『野分-5-』



「・・・くっ・・・。あの馬鹿!!」
 構えの体制を解いて、石切丸は拳を地面に打ち付けた。
「こんな時に、男気なんか見せて、何になる!!」
 おおどかな物腰で知られる石切丸の豹変ぶりに、対岸にいる刀剣たちも驚きに身じろぐ。
「・・・気配が、消えたな。どういうことだ?」
 青龍の玉が燭台切光忠を飲み込んで閉じた瞬間から、全てを任せのんきに胡坐をかき膝に肘をついて片頬を預けていた三日月宗近が、静かに尋ねる。
「・・・燭台切自ら、防御の術を解きました。こうなると、私の方から彼を強制的に回収することができない」
 燭台切の右目を覆う眼帯は、彼の特異な瞳から入る災いを防ぎ、かつ、今回は青龍の繭の外にいる石切丸との間をつなぐ術が施されており、めったなことでは外れないよう強固な造りにした筈だった。
 ただし、何らかの事情で已む得ず外さねばならない場合を考えて、自らの意思ならば簡単に解けるようにもしていた。
「おそらくは、援護なしで事に当たりたいと思ったのではないかと・・・」
 ぎり、と、奥歯をかみしめ、石切丸は己の中の怒りを鎮めようとしているが、折角の御膳立てを無にされた屈辱に、つい、本音が漏れた。
「どんなに格好つけたところで最悪の結果を招いたなら、ただのうつけでしかないというに・・・」
「・・・ほう?これはまた、おもしろくなってきたな」
 燭台切が結界に侵入してまだほんの数刻あまり。
 あちらの方が時間の流れが確実に速いようだが、それにしても決断が早すぎる。
「要するに、あれは写しに惚れているのか?」
「・・・今更、無粋な事言い出すんじゃねえ、じじい」
 両手の構えを解いたものの、光の繭に向かって警戒の姿勢を崩さない薬研藤四郎がいらだちもあらわな声色で制した。
「命かけるってのはそういうもんだろ。察しろよ。そんで、胸の奥深くに刻んで口閉じてろよ」
「はっはっはー。なかなか良い男だのう、お前も、光忠も」
「うるせえ、だまってろ、くそじじい」
「薬研をからかうのも、ほどほどになさってください、三日月様」
 地面に手を置き、次の方策を練るために玉の様子を探っていたらしい石切丸は、ふうっと息をついてたしなめる。
「こういう時に役に立つのは燭台切で、私には不得手なだけに肩の荷が重い」
「ほう?色事はあれが上手いか」
「いえ、そちらではなく、この場の納め方です」
 悔しいが、統率力において彼にはかなわないと思うことがある。
 いつでも裏方に徹し、さりげなく手を差し伸べる。彼の何事も気取られない手腕は大したものだと、後になって舌を巻くことが多い。
 『この城にはなくてはならない存在だ』と告げたのは、本心からだ。
 今の審神者に仕える個性豊かな刀剣たちを束ねるには、彼の力がぜひとも必要だ。
 だからこそ、自分も全力で事に当たっているというのに。
「・・・ほう?」
 ますます興味があるのう、と、三日月はにんまりと笑う。
「さっさと片付けて、宴でも催したいものだの」
「・・・まあ、それについては同感ですね」

