『かつげき!まんばぐみ-8-』



 
 綺麗に整えられた山茶花の生け垣の角を曲がると、賑やかな笑い声が聞こえてくる。
「ぼく、いってくる~!」
「えー、僕がいく~」
 足音と声が近くになり、飛び出してきたのは前田と平野の短刀兄弟。
「うわ・・・っ!!」
「・・・おや」
 少しだけ前に出ていた前田が胸元に飛び込んできた。
「三日月様・・・!」
「ごめんなさい、大丈夫ですか!!」
 ぶつかった前田も、追いかけていたしていた平野もそろって姿勢を正し、ぺこぺこと頭を下げた。
「よいよい、気にするな。元気なのは良いことだ」
 二人が背中に背負っている籠には、収穫したばかりであろう野菜が彩り豊かに詰まっていた。
「・・・それを厨房に運ぶところだったのか?」
「はい!!」
「今日は茄子がたくさん採れたので!!」
 かちこちに固まった二人の生真面目さが微笑ましく、それぞれの頭を撫でる。
「そうか。なら、俺は田楽が食べたいと伝えてくれ」
「はい!!承知しました!!」
「では、失礼します!!」
 子供たちは同時に頭を勢い良く下げ、あっという間に走り去ってしまった。
「うむ・・・。もしかして怖がられているのか、俺は?」
 きゃあきゃあと悲鳴らしきものをあげながら駆けていく短刀たちの後姿を眺めながら、何とも言えない気持ちになる。
「つまらぬな・・・」
 思わず口から出た言葉に、自ら驚く。
「そうか。つまらぬと思うのか」
 この俺が。

 なんと面白いことか。
 自然と、笑みがこぼれた。

「よーし。みな、きれいになったか?」
「はーい」
「じゃあ、おやつにするか」
「わーい、お饅頭、おまんじゅうだ!!」
 どうやら非番の短刀たちのほとんどが集合しているらしい。
 喜んではしゃいでいる中を訪れるのに少しためらかったが、そこを通らねば目的の場所へはたどり着けないので思い切って歩を進めた。
「あ。三日月様だ」
 乱藤四郎の第一声に、全員振りむく。
 ちょうど山伏が、鉄なべの上に蒸篭を重ねて作った饅頭を菜箸でざるに移し替える最中だった。
「おや、これは三日月どの。ちょうど良い時に来られた。芋饅頭が蒸しあがりましたぞ」
 黄味色に染まった饅頭の表面にサイコロ状に刻んだサツマイモがぽつりぽつりと浮かんで、素朴な風情が山伏らしいと思う。
「そうか。なかなかに運が良い。だが、お邪魔じゃないかな?」
 年少の短刀たちに目をやると、彼らは遠慮がちに挨拶をした後もじもじと俯いてしまった。
「ああ、そうだ三日月様。山姥切をそろそろ起こしてあげてください。帰って来てからずっと寝たままなんです」
 粟田口の短刀たちの中で一番懐っこい乱が、てきぱきと饅頭を器にとりわけながら言う。
「歌仙さんがまるっと洗ってくれたまではいいんだけど、そのままずーっと三番目を抱えて眠りこんでしまって」
「歌仙が?」
 歌仙兼定はこの本丸で燭台切らと共に本丸で刀剣たちを束ねている。
 世話役三人衆の一人であり、生活面に重きを置いているのでまるで寮母のような仕事を請け負うようになっていた。
「ええ。すぽーんと脱がして、そこの大きいたらいに放り込んで、ざーっと井戸水で洗いましたよ?」
「大きい盥?」
 三日月は乱の視線の先を追って首をめぐらせた。
 この庭の一角にには手押し式の井戸があり、その近くには洗ったばかりであろう農機具が干してあり、それらと一緒にかなり大きめの盥が伏せられた状態で斜めに立てかけられている。
「そこで?」
 山茶花に囲われてはいるものの、それなりに開けた庭でもある。
「ええ。そこで」
 にこ、と当たり前のように笑われて、三日月は言葉に詰まる。
「あ。ちょうど小夜ちゃんも遠征がえりで汚れてたから、一緒に突っ込まれてましたね。まとめて二匹の子犬を洗うみたいに賑やかでしたよ」
 いきなり名前を出された左文字小夜は、目を向けるとさっと山伏の後ろに隠れた。

