子・・・」
 今は、同僚の岡本竜也の妻、池山の幼なじみの岡本有希子が首を傾けてにっこりと笑った。
「しかも、ケンケン亭って、私の空耳?」





「今日はいったいみんなどうしたんだ・・・」
 肉、と言う言葉にまるで断食をしていた獣たちのように群がっていく。
 しかも、全員かなり切羽詰まった顔をしているのは何故だろう。
「見過ごせないだろ・・・」
 エクセル画面を開いて、出席者と席数の照合を始めた。
 二十人ほどの席が空いたという話だったから、銀座サーバートラブルで一緒に対処したメンバーを主に集めたのだが・・・。
「そこが、片桐さんの、片桐さんらしい所だよね・・・」
 意外とマメというか、気配りの人というか・・・。
 そんな彼の背中を気の毒そうに眺めながら、有希子に話しかけた。
「有希子さん、どうしたの?ここまでくるの久々じゃない」
 有希子と岡本・立石は同じ部署に所属していた。
 しかし、内部規定で夫婦が同じ所に所属していることを禁じているため、彼女は本間とも繋がりのない課に異動となり、仕事関係のやりとりが激減した。
 そもそもが茶道の稽古で毎週末会っているので、疎遠になる事はなかったが。
「吉田課長へうちの部長からの届け物があって。ちょうど今、お茶時だったし」
 確かに、今、橋口がチョコレートを持参して上がってきたのもお茶時だからである。
「あ。有希子さんも召し上がります?ヘルシンキで買ってきたの」
 我に返ったらしい橋口が、袋の中から一本チョコレートバーを取り出した。
「・・・ごめんなさい、弥生さん・・・」
 悲しそうに眉を寄せて、ゆっくりと首を横に振った。
「今、どうにも甘い物が駄目で・・・」
「あ・・・。そうでした」
 すごすごと差し出しかけた手を引っ込める。
 人にもよるが、妊娠すると女性は味覚と好物が変ると聞く。
 食べられないものと、食べ続けたいものの境界線がはっきりと現われるらしい。
 それまで人並みにスイーツ好きだった有希子は、妊娠するやいなやケーキやチョコレートと言った類が全く駄目になった。
 そして目下、彼女が執着する食べ物は、そのものずばり・・・。
「ああ、お肉が食べたいわ・・・」
 ほう、と、切なげに整った指先を頬にあててため息をついてみせるが、その優雅な様と口から出てくる願望がどうにもかみ合わない。
 本間から聞いた話では、もともとはさほど肉が好きと言うわけではなく、フレンチなどでは魚介類を指定することが多かったと聞く。
 しかし、今や、肉で始まり、肉で終わる生活で、その執着ぶりは鬼気迫る物があるらしい。
「ラプンツェルか・・・」
 詩織のお気に入りの絵本を思い出す。
 妊婦が、魔女の庭に生えているラプンツェルという植物がどうしても食べたくて、夫に頼んで盗みに入ってもらう。しかしもちろんそれが許されるはずもなく、結局はお腹の子供と引き替えにという約束でむさぼり食ってしまう話だ。
 岡本有希子にとってのラプンツェルは、肉全般と言うことか。
「竜也さん、私には今日はこの間の銀座事件の打ち上げとしか言わなかったわ。ケンケン亭だなんて聞いてない・・・」
 心なしか、瞳のあたりがじんわりとにじんでいるように見える。
 ちょっと、感情がコントロールできないのも、妊婦の特徴だ。
 母が詩織を妊娠した時も、片桐家はそれなりに大変だった。
 いつもは理性的な母も、何か別の生き物になってしまった。
 心の奥深くで眠っていたケモノのスイッチが作動してしまう。
 それが、妊婦というものだと骨身にしみていた。
 もうこうなってしまうと、そのケモノの気持ちが解らない男達はオロオロと女の周りで衛星のように回るしかない。