 早く、戻って来い。
 燭台切光忠、そして、山姥切国広。
 無事に、どちらも欠けることなく。
 

  豊かな水が滝つぼに落ち、篝火がぱちりぱちりと火の粉を上げながら爆ぜる音を立てる以外は、何も起こることのない夜の闇の中、それぞれ地面に座して時が過ぎるのを待っていた。
 静けさが、重しのように六人の肩に覆いかぶさる。
 石切丸と薬研が事前に調べた限りでは、遅くとも明け方近くに結果が出ると推測された。
 長丁場を予想した薬研が神饌と白湯そして神酒を持ち込んでいたため、各々それを口にしながら結界を見守り続けている。
 神酒で唇を湿しながら、三日月宗近はゆるりと言葉を発した。
「あれは、喧嘩祭り、みたいなものかの・・・」
「・・・ああ、なるほど。まさにと言うべきでしょうか」
「喧嘩祭り?なんだそれ」
 利発ではあるが、まだ若い薬研藤四郎が首をかしげる。
「現世でも少しは残っておるだろう。主に神輿同士をぶつけ合うものを指すが、玉せせりとか、荒馬とか、御柱祭とか。まあ、命がけで行う祭りのことだ」
「ああ・・・。そういう祭があるのは知ってる」
 それが何か?と目で問う薬研に、石切丸が変わって説明を始めた。
「あれは若者たちの欲を抑え込むために、先人たちが考え出した策の一つなんだ。表向き神事と言う形をとっているけれど、命ぎりぎりの極限状態まで暴れることによって性欲をある程度沈め、集落で狼藉を働かせない効果があるんだよ。本当に、ある程度、ではあるんだけどね」
 時によっては、取り返しのつかない大けがを負うことになる。
 しかし、その荒々しい祭りが脈々と引き継がれていった理由は、ひとえに略奪と強姦から弱者を守ることにあった。
 正論では、若い男の暴走を止められない。
 労働ではない娯楽の形で、我を忘れ身体を酷使する『何か』が必要だった。
 また、終焉に向けて共に戦った記憶の共有は、若者たちの仲間意識を強固に作り出すことに有効だ。
 それがどこかの土地で祭という形をとり、成功例として広がって行く。
 一年おき、または数年おきにはけ口を作ることにより、ムラの均衡は保たれたのだ。
「欲には、欲・・・ね」
 薬研は軽く肩をすくめ、神饌を口に放り込んで咀嚼した。
「そう。発散させるか、満たすか・・・。生き物としての業かな、こうなると」
「あんたたちの講釈はありがたく拝聴したさ。・・・でもな。この組み合わせの喧嘩祭となると、俺は今から頭が痛いぜ」

 山姥切は、太郎太刀に殺されるなら本望だったかもしれない。
 しかし、変わり果てた姿を見られたくないと思うやも。
 救う手立てを探す最中、薬研は迷いに迷った。
 矢傷を負った山姥切国広から乱藤四郎に託された御守には、どのような意味が込められていたのか。
 全てはそれに尽きる。
 しかしどんなに考えても、愛した者を自らの手で砕くというのは大きな痛手にしかならないという結論しかない。
 まだほんの少し交感しただけの、蜜月真っただ中なら尚更のこと。
 太郎太刀は、すっかり山姥切の虜になっているといっても過言ではなかった。
 そして、それは皆にも言えることだ。
 すでに友として、山姥切はこの陣中に馴染んできた。
 もし、みすみす仲間を殺すことになったなら。
 誰も平静ではいられない。
 だからこそ、彼は、自らを壊した。
 誰にも殺されないことで、誰かを守る。
 完璧に、壊したはずだったのだ。

「なんじゃ、太郎太刀の悋気はそれほど怖いのか」
 あからさまに面白がる神剣に、薬研はぶち切れた。
「あんたのその口と脳みそ、いっそのこと青龍の贄にしてしまえばどうだ?そうすりゃ一気に解決するような気がしてきたよ、俺は」
 薬研は眉間に思いっきりしわを寄せびしりと指さし糾弾すると、三日月は一瞬驚いたように目を見開いた後、へらりと笑った。
「・・・愛いやつ」
「マジで殺っていい?このクソじじい」
 薬研の白い顔が、殺気にますます白み、全身が青い焔に包まれる。
「おお怖・・・。しかし、ますます気に入った」
「三日月様、薬研を口説くのは頼むから後にしてください。これ以上のお戯れは、私にも見過ごすことは出来ませんよ」
「なんじゃ、つまらぬのう」
「うちの審神者が知ったら即刻刀壊の憂き目に遭いますよ。それはいくらなんでも不名誉では?」
「まったく、ほんにつまらぬ。些細な暇つぶしも許されぬのか…」
 唇を尖らせ、杯を手のひらでもてあそび始めた三日月の姿は、我慢の利かない子供のようで、どこか愛嬌があり憎めない。
「なんだよ、暇つぶしかよ・・・」
 重たい沈黙よりはましだが、納得のいかない薬研はいらいらと神饌をつかみ取り、口いっぱいにほおばった。


