『小さな、嘘。』



 ここ数日、周囲がざわついていてる。
 理由ははわかっているが、鬱陶しいことこの上ない。
 毎年毎年、世間の人は懲りもせず見え透いたお祭り騒ぎに乗るもんだなあと思う。

「大野、これ、預かったんだけど」
 昼休みになり、弁当を食べ終えたころに食堂から戻ったクラスメイトの服部が小さな紙袋を掲げてみせてきた。
 もちろん、届け先は又従兄の大野将。
 将は長身の上に空手で鍛えた身のこなしと涼し気な顔立ちで、どこに行っても女子の視線の的になる。
「いらん。返してくれ」
 顔も上げずに彼は答えた。
「うわ、瞬殺」
 机を寄せて一緒に食べていた折原さとみが小さく呟く。
「えーっ。誰からとか、聞かないの~?それに、めっちゃかわいく作ってあるのに~。きっと手作りじゃん。めっちゃ羨ましい~」
 くねくねと腰を振りながら絡む服部は、正直、時々、気持ち悪いと思う。
 そして、この商業ベースに乗った告白騒ぎはもっと嫌いだ。
 むう、と唇を尖らせそうになって、慌てて箸を玉子焼きに滑らせた。
 頬に視線を感じて目を向けると、案の定、将が自分を見ていて。
「なに」
「・・・いや」
 つっけんどんな物言いになったなとすぐに後悔するけれど、将はあっさり首を振って服部を見上げた。
「俺は、甘いものは嫌いだし、チョコレートはもっと嫌いだ」
 言い切った瞬間、折原がぶふっと盛大に噴き出した。同時に、教室の中がざわつく。
 彼女は気の毒にも気管に何か詰まらせたらしくしばらく悶えていたが、ペットボトルのお茶で何とか流し込み、頬に落ちてきた髪を指先で払ったあと、おもむろに口を開く。
「・・・もしもし、大野さん」
 声が、少ししわがれて、ちょっとアニメの魔女のような感じになってしまった。
 華奢な肩も、綺麗な指先も、ちょっと震えている。
「あの。あなたが今手にしているものはなんですか?チョココルネとお見受けしましたが・・・」
 たしかに。
 将の手にしっかりと握られ、なおかつ豪快にかじり取られているのはチョココルネの先端。
「ああ・・・。そうだったな」
 ふう、と大きくため息をついてから将は言い切った。
「これは、おふくろが食えと言ったから、食ってる」
「え?あの、あの、伝説のひばりさまが?」
 これに、服部が食いつき、周囲の人々も耳をそばだてている。
「あの、大野家の歩く法律、いや、ご町内を問わず近隣住民の守護神、大野ひばり様のお達しですか?」
 知らず、服部の背中はまっすぐに伸びて、言葉遣いも敬語になっている。
 父の従妹で隣家の大野ひばりは空手の有段者で、国体でも何度も優勝を飾った猛者だ。近所の空手道場で毎日教えているため顔を知られているうえに、色々な意味で行動派なので、果てには都市伝説のようなものも背負っている。
 例えば、動物園から脱走したサルを素手で捕まえたとか、迷いイノシシを一撃でのしたとか…。
「ああ・・・。まあな。今日はこれを食えと言ってきたから、仕方ないだろう」
 嘘だ。
 このチョココルネは自宅から歩いて10分、通学途中にあるパン屋で将自ら購入したもので、現場に折原も遭遇している。
「ひばり様のおおせとあらば、仕方ないですね!!大野も、それでいっぱいいっぱいってことで!!で、ではでは、俺はすぐにお断りに・・・」
 きゅっと、紙袋を抱きしめて、服部は慌てて教室から飛び出していった。
 廊下に飛び出てすぐ誰かにぶつかったらしく、悲鳴が上がったりもしていたが、そのうちあたりは静かになった。
「服部さあ・・・。学校帰りにコンビニ一緒に行ったりしているのに、すっかり忘れちゃったんだね」
 周囲の関心が薄れたころ合いを見計らって、折原がぽつりと言う。
「大野、ばりばりの甘党だよね?夏はモンブランとか、ジャイアントコーンとか、毎日食ってたよね?」
「そうだな」
 憎たらしいほどの涼しい顔でさらりと流す。
「まあ、いいけどさー。あとは口実って気づかない馬鹿のお相手をして今日はおしまい?」
「そんなところかな」
「あー、もう。なんっでもおばさんのせいにして、ばれた時知らないからね」
 大野ひばり伝説がどんどん大きくなる一因は、将が何かと口実に利用しているせいだと折原はとっくにお見通しだ。
「ばれたところで、あのおふくろはびくともしないよ」
「私のパパが精魂込めて作ったチョココルネを仕方なく食うんじゃねえよ、このトンチキ」
「あ、ごめん。いつも変わらずおいしいよ、おじさんのパン。明日も買うよ」
 端正な顔にふわりと微笑を載せられると、長い付き合いの折原でもぐうの音も出ないらしい。
「その、腹黒い所が全く気づかれないのと意外と計算高いところがまた、腹立つなあ!!」
 パン屋の一人娘が机の下で将の膝に軽く蹴りを入れたが、いたって平気な顔で。
「まったく、憎たらしいよね、本間。こんなんと毎日一緒で疲れない?」
「・・・いや。別に・・・」
 又従兄弟で、隣同士で、幼馴染で。
 なぜか、いつも一緒にいる。
 それに対して、誰も口を挟まないのが時々不思議で、不安で。
「将は、将だから」
 他に言いようがなくて。
「吉央」
 弁当をしまって席を立とうとしたら、呼び止められた。
「・・・なに?」
「なっちゃんからいつものが届いたって、おふくろからメールが来た」
 すでに社会人の姉の奈津美は高校卒業と同時に東京で暮らしていて、この時期になると菓子を作って送ってくる。
「帰ったら、開封、付き合ってくれよな」
「ん」
 軽くうなずいて、自分の席に戻った。

 奈津美の贈り物はいつも決まっていて、箱いっぱいのトリュフチョコレート。
 ブランデーと黒胡椒がアクセントの、大人の味で。
 本当はとても好きだと、誰にも言えないでいる。
 礼を言ったこともないし、ホワイトデーにお返しなんてしない。
 それでも毎年決まって届き、将と部屋で少しずつ、毎日食べる。
 その毎日が楽しみで、嬉しくて。
 だけど恥ずかしくて、しぶしぶ、将の甘党に付き合っているふりをする。

「うそつき・・・」

 将の嘘と、自分の嘘。
 小さな、小さな嘘ばかりだけど。
 いつか罰が当たるんじゃないかとおびえている。

 ほんとうが、みえない。



 -おしまい-


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