 失礼な。
 取って食いはせぬ。
 心の中で独りごちた。

「ん・・・?」

 しかもよく見たら、なぜか小夜が来ているのは見覚えのある小豆色のジャージではないか。
 それに、その着丈はおそらく・・・。
 つい目を眇めると、少年は山伏の太腿にかじりついてカタカタ震えだした。

「・・・そうか。歌仙には手間をかけたな」

 無理やり視線を外して乱に向き合う。
 左文字小夜は、寂しがり屋の子供だ。
 兄弟刀剣たちが不在の折は、粟田口か国広たちが預かって面倒を見ることにしていると聞いたことがある。
 だから、多少のことには目を瞑るべきだ。
 何しろ、子供なのだから。
 たとえ、たとえ。
 ・・・山姥切の、彼の服を、当たり前のように身につけていたとしても・・・。

「いえいえ。歌仙さんの脱がしっぷりは、奪衣婆も真っ青のテクニックですからね」
 二人を洗い終えた歌仙は、獲得した汚れ物を抱えて満足げに洗濯場へ去っていったと言う。
 特に、山姥切の被布を今日こそ漂白するのだと意気込んでいるとも乱が面白おかしく説明してくれているようだが、そんな話、右から左へと流れて行ってしまった。
「ほう。奪衣婆とな・・・」
 ならばこの際、地獄へ転職でもすればいいのにという考えが頭をよぎる。
「ええと、三日月様」
「うむ?」
 少し散じてしまった気をかき集めてみると、なかなか洒落た器にこんもりと盛られた饅頭の山が目の前にあった。
「実は山姥切、帰着から今まで何も食べていないので、お願いしても良いですか?」
「これを?」
「はい。山姥切の大好物なので」
「・・・ほう?」
 粗熱がとれた饅頭たちは、陽の光に照らされてふっくらつやつやと輝いている。

 こういうものが好きなのか。
 口数が少なく不器用な山姥切について、まだまだ知らないことはたくさんある。

「なるほどな」
 器を両手で捧げ持ち、上目遣いで可愛らしく首をかしげて頼みごとをする乱を見て、彼の手のひらの上で存分に転がされていたことに気付くが、今更だ。
 それに。
「まあ、よかろう」
 少女めいた外見と高い声に、敵も味方もつい油断しがちだが、なかなかの策士でもあるし、人との距離感に対する感度はずば抜けていると改めて思う。
 味方としては得難い存在の一人だ。
「・・・恐れ入ります」
 受け取ると、乱がふわりと笑みを浮かべた。

 まったく。
 この笑みもまた、くせものだ。
 苦笑いを浮かべて、予想よりずしりと重い器を受け取った。

「すぐにお茶をお持ちしますから、その時に三番目は引き取りますね」
「・・・そういえば、三番目とは?」
「五虎退の虎たちの中で真ん中の子です」
「虎?」
 短刀の五虎退は五匹の子虎を飼っている。
「ちょっと難しい子なんですけど、噛みつきませんので安心して下さい」
「・・・あいわかった」

 まあとにかく。
 当初の目的だった国広の部屋へと向かうべく、饅頭の入った器を抱えて三日月宗近は奥へと足を向けた。


「・・・あんまり、大人をからかうでないぞ」
 三日月の姿が見えなくなってから、山伏国広はぼそりと口を開いた。
「ああああ、めちゃくちゃ緊張した!!乱って、命知らず!!」
 火の始末をしながら、秋田藤四郎がきゃんきゃん吠える。
「えへ。なんのこと?」
 けろりとした乱に、緊張から解き放たれた短刀たちの抗議が殺到した。
「まあ・・・なあ。あれにも、三日月様にも、それくらいがちょうど良いのかもしれんが」
 空になった蒸篭を片付ける山伏はため息をつく。
「でしょ?僕、いい仕事したんじゃない?」
「それは、どうか・・・わからんな」
「ええ?なんでー?」
 不満げに唇を尖らせた乱の頭を軽くポンと叩いた。
「大人をからかうのもたいがいにせんとな。あれはあまりよくないぞ」
「はあい」
 反省の色が全くない乱に、短刀たちがわあわあ群がる。
 口喧嘩をしながら、じゃれながら、子供たちは饅頭を仲良くほおばり始めた。