 慌てて、パソコンのメールソフトから岡本の携帯電話に片桐は一言送った。
『今、奥さんがこっち来てる。ケンケン、同行しても?』
 三分も経たないうちに、岡本が飛んできたのは言うまでもない。

 



「ち、ちょっと、まってくれよ、有希子」
 机に両手をついて、肩で息をしながら岡本は妻に話しかけた。
 どうやらエレベーターを待てなくて、階段を猛ダッシュで駆け下りてきたらしい。
 階段を踏み外さなかったのはもっけの幸いだ。
「今夜の飲み会はこの間のトラブル関連のメンバーだって言ったよな?」
「それは確かに昨夜承りました」
 しゃんと、せすじをのばし、両手を綺麗に膝に揃えて有希子は答える。
「でも、ケンケン亭って、あなたおっしゃらなかったわ。先にお店が決まっていたのに」
「何故、夫婦の会話なのに丁寧語・・・」
 ぼそりと片桐が呟く。
「そりゃお前、嵐の前の何とやらに決まって・・・」
 ひそりと声を潜める池山の顔におびえが走った。
「あいつを怒らせると怖いってのに・・・」
 その近くで、口を真一文字に結んだ本間と橋口が仲良くこくこくと小刻みに首を縦に振った。
「そんなに怖いんだ、保坂さん・・・」
 岡本の妻の旧姓は保坂。
 同僚の分際で彼女を名前で呼ぶわけにはいかないので、幼なじみの池山と女性陣以外は現在も旧姓を使う。
「だって、仕事の延長なのに、お前を連れて行くわけにはいかないだろう?」
「仕事の延長なんだ・・・。ケンケン亭なのに」
 こそこそと本間が突っ込む。
「そう。ケンケン亭なのに、仕事の延長ですって。それってどういうことなのかしら」
 耳ざとく聞きつけた有希子がきらりと瞳を光らせる。
 眼差しで、夫を焼き殺せそうである。
「あああ、ここでもハイビームが乱反射しているよ・・・」
 離席するチャンスを失った吉田課長が机に這いつくばり、固唾をのんで見守っていた。
「こんな大切な話をわざと隠すなんて、もう、貴方のことが信じられません、竜也さん」
 それこそ、設計部全体にブリザードが吹き荒れている状態である。
「さ、さむい・・・。なぜだろう。室内の温度が一気に下がったような気がするのは俺だけか?」
「いや、気のせいでないと思います・・・」
「うん・・・。岡本さんたら、物の見事に踏んでくれたわね、地雷」
 ギャラリー3人組がそれぞれ己の腕をさすりながら背筋をぞくりと振るわせる。
「お肉なのに・・・。しかも、ケンケン亭のお肉なのに、あんまりです・・・」
 今度はじわりと目元を赤く染められて、岡本はその美しさに一瞬惚けながらも、慌ててフォローしようと試みた。
「いや、だって、酒が出るところはたいてい喫煙者がいるだろう。今回の面々も喫煙率高いし。そんな中に妊婦のお前を連れて行けないと思ってだな・・・」
「・・・」
 黙って見つめ返されて、岡本が赤くなったり青くなったり白くなったりしている。
 このままでは天女が羽衣を担いで飛んで行きかねないと焦りに焦っているらしく、口をぱくぱくさせて、もはや酸欠状態だ。
「食べ物の恨みは怖えな」
「そういう池山さんこそ、けっこう食い意地がはってるって、立石さんから聞いてるよ」
 もっとも、この場合は妊婦だからこそなのだろうけれど。
「・・・なんつーか、おもしれーと思う俺は鬼畜か?」
「いや、実際面白い見物ではありますよ・・・」
 次第に、なんだなんだとパーティションの向こうから同じフロアの人たちが見物にやってくるようになった。
 いい加減手打ちにせねば、噂話がこのビル全体を駆け巡る。
 片桐は深々とため息をついた。
 泣く子と女房には勝てぬのが、男ってもんだろう。
「あの・・・。是非いらして下さい、保坂さんも」
 お見合い状態だった2人が反射的に片桐の方へ振り向いた。
「いや、でもさ・・・」
「実は、ダブルブッキングとかのために、上の階にもう一部屋予備があるんだ。そこを開けてもらうよ」
 この場は、そうでもしないと治まらないだろう。
「そこへ、女性陣と煙草を吸わないヤツ数名に入ってもらう。それなら良いだろう?」
「まあ・・・。そうしてくれるなら・・・・」
 しぶしぶと、岡本が肯く。
 すると、すっと有希子が椅子から立ち上がり、まっすぐ片桐に歩み寄った。
「片桐くん」
「はい」
 見上げると、光り輝く有希子の笑顔がそこにある。
 まるで、魔法からとけたおとぎ話の姫君のようにすがすがしくも美しい。
「ありがとう。私の我が儘を聞いてくれて」
「いいや、このくらいおやすいご用ですよ。そもそも知人の店だし」
 背後では、岡本が胸をなで下ろしていた。
 夫婦の危機は、去ったのである。
「我が儘って自覚しているんだ・・・・」
 池山のちゃちゃはもちろん黙殺される。
「でね、片桐くん」
「はい」
 おもむろに片桐の両手を彼女は強く掴んだ。
「そんなあなたが好き。結婚して」
 そんなあなた、が、どこにかかるかが激しく疑問である。
 片桐の人格を言っているのか、それともケンケン亭と繋がっていることに重きを置いているのか・・・。
 とにかく、今、彼女は常軌を逸している。
 お腹の子供に理性を吸い取られている感は否めない。
「・・・それはさすがに無理です」
 その背後で、岡本は半泣きであった。


