『野分-7-』


 龍玉が、回り続ける。
 藍と朱の間を行ったり来たりしながらくるくると、天と地を軸にして回り続ける。
 四方を守る刀剣たちと、東の陣営に座する石切丸と三日月はただひたすら待った。
 しかるべき、時が来るのを。
「石切丸」
 地に手のひらを当てて目を瞑ったままの石切丸に、三日月は問う。
「視えるか?」
「ぼんやりと。声まではこんはさすがに拾えませんが・・・」
 手のひらの下は、青龍の聖域。
 すなわち山姥切と燭台切を包み込んだ龍玉にも通じているため、わずかな気配を頼りに石切丸は彼らの動向を読み取ろうとしていた。
「ほどほどで十分だろう。覗き見もなかなか楽しいが、秘め事は秘してこそ旨味があるってものよ」
「おい、じじい・・・」
 未だに面白がっているそぶりの三日月に片眉を跳ね上げた薬研が口を開きかけるが、何事かを察知するなり姿勢を正し、龍玉に背を向ける型に構えを変えた。
「・・・来る」
 ざわりと、空気が動き、東の結界近くにある鳥居が光を帯び始める。
「小狐丸はいったい何を・・・。いや、次郎太刀も帰還したからか」
 石切丸は姿勢を崩さぬまま、深いため息をつく。
 閃光とともに風が地から吹きあがり、草木が大きく音を立てた。
 ゆるりと立ち上がり三日月は鳥居から光とともに現れた侵入者に声をかける。
「難儀な事よ・・・」
 三日月宗近に劣らぬ高貴な薫りを纏い、上質な輝きを放つ漆黒の絹衣を纏った長身の刀剣。
 熱田神宮に奉納され、敬われ続けた一振りの大太刀。
「大人しくしておれと、審神者たちに諫められたであろうに・・・」
 宝剣のずけずけとした物言いに、ちらと冷たい視線をくれてやる瞳は金色。
 切れ長の目尻に薄く刷いた朱が、清廉ともいえる容貌をより人形めいた姿に装わせる。
「太郎太刀。そなたはいったい何をしに来た」
「なにを・・・?」
 刀剣たちの非難めいた視線を黙殺し、静かに結界の中心へと足を進める。
「・・・私にそれを尋ねますか、あなた方が」
 そして、浮かべた微笑は冴え冴えとしたもので。
「山姥切国広は、どこですか」
 身の丈を超す大太刀を軽々と携えて迷いなく石切丸の傍らに立ち、静かに、揺るがぬ声で尋ねた。
「見ての通り、そこで回転している珠の中だよ」
 手を這わせた地面を強く見つめたまま、石切丸は返す。
「なるほど」
 聞くなり一歩踏み出そうとした太郎太刀の前に、小柄な身体が割り込んだ。
「気安く入ろうなどと思うなよ。龍玉の中は満員御礼だからな」
「どいて下さい、薬研藤四郎」
「この大馬鹿野郎・・・!少しは頭で考えろよ」
 さらに一歩詰めようとした太郎太刀の鳩尾に、薬研は短刀の柄を強く押し当て、低く唸る。
「あんたはたった今着いたばかりだから、状況が全く読めていねえんだろうけどな。こう見えても事態はめちゃくちゃ緊迫してんだよ。ただ引っ掻き回すだけのつもりなら、とっとと帰んな」
「・・・」
 薬研の気迫に、さすがの太郎太刀も足を止めた。
「そもそも、打刀か太刀でないと山姥切国広を救うことは出来ないと、本丸で説明を受けただろう、太郎太刀」
 ぽつりと石切丸は言う。
「そして残念ながら、あの龍玉とこちらの世界の時間の流れがかなり違う」
「ええ・・・。それも聞きました」
「燭台切があれの中に入ったのは、正直なところ君が本丸に帰着する寸前ぐらいだったのかもしれない。それを考えたら僅かな時間に思えるだろう。だけど、その些細な間に我々の予想外なことが起こり、色々事態が変わってしまった。・・・まず」
 ふっと息をついて地面から手を放し、大太刀を見上げた。
「山姥切国広が自らを折っただけではなく、その刃が深々と身体を貫いている」
「・・・なっ・・・!」
「そのまま刀ともどもこの滝つぼに身を投げた後、青龍により龍玉に封じ込められたおかげで一命をとりとめた。だがしかし我々の到着までの間に術が完全に回り切り、身も心もこの世ならざる姿に変わり果ててしまった。まあ、ここまでは僕の予想の範疇ではあったから驚かない。でもね」