 ふと見上げた空が、随分高い。

「秋じゃのう・・・」

 色々な形の雲が複雑に浮かんでいる。
 遠くの先は抜けるように青い。
 天上の色と雲の流れに、見とれた。

 
 障子を静かに開け半身だけ入れて部屋をのぞき込むと、薄明かりの中、隅の方に白いかたまりが横たわっているのが見えた。
 先程の秋の庭の賑やかさから一転して、しんと静まり返った空間。
 足音を忍ばせて滑り込んだが畳を踏む音すら響き渡りそうで、なんとなく緊張してしまう。
 そろりそろりと足を進めて、ようやく傍らへたどり着いたがたった十畳足らずの三人部屋が大きく感じた。
 ゆっくりと腰を下ろして、近くの文机に饅頭を盛った皿を置く。
 胡坐をかいた膝頭のすぐ触れそうなところには、こんこんと眠り続ける男いる。
 山姥切国広。
 この本丸において、審神者に選ばれた最初の刀。
 長義作の打刀・山姥切の写しとして名高い、国広の最高傑作。
 寝間着も寝具も白い中、横向きに巻貝のように丸くなった彼の金色の髪だけが不思議な光を放っている。
 そして。
 大事そうに抱えてこんでいるのは毛皮の枕。
「もとい、三番目とやらか・・・」
 つい口から洩れた声に、枕が反応した。
 むくりと頭を上げたのは、確かに虎の子で。
「ぐ・・・・・る」
 最初は深い眠りから覚めていない様子だったがだんだんと飴色の瞳が次第に力を帯びていく。
 頭から尻尾の先までぶわっと毛が逆立ち、全身が先ほどよりも少し嵩増して見えた。
 そして、口の両端がゆっくりと上がって鋭い牙が現れる。
「・・・シャー・・・」
 喉の奥から、ひそやかな音が呼気と共に放たれた。
「ほう。威嚇とな。良い度胸だ」
 静かに座してじっと丸い瞳を見おろすと、次第に様子が変わってくる。
「シ、シ・・・・ャ・・・」
 ぱたりと、尻尾が布団の上に落ちた。
 身体がしおしおとしぼんでいくのが解る。
「ん?どうした?」
 首をかしげて問うと、子虎の身体がまたぴくりと揺れる。
 と、その時。
「あーっ。やっぱり~。駄目ですよ、三日月様~」
 勢いよく障子が開き、部屋の中に光がさっとさす。
「三番目は、虎と言ってもまだお子様なんだから・・・」
 途端にぴょんと跳ね上がった子虎はまるで毬が転げるかのように駆けだし、三日月があっけにとられている間に障子の隙間から外へと消えてしまった。
「お手柔らかにって、言いたかったんですけどね」
「俺は何もしておらんぞ」
「それは解っています。ただ、三日月様は存在そのものに威厳がありますからね。ちょっと見つめただけでも子虎ちゃんは震え上がったんじゃないですか?」
「む・・・」
 その通りである。
 正直、あの抱き枕にちょっと面白くない気持ちがあったのは確かで。
 ほんの少し、目に力を入れてしまったかもしれない。
 いや、少しという表現の上限ぎりぎりくらいには。
「まあ今頃はたぶん、五虎退の腕の中に飛び込んで思いっきり甘えてますよ」
 さらっと流して、乱は畳に膝をつき、茶器と小ぶりの重箱を載せた盆を三日月の前に置く。
「この保温器にほうじ茶を入れています。重箱の中に少し食事も用意しましたので、そちらも召し上がってくださいね」
 乱の気配りには舌を巻く。
「それと―――」
 いったん言葉を切り、ちらりと文机の横にある戸棚に意味ありげな視線を投げた。
「お酒は、その戸棚の中です」
「・・・それでは長居をしてしまうぞ」
「宜しいのではないですか?山伏さんはさっき遠征の要請に応えてもう出かけましたし」
 もう一人の同部屋人、堀川国広は幕末へ出陣中で長い間留守にしている。
 つまりは。
「それは・・・また。気の利くことで」
 ゆっくりと唇の端を引き上げる。
 見上げた先には、乱藤四郎。
 ふと、先ほどの光景が頭に浮かんだ。
 しげしげと見下ろした自分と、牙を見せた虎の子。
 今、いつのまにか立場が逆転している。
「三日月様」
「・・・うむ」
「僕は、山姥切が大好きです」
「・・・・ほう?」
 これはまた。
 次に何を言い出すのか、乱の少女めいた唇を見据えた。
 細くてしなやかな身体。
 高い弦をつま弾くような高い声。
 手入れのいき届いた長い髪を含め外見は可憐だが、なかなかどうして。
「だから三日月様に、お任せします」
 にいっと、真珠のような白い歯が覗いた。
 虎の子の牙とは違う。
 しかし、強い意志をはっきりと見せつけるこの笑みは。
「・・・もしかして威嚇されているのか?俺は」
「やだ、まさか。そんな恐れ多い」
 あははと明るい笑い声を立てて軽くいなしたが、彼の瞳は少しも揺らがない。
「三番目同様、お手柔らかにお願いします」
 首をかしげて小さく会釈した後、乱は静かに立ち上がり障子へと向かう。
「乱」
「はい?」
 障子を開き、廊下に出てからくるりと振り返った乱の意味ありげな表情は変わらない。
「ずいぶんと、難しい注文をする」
 謎には謎を。
「お手並み拝見いたします」
 互いの闇の気配を感じながらも。
「恐れ多いことだな」
 心の奥底を隠して。
「三日月様ったら、ご冗談を」
 笑顔で取り繕った。
「・・・では、僕はこれで」
 ふつりと、静寂が戻る。