 そんなわけで、焼き肉友の会は開かれた。

「初めまして、村木美和と申します」
 ぴしりと正座し深々と頭を下げて挨拶されて、初対面の女性陣は慌てて居住まいを正した。
「は・・・。これはご丁寧に・・・」
 ぺこりと本間も手を突いてお辞儀を返す。
 まるでお見合いのような空気である。
「まあまあ、楽にしようぜ?単なる飲み会だしさあ」
 初対面でもノリの変らない池山がのほほんといなした。
「それにしても銀座の救世主に今日会えるとはなあ」
 感慨深げにため息をつかれて、村木は慌てて両手を振る。
「そんな大げさな・・・」
「いや、結局、村木さんが泥を被って終わってしまったのが俺らとして無念というか申し訳ないというか・・・」
 TEN側の予想通り、吉川はお咎めなしに終わった。
 彼の父親の影響力は未だに健在と言うことが証明され、さすがに再発防止のために別部署へ異動を検討しているようだが、表向きはバージョンアップ時の操作ミスということにされてしまい、今も隠蔽工作は続いている。
 そればかりか、村木は内部告発者として冷遇され、数日の内に退職に追い込まれた。
「まあ、辞める気でいたから、それは別に・・・」
 とうもろこし茶を一口口に含んで、ふと視線を上げた。
「あの・・・。そういえば、今回の処理の人件費どうなったんですか?」
 たった数日間のトラブル処理だが、人海作戦で関連会社を含めてかなりの人材がかり出された。
「ああ、あれ。もちろんきっちり取ったよ。休日加算に徹夜に諸々含めてちょいと多めに。俺らに非がないのは立証できるからな。上の方も特別枠から出したんじゃねえの?」
 しかし、さすがに村木の進退までは口出しできなかった。
 こればかりはS証券内部で決めることだ。
「とりあえず、お互い良好な関係でいるための取り決めとか、良い機会だから提示させてもらったよ」
「そうですか・・・」
 ほう・・・と、安堵のため息をつく姿をじっと見つめた池山が納得の表情で肯いた。
「なるほどな」
「はい?」
「俺の部署にも欲しいな・・・。ウチに来ない?」
 テーブルごしに斜めから池山が村木の手を取り、にっこり笑った。
「えええ?」
 人々は、彼のこの微笑みを『貴公子の微笑み』と呼ぶ。
 口づけを施される姫君のような手の取られ方をして、村木は頬をバラ色に染めた。
 なんと言っても、TEN内で『イイオトコ№1』の地位を未だに揺るぎない物にさせている池山だ。
 まだまだ小娘の村木なんてイチコロである。
「和基、あんた・・・。相変わらずね」
 こんの根っからのタラシめ・・・。
 幼なじみの隣でテーブルに両肘を突いて、有希子はあきれ顔だ。
「あ~、ダメダメ。早い者勝ちですからもう駄目ですよ、池山さん」