 びいーぃぃぃん。

 弦を強くつま弾いたような音が、あたりに響き渡る。
 そして、水面から一斉に水蒸気のような細かい粒子がぶわりとたちのぼり、玉を包み込んだ。
「・・・っ!!なんだよ、これ」
 それまで思い思いに寛いでいた刀剣たちは瞬時に立ち上がり、身構える。
 目の前の龍玉は一瞬にして夕陽のような色を帯びた。
 そして、ほんの数秒で今度は藍色に染まる。
「・・・石切丸」
 朱と藍の色を交互に繰り返しながら淡い光を放つ龍玉は、まるで呼吸をするかのようにゆっくりと伸縮する。
「手合わせが始まったか?」
三日月宗近が低い声で問うと、地に右手を当てたまま目を瞑っていた石切丸は指先からわずかな情報を読み取ったのか、深いため息をついた。
「その通りです。・・・ただし、燭台切は私が教えた手順をすっ飛ばした・・・と言うか無視し、まったくの我流で挑んでいます。おそらくは、ですが」
「ほう?」
「やってはならない・・・。いや、私にはとうてい思いつかなかった、とても危険な手段を用いていることだと思われ・・・」
 平静を装っていたのはそこまでで、石切丸は地につけた拳を強く握り込み、歯ぎしりする。
「・・・っ。あの、馬鹿野郎…っ」
 例えるならば、細い、紡いでもいない絹のようなとても頼りない糸の上を燭台切は歩くことを選んだ。
 ほんの少し、己を間違えると山姥切とともに奈落に落ちて戻れない。
「・・・あいつを送り込んだのが間違いだった・・・」
 石切丸の後悔を、三日月は笑い飛ばす。
「はっ。愚か者はお主じゃ。燭台切は命を丸ごと山姥切に渡したというなら、これでこそ喧嘩祭りよ」

 燭台切光忠。
 傾奇者として知られた織田信長が光忠に銘じて作らせた刀剣の一振で、以後、豊臣秀吉の手に渡って愛用され、更に伊達政宗、水戸徳川家へと持ち主が変わっていく中、誰もが寵愛し、執着し続けたという逸話が残っている。
 最後に水戸家の財宝として重用されてきたが、関東大震災の折に水戸家の宝物蔵が罹災し、そのさなかに扉を開けたことによるバックドラフト現象で焼刀の状態になったという経緯がある。
しかし黒く焼けた姿になってもなお、戦時中の鉄不足による刀剣供出も応じなかったという逸話が残るほどに愛しまれた刀剣。それこそが燭台切光忠の本領なのだと、誰もが思わずにはいられない。
 
「・・・我々は所詮、ただの刀。どのような本質であろうとも、持ち主の性にどうしても引きずられてしまう所があるだろう」
「・・・信長たちの大博打が、燭台切の芯に馴染んでしまったと?」
 異を唱えたい気持ちが心のどこかにあるが、論破できるほどには彼のことを知らなかったのだと、今更石切丸は気づき、ゆっくり頭を振る。
「そうじゃなあ。・・・まあ、あれなら、傾奇者か伊達者と呼ばれたいであろうが」
 ほんのすれ違いのような関わりだったにも関わらず、まるで三日月は燭台切光忠という男をよく知っているかのような口ぶりだ。石切丸が眉を顰めると、国の宝と号された刀が唇をわずかにほころばせた。
「妬くな妬くな。あれとはちと縁があったから言っておる。豊臣の城で奴は秀吉、俺は北の政所に持されていたので、知らぬ仲ではないわ」
 言われてみれば、三日月宗近は北政所から秀吉の形見分けの品として徳川家へ下賜されたと聞いたことがある。
「・・・しかし、燭台切は、そのような風ではありませんでしたね」
「城は広かったし、忘れておるのだろう。それについては不本意だが、焼けたときにこぼれ落ちたなら仕方ない」
 さらりと流して三日月は鼓動しつづける龍玉を眺めやった。
「それにしても羨ましきことよ」
「なにが、ですか・・・」
「命を賭けても良いと思えることが・・・な」
「・・・」
 紗綾形の地模様が施された藍色の絹衣を纏うその姿は、誰よりも高貴で悠然としている。だが、いつも笑みを浮かべたままのその横顔に、どこか空虚なものを石切丸はふいに感じた。
「・・・言葉を変えたところで状況は変わりません、三日月様。こうなってしまった以上、あの馬鹿がどう始末をつけるか、とくと見物させてもらうしか、我らにできることはありませんがね」
「なんじゃ、解っているではないか」
「解るからと言って、納得できるわけはないのです」
「まあ、それが情と言うものよの」
 龍玉は色を次々と変えながら回り始め、やがてそれは、紫色に染まっていった。
「至極色か・・・。龍もなかなか粋なことを」
 最高位の官服に用いられていた衣に似た濃い紫色の珠を、水面から沸き上がり続ける水煙が柔らかく包み込む。
「あれたちは、何を思っているであろうな」
「・・・さあ」

 欲の炎に焼かれ、焼き尽くされた果てに何があるのか。
 今となっては誰にもわからない。
 ただただ、彼らの未来を、ひたすら祈り続けた。
 生きて、戻れと。



 -つづく-

→ 『野分-6-』 へすすむ

→ 『刀剣乱舞』シリーズ入り口へ戻る

→ 『過去作品入り口』へ戻る

inserted by FC2 system