『野分-4-』





 気が付いたら、薄靄の中だった。
 何も見えない。
 そして何も感じないことにわずかな不安を感じるが、大きく息を一つつき、平常心をなんとか保とうと努力した。
 とりあえず前に足を動かしているうちに、だんだんと正面から暖かい風と低い地鳴りのようなものを感じていく。
「あそこか・・・」

 青龍の滝へ行く前に、潔斎の着物を身に着ける時に石切丸からいくつかの説明と指示を受けた。
 青龍の玉の中と外では時間の流れが少し違うこと。
 入ってすぐのいわば玉のへりは何があっても危険はないから、とりあえず適当に進めば大丈夫。
 どうあってもいずれは目的の場所にたどり着く。
 山姥切国広がいるのは玉の核。
 そして。
 彼は、想像を絶する姿に変わり果てている。
 さらに。
 すでに、正気を失っている可能性も高い。

 もしも、心も身体も闇に喰われていると見て取れた場合…。
 即時離脱を決行せよ。

『君も、この城にはなくてはならない存在だ、燭台切光忠』
 石切丸は歌うように囁いた。
『君だけは、絶対に失うわけにはいかない』
 冷酷極まりない言葉を紡ぐのに、端正な顔に浮かぶのはとろけるような笑み。
 氷のような固い指先が、すっと頬を撫でた。
『忘れては困る。これは純然たる任務だよ。光忠』

 任務?
 確かにそうだ。
 審神者直々の指令で各自動いているのだ、間違いない。
 ・・・だけど。
 俺は。


【・・・ダ、レダ】
 低い、獣の唸り声のような音が聞こえた。
 だがその中に言葉らしきものを聞いた気がして、足を止める。
【ク・・ル・・・ナ】
 乳白色の厚い靄の膜の向こうに禍々しい気を感じた。
【・・・クルナ】
 ざらざらとした、声。
【サレ。ク、クダ・・イテ、シマエ】
 絞り出すような言葉に、膜に両手を当てて呼びかけた。
「山姥切!!」
 膜が、ぴくりと揺らいだ。
「・・・僕だ。燭台切だ」
【・・・シラ・・ヌ。シラヌ。・・・シラヌ!!】
 ごおおっと、まるで、虎の咆哮のような叫びが耳の鼓膜をびりびりと震わせた。
 知らぬ?
 嘘だ。
 不器用な山姥切国広そのままの、叫び。
「・・・小雲雀は、本丸に戻ってこなかったよ」
 ぽつりと、罠を放つ。
「帰りを待っていたのに、戻ってこなかったんだ」
 途端に、ぐん、と膜の向こうがざわめく。
【・・・ナゼ、ソンナ・・・バカナッ!!】
 ざわざわと、蠢く気配。
 間違いない、と、柄を握る手に力を込めた。
「戻れるわけ、ないじゃないか。君が・・・」
 そして。
「君が、こんな所にいるんだからね!!」
【ヤメロ、ショクダイギリ!!クルナ!!】
 素早く抜いた刀を膜に向かって振り下ろした。