 魔法にかかってぽやんとしている村木の横で、ぱんぱんぱんと手を叩き、柚木が甘い空気を打ち払う。
 それで、村木は、はっと目を見開いて手を引っ込めた。
「彼女、もう、ウチの子ですから」
 村木の再就職先は、もう既に柚木の会社ということでほぼ決定している。
 池山はちっと、舌打ちをして柚木を軽くにらんだ。
「ちぇ。せっかく久々に俺様の腕の見せ所だったってのに・・・」
「どういう、腕の見せ所ですか・・・」
 池山の豹変ぶりを村木の隣でとくと目にした橋口が苦笑する。
「村木さん、気をつけて~。今日はまずやんないけど、酔っ払うとキス魔だからね、池山さん」
「ああ、そういえば・・・」
 思わせぶりに唇に人差し指を当てる橋口を対角線上に見た片桐の眉間に皺が寄った。
「・・・まさかと思うけど、お前食っちまったのか、橋口さん・・・」
「え・・・いや・・・」
「未遂です」
 にいっと魅惑的な唇を上げられて、池山が胸を押さえる。
「とりあえず、チューだけ?あとはすぐに立石さんが引きはがして、強制送還されました」
「あ!アタシ、ほっぺたにチュー!!」
 本間がはいっと手を上げると、柚木もおそるおそる手を上げた。
「そういや、俺もカラオケで押し倒されて危うく唇の貞操を奪われそうに・・・。鼻を食われました」
「俺は思いっきり舌を突っ込まれたっけ、一度」
 片桐までやっていたのか・・・と、一同はどよめく。
 そこで、長年の付き合いの有希子に視線が集中した。
「私は完全なる未遂。でも、ほんっと、あと1センチってとこだったから、これももうカウントして良い域なのかしら?」
 それは酔っていたからではなかったけれど。
 わざわざ言うことではないので、さらりと流した。
「そういえば、そうだった・・・。よくぞ我に返ったよな、オレ。俺、あの時の自分をほめてやりたい・・・」
 池山は胸に手を当てたまま、天を仰ぎ見る。
「・・・ってことは」
「池山さんの唇の洗礼受けてないのって、今のところ、新人の村木さんだけ~?」
 もうこの際、ほっぺたに受けとけば?と冗談とも本気ともつかない本間の台詞にぶんぶんと首を振った。
「いやいやいや・・・。それはさすがに遠慮します・・・って、いったいどういう関係なんですか、皆さん・・・」
「んー。キス魔被害者の会?」
「そう言う飲み会じゃねえだろ」
「あ、そうだった、お肉、お肉」
 途端に、全員の目の色が変った。
「今日は、とにかく食べまくるわよ、お肉」
「・・・そうっすね」
 有希子の気迫に、男性陣最年少の柚木は完全に飲まれている。
「・・・上手くまとまったところで、料理運ばせて良いか」
 片桐が内線電話の受話器を取った。
「もちろん!!」