 閉じた線の内と外で、ひそかな駆け引きはいつまでも続くだろう。
 心の刃を交えた以上は。

 片膝を立てて、ふっと三日月宗近は息をついた。
「・・・どちらに」
 乱藤四郎に、なのか。
 それとも、山姥切国広に、なのか。
「お手柔らかにと言われても」
 持て余していることなど、とっくに見抜かれているだろう。
 この、付喪神としての身体に。
 この、予測不可能な感情とやらに。
 そして、目の前で眠る者に向かう衝動に。
「難儀なものだ」
 力の加減など、図れるはずもない。


 静けさの中で、ふいに目を開いた。
 薄闇の中、間近に感じる気配をたどると、なんと目の前にありえないものを発見して思わず息をのんだ。
「・・・っ」
 自分は、小虎と眠っていたはず。
 なのに。
 どうしてここにこの人がいる。
 三日月宗近。
 天下五剣の最高峰、世の宝と称賛される名剣。
 豪奢な着物に身を包んだ付喪神が、狭い布団の中に自分と一緒に身を横たえ、わずかな寝息をたてて眠っていた。
 細くて小さな面に絹のように滑らかな肌、高くて繊細な鼻梁、濡れたように黒く長いまつ毛。
 淡い桜色の薄い唇は、京の都のどこかでみかけた如来の笑みを思い出す。
 神が作りたもうたと誰もが感嘆する、完璧な容貌。
 指の先まで整えられたその美しさは、時に作り物めいて見える。
 なのに今自分の鼻先にかかる吐息は暖かく、彼は人の身体を持っているのだと理解できた。
 でも。
 信じられない。
 彼がここにいることが。
 そして、人としての姿をしていることが。
 ゆっくりと布団の中から右手を出して、指先を彼の口元近くにかざす。
 じんわりと、熱を感じた。
 だけど。
 これは夢ではないのか。
 小虎と眠っている間に見る、都合の良い夢。
「・・・ふっ」
 突然指先に強い風を感じて、驚きのあまり肩を大きく揺らしてしまった。
 ゆっくりと開く、白い瞼。
 じわじわと現れる、深い藍色の瞳。
 そして、瞳孔をかたどる三日月の金が強い光を放った。
「・・・ああ。悪い」
 悪いって、何が?
 彼の顔の前に差し出したままの右手の所在をなんとかしたくても、身体が石のように固まって指先一つ動かせない。
「山姥切」
「・・・」
 返事をしたくても、舌も口の中で凍り付いたままだ。
「・・・呼吸をしてくれ。頼むから」
 請われて、初めて息を止めていたと気が付いた。
「・・・あ」
 慌てて息を吸い込んだら気管がうまく作動しなくて、今度はむせてしまう。
「う・・・っ。げほっ・・・っ」
 体を反転させて三日月に背を向けなんとか咳を止めようと試みるが、なかなかおさまらない。
「おやおや、悪いことをしたな。そんなに驚かせてしまうとは思ってなかったのだ」
 後ろから背中を優しくさすられて、心臓が跳ね上がる。
 いったい、今、何が起きているか。
 喉も、脳も、混乱している。
「み、みかづき・・・」
 咳の合間に名を呼ぶが、「ん?」と耳元で囁かれ、耳から背中にかけてかあっと熱が上がる。
「たの・・む。ちょっと・・・ちょっと待ってくれ」
「あいわかった」
 首筋に吐息がかかり、足のつま先まで熱くなった。
 背中から去ることのない、彼の手のひら、そして長い指の感触。
「かんべん・・・してくれ」
 山姥切国広は人の姿になって初めて、泣きたい気持ちというのを知った。


