『かつげき!まんばぐみ-7-』
とろりとろりと、少しずつ眠りの中に沈んでいく。
障子の向こうは快晴で、すぐ近くの庭先で山伏国広と短剣たちが何事か喋っていた。
「・・・でね・・・。それで・・・」
「ほう、そうか、良かったな・・・」
兄弟刀の山伏は闊達な男で、付喪神たちの中でも年齢の低い者たちがとても懐いている。
主に短剣や脇差で、元気が余りまだまだ遊びたい盛りの彼らを山伏はいつでも笑って受け入れて、この国広の部屋はいつでも明るくてにぎやかだ。
今日も山伏が担当だった農作業の手伝いをこぞって申し出たらしく、農機具や収穫物を井戸水で洗ったりふざけたりとはしゃぐ声が聞こえてくる。
障子の隙間から五虎退が連れ歩く子虎のうちの一匹が入ってきたらしく、奇妙な音を出しながら近づいてきて、身体を頬を摺り寄せてきた。
この子虎は臆病者で、普段は絶対に近寄ってこないくせに、こうして身動きが取れないほど疲れ果てている時にやってくる。
ぐーふ、ぐるるきゅーーーふ。
最初は威嚇されているのかと思った。
なんとこれでも喉を鳴らして甘えているらしい。
それならまあいいかと、すり寄ってきたらそのまま抱き込んで一緒に眠ることにしている。
「わかったから、・・・来い・・・。おれはねむい・・・」
抱き寄せると、獣の息が唇にかかった。
湿り気味の鼻先を顎にくっつけられたり、ざらついた舌で頬をさんざん舐められたりしたが、気のすむまでさせておくことにした。
「とにかく、つかれた・・・」
第一部隊の隊長なんて、俺の柄じゃない。
だけど。
やれというなら、やるしかない。
それが任務だから。
『だからってこんなの自己満足…欺瞞でしかない』
骨喰藤四郎が口にした言葉が甦る。
彼のまっすぐな瞳と、いらだちに満ちた声に、胸が痛んだ。
本当にその通りだと思う。
だけど、どんな言葉でそしられてもやめる気にはなれない。
今回初めて第一部隊に加わった骨喰藤四郎を驚かせ、眉を顰めさせたのは任務終了後のことだった。
永禄八年、足利義輝の亡霊と見られるものによる人々への無差別殺害事件が起こった。
もちろんそれは歴史上の記録にないことで、時間遡行軍が陰で操っていることは明白だった。
彼らの動きを阻止し、被害の拡大を食い止めたが、すでに散ってしまった命は戻らない。
任務が終了してもすぐには本丸の審神者の元へ戻らず、町で食材を買い込み、河原で炊き出しを行った。
自分たちが降り立つ前に殺されてしまった男たちの遺族を励ますために、食事を作りふるまう。
このことについて、骨喰藤四郎は当初異を唱えたのだ。
自己満足だと。
『確かに欺瞞だけど…。わからない?』
すでに何度か任務を共にしている髭切が、説明のうまくない自分に代わり言葉を重ねてくれた。
膝丸と大典太光世も最初は驚いたに違いないが、正面切って反対されたりはしなかったので、どこか安心していた。
自分の任務および時代との向き合い方に、間違いはないのだと。
だけど、骨喰藤四郎の率直な感想の方がきっと正しい。
でも、やめることはできない。
任務に携わったら必ず行うようにしている、私的なこと。
それは任務終了後に一日残り、その時代を生きている人々に何か手助けをすることだった。
それはたいてい炊き出しになることが多い。
理由は、食べることが明日への命をつなぐからだ。
たとえその命が、翌朝露と消えてしまうことになるとしても。
『歴史を守る』
いつもいつも、考えていた。
どんなに頑張っても、時間遡行軍のやり方はいつでも乱暴で、標的とは何ら関係のない人や建物を次々と破壊する。
時間は巻き戻せない。
命は、まるで風に揺られた桜の枝から花びらが散るように、いとも簡単に、さらさらとこぼれ落ちていく。
なら、もう一度、自分たちが降り立つその前にもう一度…。
審神者に頼んだことがある。
もう少し前に遡って、名のなき犠牲者たちを救わせてくれと。
だがしかし。
それは出来ないと審神者は答えた。
時間遡行軍と自分たちが現れ、戦うことにより、その時代の歯車は少なからず狂ってしまうと。