 確かこの部屋にいるメンバーの誰一人として、一滴もアルコールを注入していないはずなのだが。
 ・・・なのだが、この状況はいったい。

「うわ。美和ちゃんって、もしかしてそうとう男運悪い?」
「・・・そうですねえ。言われてみれば」
 速攻で肉を焼いて、むさぼるように食べ始めてはや30分。
 既に、全員、村木のことを「美和ちゃん」呼ばわりだ。
 そして、フルオープンな会話が繰り広げられていた。
 最初は銀座様の悪行三昧が話題になっていたはずなのに、いつの間にか村木の男性遍歴に変っている。
「・・・女ってすげえよな。きちっと肉を焼いて、すかさず喰いながら、マシンガンのように喋ることをやめねえんだから」
 心持ち背中を丸めながら、こっそり池山が呟く。
「今更だろ・・・」
 肉をひっくり返しながら片桐が答えた。
 コンロは男性と女性と別々なので、自然と会話が別れていく。
「・・・つうか、同じ部屋に俺たちがいることを完全に忘れ去っていますよね・・・」
 なるべく女性陣へ視線を向けないよう、柚木は肉を凝視する。
「そもそも、俺、なんでこの部屋なんですかね・・・」
 村木を紹介さえしてしまえばお役ご免で良かったのではないかと、女子どもの盛り上がり具合を肌で感じながら、居心地悪そうに座り直した。
「すまん。下が既にいっぱいだったからだ」
 心底申し訳なさそうな顔で片桐が頭を下げた。
 下の階には若手を主に上司や同僚達がおよそ二十数名、楽しくやっているはずだ。
 あちらも既に無礼講状態なのは、階段を通って笑い声が漏れ聞こえてくるから十分に解る。
「あっちに岡本と立石をやったからな・・・」
 二組に分かれて食事をすることになったので、無礼講チームの仕切りを彼らに頼んだ。
「ま、それが妥当だろうな。あいつらをこっちにすると、こんなにのびのびとは出来ないだろうから」
 そもそもが、彼女たちの為、というよりも有希子の為に設けた席と言って良い。
 初めての妊娠でナーバスになっている岡本と有希子のガス抜きが必要だろうと、片桐達が考えたからだ。
「ユズを巻き込んだのは申し訳ないんだけどな。なんならある程度食ったら、酒を飲みに下に降りて良いぞ」
「あー。それは別に良いんですけどね。俺は肉さえ食えればそれで」
 そして、空いている隣の座布団を眺めて、今更の疑問を投げかけた。
「そういや、なんでここ空いているんですか?誰か来れなくなったとか?」
「ああ、ハルがくるはずだったんだけどな」
 ちらりと、その空間に目をやりながら、片桐は肉を皿に取る。
「家庭の事情で急遽来られなくなったんだよ。一応、用事が終わり次第向かうとは言っていたけど、多分無理だろうな」
 片桐にしては歯切れの悪い返事に、柚木は「そうですか」と肯くのみにとどめた。
「それにしても・・・」
「ん?」
「俺、今更知りたくない世界に足を踏み入れてしまったような気がしてならないんですが・・・」
「ああ・・・。そうだな」
 三人ともついつい煙を追って遠い目をしてしまう。