「げほっ・・・けほけほっ・・・」
 身体を丸めて、せき込んでいる背中に手を伸ばした。
「おやおや、悪いことをしたな」
 困惑し、さも驚いた風を装う。
 嘘つきめ。
 今、この状況をこの上なく楽しんでいるくせに。
 
 乱藤四郎が何やら思わせぶりな小言を放って去った後、独りで酒を飲むのもつまらないので山姥切の眠る布団に潜り込んでみた。
 ほんの出来心だった。
 どのような感じなのだろうと。
 山姥切と添い伏すのは。
 小虎が懐を陣取っていたのを思い出すと少し苛立ちを感じたし、同門の山伏たちとこの狭い部屋で寝起きを共にしていることにも少し気に障った。
 二人きりで任務に就いていた時、彼が眠っている姿を見たのは一度きり。
 極度の疲労で倒れそうになっていた時だけだ。
 いつも自分より遅くに休み、夜も明けきらぬ時分に偵察へ出てしまう。そして眠るにしても離れた壁か木に寄りかかり覆いを深くかぶって置物のようになっているのが常だった。
 なので、いざ、試してみるとこれが楽しくて。
 それに誰かとこれほど近くに横たわるのは初めてで、何もかも新鮮だった。
 自分のものではない、他人の熱。
 そしていつも顔を隠しいつも研ぎ澄まされた刃のような空気をまとった山姥切国広が、すべてをあらわにし、一切の力を抜いて深く眠り込んでいる。
 ただ目を閉じているだけなのに、その顔は無防備で幼く、どこか甘い。
 抱いていた小虎を夢の中で探しているのか、寝ぼけた手を伸ばして三日月の頭を撫でまわしてきた時には本当に驚いたが、よもやそこでかわいらしい寝言を聞けるとは予想していなかっただけに、ずいぶん楽しい思いをさせてもらった。
 可愛い。
 彼をそう思うなんて、どうかしている。
 でも、可愛い。
 一度沸き上がった思いは、なかなか消えないのだと知った。
 そして、そんな自分を面白く思った。
 そうだ。
 悪くない。
 

 山姥切国広は。
 自分がこの本丸に降臨した際、近侍として審神者の背後に控えていた。
 たちのぼる鍛冶場の水蒸気の向こうに、ずいぶん鋭い目をした男がいると気づいた。
 正直、審神者よりも先に目に入ったのが山姥切国広だった。
 緑とも青ともつかない瞳には、天下五剣を呼び寄せたことに対する驚きと成功に対する安堵と、そしてわずかな失望が見えていた。
 自分の成り立ちに対する、ぬぐい切れない劣等感。
 そして、不安。
 頭から深くかぶった布で覆い隠しても、隠し切れないのは己への嫌悪。
 自分は弱くて、醜くて、愛されない。
 かたくなに思い込んで、強固な壁を張り巡らせている。
 寂しい。
 彼の声が、聞こえた気がした。
 弦を弱くつま弾くようにひそりと。
 頼りない、か細い悲鳴。
 それはなんとはかなくて、美しい音か。