短期間で何度も同じ時代に介入すると綻びはひどくなる一方で、時空も人々もそして連なる未来も予測のできない事態に巻き込まれていくことになるため、介入は一度きり。
そのような決まりで保たれた世界なのだとも。
以来、任務に就くたびに、悩みは増した。
名のあるものも、名のなきものも、そして一輪の花も、命であることに変わりはない。
壊さないよう、壊されないよう、どれだけ細心の注意を払っても、どれだけ速く駆け抜けても、命が散っていった。
壊された建物の前で、転がる遺体の前で、茫然と佇む人々の顔。
どんなに頑張っても助けられないことに絶望した。
俺の力が足りないばかりに。
俺のせいで。
俺なんかがこの任務に就かなければこんなことには。
眠れなかった。
眠ってなど、いられなかった。
歩いて、走って、考えて。
それでも、命は。
人々の絶望は。
なら、どうしたらいい。
そんなある夜。
任務に加わっていた三日月宗近が言った。
この頃はまだ任務の形態が二人きりで、めきめきと頭角を現した彼に比べ、古参の自分が足を引っ張り始めていることに落ち込み、焦っていて、とても食事をとるどころではなかった。
「とりあえず、これを食え」
胸元に押し付けられたのは、一杯の粥。
上等な絹と香に身を包み、普段は年寄りを装ってものぐさに振る舞う彼がなんと、粥を作ったことに驚いた。
国宝の三日月宗近が、粥。
あっけにとられていると、いったん椀を取り上げられ、今度は粥を救った匙を唇に押し付けられた。
「口を開け」
言われるままに開くと、少し乱暴に匙を突っ込まれた。
「・・・ぐ・・・」
「飲み込んでも構わぬが、少しは噛め」
自分を見据える目の中に、怒りのようなものを感じて、従った。
口に中にほろりと広がる、米の甘み。
「次、行くぞ」
すぐに次の匙が付きつけられ慌てて嚥下した。
「ほら、次」
結局、彼の作った粥の全てを平らげるまでそれは続けられた。
「もう・・・。むりだ。食べられない」
「そうか。それなら、寝ろ」
「は?そんなわけには・・・」
「今夜は何も起こらない。こんのすけも、審神者もそう言っている。遡行軍が動き出すのは明日の昼からだ」
「でも・・・っ」
「でもはない。食って、寝て。それから動け」
無理やり寝床に押し込められ、引き倒された。
「それとも、添い寝もしてやらねば眠れぬか?」
悠然とした笑みに、身の置き所のない恥ずかしさを覚えた。
「いや、いい。あんたがそういうなら、寝る」
「それがよかろう」
被布の上から頭を撫でられた瞬間、すとんと眠りに落ちた。
目覚めた朝、朝日が眩しくて、暖かかったことを覚えている。
今、付喪神として人の身体を与えられて初めて、知ったことがある。
ひとの身体は、難儀なもので。
空腹では、生きていけない。
身体の疲れは人をさらに心の疲れへと導いていく。
やがて。
疲れ切ってしまうと、生きる力を失ってしまうことになりかねないのだと。
とりあえず、一口でも食べられたなら。
とりあえず、少しでも身体を休めたなら。
命はつなげる。
そして、考える力も甦る。
更に、生きようと思えるようになるかもしれない。
あの時。
三日月宗近に教わったと思っている。
「残った人々の命をつなぎたい」
任務を終えた時、思い切って告げてみた。
たとえ、徒労に終わったとしても。
欺瞞と思われたとしても。
失くした命を悼み、力の種を撒いていきたい。
自分なりに思うことを懸命に説明したら、彼は笑った。
「うん。そうか」
それから始まった、儀式めいたこと。
なぜか審神者は黙認し、そのまま今も続いている。
「まあ、よいではないか?」
三日月宗近の一言に救われたように。
自分は、誰かを救えているのだろうか。
それとも、ただ傷口を広げているだけなのか。
わからないけれど。
誰もが生きて、誰もが笑ってくれるといい。
誰もが・・・。
願いを重ねているうちに、眠りの中の奥の奥へと滑り込んでいく。
虎の毛皮の少しくすぐったい手触りと、子供たちの笑い声。
そして。
誰かが、優しく触れてくれた気もする。
優しい、温もり。
心地よい、香り。
-完-