「初体験が顔射好きって、えんらいハードねえ」
 有希子の上品な形をした唇からとんでもない台詞が飛び出ている。
「ガンシャ・・・って」
 思わず、池山はそれらを拾い集めて口にの中に押し戻したい心地だった。
「こちらとしてはわけ解らないうちにそんな関係になったから、最初はそれがノーマルなんだと思い込んでいたんですよね・・・」
 目を伏せてサンチュに豚肉を巻く村木は、緩くカーブしたやわからな髪を背中まで伸ばし、広くて形の良い額と合せてその姿はモナリザやその頃の宗教画のマリアのように神々しい。
「だって私、それまで愛読書は赤毛のアンのモンゴメリだったんですよ。キスの先があるかなんて知るわけないじゃないですか。そもそも舌を突っ込まれるなんて書かれてませんし」
「あ~。よくわかる。わかるわあ」
 しかし、いかんせん彼女がとつとつと語る話の濃さに男性三人はおののくばかりである。
「それにしてもすごいですね。女子校教師が生徒も教師も総なめって、トドですか」
「総なめは誇張ですが、かなりの数にのぼると思います」
 ほんとうに世間知らずばかりの女子校ですから。
 村木が肩をすくめる。
「あー。男の願望?AVなんかにありそうだよね。女子校ハーレム物語とかなんとか」
 なんと村木の初体験の相手は高校の担任だった。
「そもそも、誤解だったんですよね。音楽の先生との不倫現場を私が見たって思い込んで、口封じのために言い寄って、身体で丸め込んじゃえという魂胆だったらしくて・・・」
 チヂミを囓りながら、ようやく場に慣れてきた柚木が感想を述べる。
「なんか、サスペンスドラマ臭いっすね・・・」
 一つの事件をもみ消すために次々と殺人を犯すというのは、よくある展開だ。
「そうですねえ。まったくその原理で。あとはドミノ式です。私との現場を他の子が見て、それの口封じに回って、更に・・・って感じで、気が付いたら学内制圧?」
「そんな世界征服イヤだわ~」
 サムゲタンを仲良く分け合いながら、四人は大爆笑である。
「・・・黙ってりゃ、美女ばかりの女子会なんだけどなあ」
 片桐はナムルを租借しながら残念な視線を送る。
 女性達は腹の底から笑ってテーブルを叩き、目の縁を押さえながら「マスカラが溶ける~」と悲鳴を上げていた。
 美の女神もかくやと囁かれる有希子と、知性と官能の絶妙なバランスで評判の橋口、夏の若葉のように瑞々しい本間、聖女のように清げな空気をまとった村木。
 それぞれ、かなり魅力的な女性である。
 しかし、女が複数集まると、どうしてこうも話がエグいものになっていくのだろうか。
「マジで、俺たちは空気か肉から立ち上る煙以下だな」
 そんな扱いは姉で慣れっこの池山だが、さすがに今夜の狂乱ぶりに頭痛を感じていた。
「女の人って、俺ら以上にハードボイルドなんですね・・・」
 柚木にも妹がいるがまだ小学生なので、こんなのは未知の世界だ。
「柚木。女はこいつらだけじゃない。もっと可愛らしい女は世の中にいるさ。頑張れよ・・・」
 ほらよ、と、片桐に慰めのノンアルコールビールを注がれて唇を尖らせる。
「そこで、なんで俺なんですか」
 片桐さんと池山さんだって、今彼女いないじゃないですかと追求されて、う、と二人は胸に手をやる。
「いや、なんとなく・・・」
 つい、明後日を見てしまう片桐と池山だった。




「それで、どうやってその悪徳教師と手を切ったの?」
 好奇心の塊の本間は前のめりになって質問した。
「そうですねえ・・・。まあ、一年生の頃ってまだ視野が狭くて世界は学校の中で閉じてる感じじゃないですか。だから何をされても盲従していた所があったんです。でもそれがある日急に、なんでこんなのに好きにされなきゃいけないんだろうって目が覚めて」
「なるほど。あるよねえ、魔法がとけるときって」
 女性達は感慨深げにそれぞれ肯く。
「そういうもんなのか・・・?」と男性達は小さくこそこそ頭を寄せ合った。
「三十過ぎてるってのに年中誰彼構わず発情して、ただのサルじゃんこの男、って思ったらもう顔を見るのもイヤで」
 16歳の少女にとって30過ぎの男は想像の付かない大人であり、年寄りと女性ばかりの学校内での数少ない青年であった。
 近くで見つめられて、触れられて、心臓が高鳴った。
 しかしそれは夢に見た恋ではなく、単なる性衝動なのだと気が付いた時、目の前がさっと広がった。