「そんなに驚かせてしまうとは・・・」
 言い訳を口にしながらも、目は、金色の髪の間から除く白いうなじにくぎ付けだった。
 なんとなめらかそうな。
「・・・思ってなかったのだ」
 喉が鳴りそうになるのをなんとか抑える。
 吸い寄せられるように首筋に向かって顔を寄せると、ふいにそこがほんのりと桜色に染まった。
「み、みかづき・・・」
 浴衣の襟が大きく開いて、長い首から背中に続く肌がのぞいて見え、そこからほのかな香りがたちのぼる。
「ん?」
 花の香りに蝶が誘われるというのは、このようなことなのだろうか。
 うわの空で答えると、頬に受ける熱も香りも強くなったように感じた。
「たの・・む。ちょっと・・・ちょっと待ってくれ」
 なにを?
 疑問がよぎるが、とりあえず返す。
「あいわかった」
 手のひらと、指先に感じる熱。
 せわしなく動く背の中の、筋肉と血と。
 鋼を鍛えて造られた刀剣とは、異なるこの身体は。
 なんとも不思議で。
 なんと、魅惑的なのだろう。
 そして、己の中から更なる衝動が溢れ出て止まらない。
 そろりとにじり寄り、身体と身体の空間を埋めてしまうと、ふいに闇が濃くなった気がした。
 だけど、彼の姿かたちはよく見える。
「ちょっ・・・、みか・・・」
 赤く熟れた山姥切の耳に唇を寄せて、あともう少しで触れられるその時に。
「ぐ・・・ぐぐう・・・」
 盛大に腹の虫が鳴いて、その哀れな音は部屋中に響き渡った。
「・・・」
「・・・・・・」
 お互い、しばし無言になる。
 だが。
「・・・・ふ。ふふ・・・ふふふ・・・」
 思わず我慢できずに噴き出したのは自分だった。
「あ・・・っ」
 耳のみならず、全身、真っ赤に熟れているだろう山姥切国広がさらに背中を丸めて小さくなる。
「ふふふ・・・。そうさな。腹も減っておろう。ずっと眠り続けたのだから」
「う・・・。うるさい」
 恥ずかしがって、消えてなくなりたいといわんばかりのその様は、戦場では鬼神と呼ばれる彼の日常とは遠くかけ離れていた。
 ああ可愛い。
 なんて可愛いのだろう、この男は。
 頭から食べてしまいたくなる。
「はは・・・ははは。実は私も腹が減っておる。物凄く減っていて、布団でも食べてしまえる勢いだ」
「いや、それはちょっと待て」
 慌てて起き上がった山姥切の、寝乱れた姿は本当に魅惑的で。
 食べてしまいたいのはお前だと、正直に言ってしまいたいところだが。
「布団は、いかん。三日月」
 お前の、その生真面目な性格に免じてやろう。
 今夜のところは。
「なら、そこの重箱は良いか。少し前に乱が持ってきた」
「重箱はいかんが、その中はたぶん良い」
 本当にどうかしている。
 こんな頓珍漢な言葉すら、甘く感じるなんて。
「じゃあ、そこの饅頭は?」
「まんじゅう・・・」
 視線をやった途端、彼の瞳がきらりと輝いた。
 いや、顔いっぱいに喜びの色が浮かんで、きらきら光を放っている。
 なんて、解り易い。
「・・・もしかして、好きか?饅頭」
「好きだ。とくにこれは芋がうまい。だけど、あんたが食べろ」
 ものすごく腹が減っているくせに。
 俺の嘘を心底信じているお前はなんて可愛いのだろう。
「・・・たくさんあるから、ともに食べよう」
「あんたが、それでいいなら」
 布団から出て行燈の灯りをともし、重箱を開いて並べ酒や膳の支度を手際よく行う山姥切の姿を、胡坐をかいて眺める。
 そして、ふと障子越しの月明かりに気付いた彼は桟に手を当て開いた。
 ちょうど正面に浮かぶのはやや太り始めた半月。
「ほう。上弦の月か。よいな」
「見ながら食うか?」
「・・・そうだな」
 月見ができるよう席を設え直し、山姥切が着座を促す。
 並んで座ると、白磁の盃に酒を注がれた。
「ほら。どれでも食べたいものから食べろ」
 ぶっきらぼうな口ぶりも、
 健気な心根も、
 そして、白い光に照らされ玲瓏としたその頬も。
「・・・うまいものだな」
「ああ」

 いとしい。

 ふいに言葉が心の中に降ってきた。
 いとしい、とは。
 なんと。

「なんと、まあ・・・」
「・・・どうした?」

 月が、笑う。




 -完-


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