壁ドン出歯亀事件-幕間編-
人生とは、何があるか解らない…。
こんにちは、田中です。
しつこいようですが、僕の名前は田中秀夫。
タナヒデ、と、同僚達に呼ばれています。
いつでもどこでも脇役な僕ですが、最近、事件現場に遭遇する男なのだと、自覚しました。
事件。
そう。
事件は、まさに職場で起きるものなのです。
そして、そこに居合わせた僕の悲劇を・・・聞いて下さい、是非。
実は先ほど、とても恐ろしい目に遭いました。
時刻は丁度午後の三時頃。
ちょっと休憩ついでにひとけのない場所でスマホをいじっていたら、後から入ってきたバカップルがいちゃいちゃし出して、大変なことになりました。
そのバカップルとは、台湾で一晩中僕を眠らせてくれなかった営業の池山とシステムエンジニアの江口です。
僕としては、静止物と同化して彼らが早く終わらせてくれるのをやり過ごすつもりだったのですが、なぜか見つかってしまい、池山にチューされそうになり、次には江口に今流行の『壁ドン』され・・・。
よもや貞操の危機を感じる事態になるなんて・・・。
なんか池山ときたらミョーに色っぽいし、江口は雄のフェロモン全開で・・・。
は。
いやいやいやいや、違う違う。
そんなことを、語るつもりはありません。
男によろめく要素は、一ミリたりともありません!!
だがしかし。
疲れ切った身体を引きずり席に戻る途中、通りかかった給湯室から聞こえる声につい囚われてしまいました。
「・・・ちゅーくらいしたかもねえ。あの二人のことだから~」
・・・はい?
「はい?」
つい心の声を口に出してしまったと思い、慌てて両手で口をふさぎましたが、それはどうやら違ったようで・・・。
「本間さん、何か仕掛けましたね?」
ガラスの風鈴を揺らしたような繊細な声がおっとりと問いかけました。
「うん。今日、ちょっと色々雑用で外に出ていたらお昼になっちゃって、そこで偶然池山さんに会ったのよね。で、一緒にランチしようかと言うことになって・・・」
この間の台湾の一件で知ったが、なぜか営業の池山とシステム部門の事務の本間奈津美はめちゃくちゃ仲が良い。
江口とのことを知らなかったら、そっちがカップルかと思うくらいだ。
「どこ行ったんですか?」
「キッチン・サンシャイン」
「ああ、あそこのオムレツ美味しいですよね」
「そうそう。挽肉とタマネギの配合が絶妙でね、二人で天井向いて、うっまーって叫んじゃった」
「叫びたくなる気持ち、解ります。私も今、物凄く食べたいです」
「でしょーっ」
いやいや、そんな話、どうでもいいぞ?
何を仕掛けたのか?と言うのが、鈴虫さん(勝手に命名)の質問だったよな?
早くそっちを答えろよ。
どうしてこうも、女の会話というのは途中で曲がりくねるんだ。
「でね。美味しいついでにブチデザート頼んで、コーヒー飲んでたら壁ドンの話になって・・・」
どうして、そこから軌道修正できるのか、理解不能・・・。
頼む。
鈴虫さん、そこでデザートは何を食べたのかは、どうか聞かないでくれ!!
「なぜに壁ドンなんですか?」
「ああ、なんか隣のテーブルの女の子たちがはしゃいでいたから、その話を拾ってね」
「なるほど」
「で、池山さん知らなかったのよ、壁ドン」
「え?池山さんともあろうものが?」
「そう。あの池山さんともあろうものが、よ。今、江口君がこっちいるからそれで頭一杯なのね~」
くふふふふ、と言う含み笑いに、背筋が凍りました。
そこ、笑う所じゃないから。
笑えないから、あのバカップルの所業は。
「でも、お姉さんがいるから少女漫画くらい読んでいそうな感じですよね?」
「うん。でも確かに女の子を壁に追い詰めて迫るのを壁ドンって言うのって最近じゃない?そんな流行があるのよ、って説明したら、ものすごーく眼をきらきらさせていたから、あ、これ、なんかやりそうだな~って」
「なるほど」
「やるとしたら、今でしょう!!」
妙に力の入った声に、なんとなく本間奈津美が仁王立ちしている姿が想像できました。
どうしてそこで力説するのか解らない。
いやその前に、この女の千里眼かと思いたくなる見通しの良さはなんなのでしょうね・・・。
「あ・・・。そうですね。今どこかでやってますね、多分」
そこで肯く鈴虫さんも解らない。
どうして君たちはそんなにわかり合えているのか。
「わかりやすいよね~」
「ええ、わかりやすいですね・・・。あのふたりは」
まさに数分前に、同じフロアーの奥っこで繰り広げられた発情劇場。
あんなことやこんなこと、仕事場の、勤務中にやることはアリなのか?
「アリじゃねえよ・・・」
「んん?」
今度こそ、本当に脳内の言葉を吐き出してしまったようで、慌てて退散しました。
危ない危ない。
これ以上、このわけのわからないヤツらのお仲間に入るのはたくさんです。
僕はノーマルに、女子大生との愛をはぐくむんだと、誓った午後三時のことでした。
-完-
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