 ある日、教務室でいつものように椅子に座りベルトをゆるめ始めた男を見下ろしながら別れを告げた。
 しかし、普段から見下している生徒から振られるのは我慢ならなかったらしく、最初は激昂し、罵倒し、なだめすかし、それでも村木が翻さないと解った途端、脅しにかかった。
 彼は、村木との最中の画像を撮っていた。
 これをばらまかれなかったら、これまで通りここで跪いて咥えろと嗤われ、頭の中で何かがはじけた。
 そこで、彼女は最後の行動を起こした。

「・・・ここから先、俺、ものすごーく嫌な予感がするから、聞きたくないんだけど」
 意味もなく、箸の先でたれをぐるぐるとせわしなくかき回しながら池山は呟く。
「なんすか、それ。第六感?」
「いや、でじゃぶの方だと思うのよ、なんか、どっかで聞いたオチが来そうだな~と」
「どんなオチだよ・・・」
 男達の会話を聞きつけた有希子が、「オチ・・・オチねえ」と反芻したあと、池山の言わんとすることに辿り着いたらしく、にいっと笑った。
「ああ、なるほど」
「はい?」
「撃退したのね、美和ちゃん」
「ゲキタイ?」
 本間がきょとんと首をかしげる。
「言うな言うな言うな、村木さん、その先を頼むから言わないでくれ・・・」
 ひいいっと、池山が箸を放り出して頭を抱えた。
「まあその手合いは、マウントした方が勝ちだもんねえ」
 結婚指輪のはまっている左手を優雅に口元にあてて、「おほほほ」と有希子が笑う。
「マウント・・・?」
「ようは、下克上?がつんと喰らわせてやったんでしょう、美和ちゃん?」
「ええ、がつんというか、がん、というか・・・。本当は御法度なんですけど」
「なる!!なるほど、がつん、ねえ!!」
 そこまで聞いて理解できたらしい本間と橋口がゲラゲラ笑い始めた。
 意味がわからず首をかしげている片桐と柚木に、生来きまじめな村木は懇切丁寧に補足説明した。
「私、小さい時にテコンドーを囓っているんですよね。才能ないから続けませんでしたが」
「・・・村木さん、アンタもか」
 池山が呻く。
「だから、無意識のうちに繰り出してしまったんです、足を」
 どこへ、とは言わずとも、容易に想像が付いた。
 ふらりと貧血を起こしそうになっているのに気付いた村木が、慌てて否定した。
「大丈夫。未遂です、池山さん」
「・・・は?未遂?」
「多少、摩擦はそこそこあったと思いますが、スレスレです」

 しかし、威力は十分だった。
 小柄だが、綺麗な足をバレリーナのように優雅に天に向かってあげた時、彼は村木が何をしようと思ったのかとっさに判断できなかった。
 ただ呑気に、ミニスカートからあらわになった下着を見て鼻の下を伸ばしただけである。
 ただし、ゆるりと両手が拳を握り込み、肩より高く上げられた踵が直角に曲がった瞬間、頭の奧に何かが鳴った。
「はあっ!!」
 かけ声とともに、超高速でそれは振り下ろされた。
 ベルトのバックルを外し、ファスナーを下ろしかけたスラックスの真ん前に村木の足が落ちてくる。
 彼は解剖中のカエルのように足を大きく開いたまま、事務用回転椅子の背もたれに身体を預けた状態で固まっていた。
 とっさに身の危険を感じて後ろに逃げようにも、背後の机に阻まれてどうにもならない。
 あと、一センチでも前に座っていたならば、彼の大事などころに村木の渾身の一撃がクリーンヒットするところだったと知った瞬間、彼は小刻みに震え始めた。
「せんせえ・・・」
 椅子のクッションに刺さった踵をそのままに重心を前に変えると、彼の股間を緩く踏んだ。
 柔らかな感触のそれに眉をひそめながら、話を続ける。
「先生が思うほど、私は馬鹿じゃないです」
 むき出しの膝に構わず姿勢を変えないまま、胸ポケットから携帯電話を出して待ち受け画面を見せた。
「この人、父の一番下の弟です」
 液晶画面には角刈りに強面の中年男が、お下げ姿の村木の肩を抱き寄せている。
「今は九州で暮らしていて、とある会に所属しているんですけど・・・」
 九州、と、とある会という言葉にびくりと男は肩を揺らした。
「もしも私の画像が、たとえ事故でも流出したら、きっと叔父が黙っていないと思います。あの人は気が短いので、何をするか解りません」
 普段は、優しい人なんですけど。
 そう言いながら、もう一度村木はつま先に少し力を入れる。
「今すぐ、綺麗さっぱり処分してくれますよね?せんせえ・・・」
 これで、彼との縁はそれきりだった。
 
