『野分-6-』


 ちりちりと肌を焼くほどの熱風を心地よいとまで思えるのは、自分がこの状況を楽しんでいるのか、それとも。
「染まってきているのかな、僕も」
 燭台切の頬に、柔らかな笑みが浮かんだ。
 ひとあし、ひとあし。
 足を進めるごとに、異界に思えた空間が馴染んでいく。
 もはや呼吸もあまり苦しくなく、取り巻く大気もその流れに身を任せてみると、それがとても自然な気がしてくる。
 そして。
 もうすでに尽きたはずの力を振り絞って後ずさりをしようともがく、山姥切の姿にも。
「山姥切」
 地に膝をつき、指先をそっと伸ばして、重たげに頭を、そして体全体を覆う黒い帳に触れた。
【・・・・ッ!サワルナ!】
 僅かな接触を敏感に感じ、払いのけようとした手をすかさず捕らえる。
【ハナセ・・・】
 すっかり薄く衰えてしまった手のひら。そして、骨ばかりの指。
 掬い上げた手の、指と指を深く合わせてみて初めて、強く握り込んだ燭台切を振り払う力など、山姥切にはとうになかったのだと実感した。
 ぜいぜいと息を荒げて必死で抵抗を試みているようだが、児戯に等しい。
 高く引き上げた腕の細さ、そしてうねうねと巻き付く黒い絹糸から覗く骨ばった肩が痛々しさを増す。
 青銅色に染まりきった肌は、これでは到底人とは思えないだろうと視覚に訴えている。
 それでも。
 合わせた手のひらに伝わる僅かな温もりと微かな脈拍が、その異様な皮膚の下に生きる者の命が宿っていることを教えてくれた。
「山姥切」
 指先と、声に力を込め、呼びかける。
【・・・ハナセ】
 ほんのわずかに覗く細い鼻梁、そして、かさかさに乾いた薄い唇。
 こんな時だと言うのに、なんて整った造作だと見入ってしまう。
【ハナセ・・・、ニゲロ】
 がさついて、しわがれた声。
 でも、ガラスのように硬質で澄んだ音色を思い出す。
【ハナレロ】
「いやだね」
 答えると、なおも抵抗を試みる。
【ハナセ】
「いやだってば」
【・・・】
 もぞりと身じろぐと青銅色の皮膚の上を長い黒髪がこぼれ落ちた。いたたまれなさそうに縮こまる姿に、彼は身体を隠したがっているのだとようやく思い至り、おもわず笑みを浮かべてしまう。
「ごめん。でも、今は手を離せないよ、山姥切」
【・・・ッ】
 馬鹿にしたつもりはないけれど、どうやら山姥切を怒らせてしまったらしい。
 触れている部分が少しずつ温まってきているのを感じる。
 それは、彼の意識が、そして彼の中の欲の矛先が、少しずつ自分に向かってきているのではないかと思うから、離すことは出来ない。
【ハナセ】
「いやだよ」
 何度も何度も同じ応酬を繰り返しながら、握り込んだ山姥切の手と自らを見比べる。
 彼の手をどんなに強く握ってみても、その身体を駆け巡る呪術は決して燭台切の方へは移ってこない。まるで二人の間に結界を張られているかのように、山姥切の身体から離れていこうとしないのだ。
 それは、術にかかった山姥切を青龍の滝まで運んだ馬の小雲雀も同じ様子だった。
 しかし、石切丸と薬研は『感染する』と言いきっていた。
 少なくとも、付喪神である自分たち、および審神者には。
 そもそもそれが、敵の狙いだったはずだ。
 ところが一向に事態は変わることなく、呪文は山姥切の肌の上を駆け巡り続けている。
「君って人は・・・」
 こんな状況に至ってもなお、戦うことをやめようとしないのか。
 その姿勢と、ストイックを通り越して頑固としか言いようのない自制心にはいつもながら感服する。
 だけど、それにも限度がある。
「この世界に、天と地があるようには見えないけれど・・・」
 ひとりごちると、今まで隠れて見えなかった瞳が黒髪の隙間から現れた。
 仲間の一人が『白群』と称した薄水色の瞳は濃い藍色へと変化している。
 呪われて、正気を失う寸前のはずなのに、それでも端正な面差しに変わりはない。
 まるで、ブロンズ像に青い輝石をはめ込んだようで、これはこれで美しい。
「ラピスラズリみたいな瞳も似合うね、君」
【・・・ナニ】
 自分がろくでもないことを考えていることに、聡い山姥切が気付かぬはずはなく。
「うん。やっぱり、僕にはこれしか思いつかないんだ」
 握り込んでいた彼の手の、傷だらけの指先に唇をつけた。
 唇に、ぴりりと、僅かな痺れが走る。
【マテ、マッテクレ、ショクダイギリ、ダメダ、・・・ミツ、タダ】
 あの山姥切国広が、自分の名を呼び、懇願している。
 まるで、泣いているかのような声。
「・・・そう。僕の名前だけを呼んで。これから、ずっと」
 その唇が紡いでいいのは、目の前にいる男の名だけだ。
【ダメ・・・ダ】
 その弱々しい拒絶が、逆に男の欲をそそるのだと彼は知らない。
「いくよ」

 制止も懇願も何もかも。
 彼の意思を踏みにじって、腕の中に囲い込んだ。
 素早く捕らえて、つよく、強く両腕で抱きしめて。
 山姥切と、山姥切を貫く刀剣の、両方を。

【イヤダ、燭台切・・・!】

 痛みも、苦しみも。
 分かち合わなければ、意味がない。
 そうだろう?石切丸。


 -つづく-

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