 両手を膝の上にきちんとそろえ、背筋を伸ばして正座した石切丸は静かな視線を太郎太刀に注ぐ。
「よもや、燭台切がその刃に自ら貫かれに行こうとは、予測していなかった」
「え・・・?」
「は?」
「おい」
「・・・なんと」
 刀剣たちすら初めて知る情報に、それぞれ驚きの声を上げた。
「ちょっとまって、どういうこと!!」
 朱雀の方角を守る乱藤四郎が叫ぶ。
「・・・つまり。虫の標本みたいに背中から刀剣に貫かれていた山姥切を、燭台切が正面から抱きしめた。しっかりとね」
「それって・・・」
 折れていたとしても打刀の刃は長い。
 山姥切の身体をしっかりと貫通し、鳩尾から飛び出した切っ先を正面から受けたなら。
「見ようによっては、ほぼ心中だね。ただし彼も馬鹿じゃない。龍玉の中で致命傷を負ったところで容易く死ねないのは、目の前の山姥切が証明している。だからこそ、そんな思い切った策に出たんだろう」
「・・・なるほどな。それで『あの馬鹿』か」
 三日月が石切丸の過去の発言をそらんじる。
「・・・そうです。僕なら、そんな方法はとらない。・・・いや、思いつかなかった」
「・・・申し訳ないですが話が分かりません、石切丸。その、心中まがいの方策に、何の効果が?」
 僅かにかすれた陰鬱な声が、二人の間に割って入った。
「ここからは予測でしかないけれど。燭台切は触れただけでは駄目だと判断したのではないかと思う。山姥切を取り戻すには、彼と同じ術に罹り、同じ傷を負い、苦しみを分かち合わなければらないと・・・。言い換えるなら」
 石切丸が息をつくと、太郎太刀の鋭い眼差しが続きを早くと迫る。
「山姥切と燭台切が同じ炉の中に投じられたと想像した方が早いかもしれない。灼熱に溶かされて、取り出され、再び鍛えられて、二振りの刀に戻る・・・それが燭台切の目論見ではないかと・・・」
 石切丸が燭台切に指示したのは、そんな無鉄砲な方法ではない。
 いくつか術のさわりを試して、それらが効かなかったら撤収するようにと何度も言い含めた。
 調べた限りでは前例がほとんどなく、手探りの状態だったからだ。
「そんなことが・・・出来るのですか、本当に?」
 太郎太刀は力なく問いを重ねる。
 ここへ突入する前に本丸残留組が更に調べたはずだが、打開策らしいものはなにも見つからなかったのは、彼の様子を見れば明らかだ。
「僕にもわからない。でも」
 茫然と立ち尽くす男から顔を背け、結界の中心を見据えた。
「もう、始まってしまった・・・」
 宙に浮かぶ不可思議な存在は、例えようのない色と光を放ち続けながらもますます回る速度を上げていく。
「私に・・・。出来ることは、なにもない。・・・ということですね」
 胸の奥から絞り出したような、とぎれとぎれの苦しげな声。
 しかし、太郎太刀の顔はつくりもののように冷たいまま。
「・・・今は、残念ながら」
 でも、それは誰もが同じことで。
 誰もが、歯がゆい思いをしている。
 だが太郎太刀にとって、この場にいるというのは…。
「・・・本丸に戻るかい?」
 何をどう言い繕っても、この龍玉の中で二人が深く交わらねば終わらぬことは変わりない。
 術が解けるまで珠の中は決して見えない。
 だからこそ、色々な思いが太郎太刀を苛むだろう。
 ようやく心が通じた喜びもつかの間で、山姥切と引き裂かれてしまった。
「・・・いいえ。ここにいさせてください。お願いします」
 金色の瞳に映るのは、いったいどんな景色なのか。
「・・・せめて、無事を祈りながらここで待っていたい」
 すべては、ことが終わるのを待つのみ。
「君が、そうしたいなら」

 邪神も、龍神も、なんと残酷なことをしてくれたものか。

 沈黙が降りた中、滝の放つ清らかな水しぶきが変わることなく宙を舞い、闇の奥へと流れていった。



 -つづく-

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