「・・・それはそれで夢に出てきそうだな・・・」
 男三人は無意識のうちにそろりと股間を守ってしまう。
「本当は取り締まる側なんですけどね、叔父さん。とある会は、釣り同好会の会長なだけで・・・」
 彼女の携帯電話に映る叔父の写真を覗き込んで、本間は正直に言った。
「・・・誰もこの写真を見て、取り締まる側とは思わないかも」
「ええ。それは、よくある公開防犯シュミレーションの時の写真です。たまたま見に行ったから記念に撮ったんですけど」
「ああ、あの、時々報道陣の前でやってる強盗とか、凶悪犯とかの取り締まりごっこね」
「そう、それです。叔父は就職してからずっと取り押さえられる側の役が多くて」
「なーるーほーどー」
「テコンドーの手ほどきもしてくれました。可愛がって貰ってます」
 もう一つの画面は二人でにこやかにピースしているものがあり、納得である。
「もしも本当の職業がばれたとしても、いざとなったら刑事告訴して実況検分してしまえば、あの部屋にまき散らされたものが検出されて御用だったから、不利にならなかったと思います」
「未成年相手の淫行罪だしねえ」
「そういや、意外と落ちないのね、精子って。ほら、昔それでヘマをした大統領がいたわよね」
「ああ、クリントン夫か・・・」
 ミレニアム直前のアメリカ大統領スキャンダルは今でも語りぐさだ。
「そういや、今でも謎だよな。なんで随分前に着たドレスから精子が簡単に検出されたのか・・・」
「情事記念にあえてクリーニングをしなかったのか、アメリカのクリーニングはへっぽこなのか・・・」
「暴露本まで出したよな、モニカ・ルインスキー・・・。ああ、俺、相手の名前をフルネームで未だに言える」
「・・・・つうか、その時いくつだよユズ・・・」
「なんとか小学生ですね。でも、田舎だったんで、大人はゴシップに飢えてたから大盛り上がりっすよ」
「おまえ、どこだっけ」
「茨城です。農家ですよ。嫁の来手がありません。男どもはつねに飢え飢えです」
「ウチと似たようなもんか」
 片桐の父はたまたま違うが、周囲はほとんど農業や漁業従事者だ。
「それにしても、九州といえばヤクザ、という連想がいただけないなあ。あんなのほんの一部だぜ、一部」
 生まれ故郷をこよなく愛す片桐は不満顔だ。
「まあ仕方ないんじゃない?発砲率高いもの」
 本当は、農産物も魚も美味しい食の国なのにねえ、と有希子が同情の目を向ける。
「この間は、中東の特番に出てましたよ。ヤクザの国、九州アイランドって・・・」
「そんな認識なのか、九州・・・」
 どっぷり落ち込む片桐をよそに、本間は村木を慰めた。
「でもうまく誤解してもらって良かったじゃん。下手したらストーカーになりかねないし、そのガンシャ教師」
「だから、本間もその口で言うなよ、ガンシャって・・・」
「てへ」
 ぺろりと可愛く舌を出されて、男どもは脱力した。



『肉食獣的な彼女-2-』 へ続く


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