 ほら。
 やっぱり。
 君は、君のままじゃないか。

 ビョウ!!
 空間を切り裂いた瞬間、強い熱風が噴き出して燭台切の身体を押し返す。
「・・・っ!!」
 危うく吹き飛ばされそうになったが、とっさに刀を足元に突き刺して掴まり、なんとかとどまれた。
 ある程度手ほどきを受けたとはいえ、この玉の中ことは予測不能だ。
 そもそも石切丸たちにもわからぬことだらけで、書庫の中にある遠い昔の口伝を集めて記したものを読み開いて推測したらしい。
 青龍の珠、もしくは青龍の繭。
 これが発現するのはそうあることではなく、ほとんどの情報を得られなかった。こうなると未知の世界への挑戦となる。
 だからこれからの行動に多少無様な姿をさらすことになったとしても、諦めない。
 そう、決めて足を今一歩前に進めた。
 荒れ狂う風の向こうから、ひび割れた声が呪詛のように流れてきた。
【クルナ・・・クルナクルナクルナ】
 ふと足元を見ると、赤い文字が走り回っている。
【コロス、キル、クウ、オマエヲクウ、キリサク・・・】
 それはちかちかと光りながら、散らばったり、集まったりを繰り返しながら色々な国の言葉に変化していく。
【サケロ、チラバレ、イネ・・・】
「なるほど・・・」
 これが、殺戮衝動の呪詛か。
 一瞬、片仮名に変わったのを運よく目撃して、ようやく理解する。
 熱湯から沸き上がる蒸気のようにもくもくと立ち上がりつづける霧に邪魔されながらも、なんとか文字をたどった先に、青銅のような色をした塊を見つけた。
【コロス・・・、コロセ、ニゲロ、コロス、コロス、コロス・・・ッ】
 ごうごうと唸りをあげながら、塊が叫ぶ。
 それの中心には、黒く焦げて形をとどめぬ棒状のものがまるで杭のように刺さってた。
【デテイケ・・・】
 ゾロリ、と、地を這う虫のように蠢く。
「く・・・っ」
 強風の力に押されて薄目程度にしか目を開けていられない。
【デテイケ・・・】
 しかし、細い、腕や足らしきものが一瞬見えたような気がした。
 四肢の角度から骨格を想像すると、だんだん姿が見えてくる。
 腹ばいで、頭を低く下げ、平伏したような体制をとり、顔が見えない。
 衣服らしいものは身につけていなかった。
 全裸で縮こまる、細くて、小さな身体。
 頭にかぶっていた白い被布は、滝の傍で血にまみれ落ちていたのを乱藤四郎が見つけた。
 ならば、頭から地に向かって散らばる真っ黒な覆いのようなものは、彼の頭から伸びた髪なのだろうか。
 痩せはてて、骨ばかりの背中。
 そしてまるで体の一部のように天に向かって不自然に突き出た黒いものは、刀の半分に折れた剣先が背中から刺さったものだと気づき、喉の奥がかっと熱くなった。
 指らしきものが懸命に空間をひっかき、その指先から赤い文字が流れ出ては飛び散る。
 身体から生み出されては広がりつづける赤い文字と対照的に、青い呪文は全身にとどまり駆け巡り続けていた。
【クルナ…】
 ずずっと、塊が後退する。
『繭の中の時間の方が、おそらく外界よりかなり早い。我らにはたった数刻の出来事でも、山姥切にとっては数日、いやもっと経っている可能性が高い』
 長い時間苛まれ続けた山姥切に、俊敏に動く力なんてもはや残っていない。
 それでも。
 彼は、必死に後ずさりをしようとしているのだ。
 誰にも、見られたくはなかっただろう。
 死ぬつもりで刀剣を折り、滝つぼに身を投げた。
 なのに、生かされ続けている。
 青龍の慈悲は、残酷極まりないものだった。
 発狂してもおかしくない、この何もない世界で、山姥切は独り耐えてきたのだ。
 大きく、前へと一歩踏み出す。
【サレ、イケ、クルナ、コロス、コロス、コロスコロスコロスーッ!!】
 悲痛な叫びが、聞こえた。
 山姥切は、言葉を知らない。
 だから、「来るな」とか、「殺す」くらいの稚拙な言葉しか思いつかない。
 不器用で、一途で、偽ることができない男。
 そんな君だから。
「山姥切・・・」
 さらに一歩踏み出そうとして、ふと、右目の眼帯に手をやった。
 穢れに犯された山姥切が自刃してもなお破壊されずに済んだのは、ここが青龍の結界だったからと言う単純な理由ではおさまらない。
 彼の知らない所で、事前に守りの術が施されてた。
 それを仕組んだのは太郎太刀と石切丸、そして乱藤四郎。
 戦場の真っただ中だとかなり無鉄砲な行動に出る山姥切の性質に危惧を抱いた三人が、彼の衣類の全てに魔除けをひそかに縫い込んだという。
 実際、こうしてなんとか山姥切は生きている。
 はぎれの一部も残っていないのは、それらの保護術が使い果たされてしまった証拠に他ならない。
 彼らの想いが、ぎりぎりのところで山姥切を救った。
 たとえ首の皮一枚程度だとしても、それらがなかったら今頃どうなっていたかわからない。
 そして。
 この、眼帯にもまた。
『この眼帯は、君の生命線だよ。これを通して外界の僕たちに中の情報が送り届けられ、君に危険が及ぶと判断したら、引き戻せるだけの術がかけてある』
 例えば、我を忘れた山姥切に殺されそうだと石切丸が察知したら、燭台切自身を繭の世界から救出することができるという説明だった。
『だから安心していっておいでというわけにはさすがにいかないと思うけど。とにかく、君の命の保証は僕がする』
 石切丸の言葉に嘘はない。
 実際にもしもこれから殺戮衝動に負けた山姥切に食い殺されそうになった時、全力で助けようとしてくれるだろう。
 だけど、それは。
「フェアじゃないと思うんだよね」
 眼帯を強く握り込み、勢いよく引っ張った。
 ぶつっと、紐の千切れる音が、思ったより大きく響く。
 そして大きな風が足元から吹き上がり、開いた手のひらから眼帯は吹き飛び、広くもあり狭くも感じる空間の中、薄霧に飲み込まれやがて見えなくなった。
【・・・・っ】
 息をのむ気配を感じ前方を見ると、こんな最中にも艶めいた輝きを放つ黒い幕の隙間から驚愕に目を開ききった顔が見えた。
【ナニヲ・・・】
 そもそも、普段から眼帯に微量の術がかけられていることは、誰もが知っていた。
 なぜなら、自分の右目は異質なものだったからだ。
 邪眼。
 前に仕えた審神者は、そう呼んだ。
 禍々しい目だと。
 こうなった今。
「さあ、どうなるかな・・・」
 自然と、笑みが広がる。


 -つづく-

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