『小夜風』



 ぼんやりと、光が身体を満たしていく。

『さすがは、国広。すばらしい出来映え』
 勢い込んだ男の張りのある声に、意識がすうっと内側へ、形を伴っていった。

 最初に目に入ったのは、圧倒的な霊力。
 隣に横たわるそれは、静謐な空気をまとっている。
 「かの者」は全てが美しかった。
 なめらかな肌、艶やかな長い髪、優雅な手足は指先まで整い、閉じられた瞼を長い睫が縁取る。
 神、と呼ぶべき姿。
 並べられ、検分され、つきりと痛みを覚えた。

 いきなり自身を乱暴にわしづかみにされ、掲げられる。
『本科に負けず劣らず美しい。いや、それ以上だ』
 熱に浮かされたような讃辞を、しわがれた声が即座に否定する。
『いいえ、顕長さま。写しは所詮、偽のもの』
『・・・国広よ』
 咎める主君に、老いた男が淡々と答える。
『決して越えることはありません。・・・越えてはならないのです』
『そして・・・』
 落胆のため息が、全身を包み込み、冷え冷えとした闇へと引きずり込む。
『私がこれ以上の刀を作ることは出来ますまい』
 深い、深い、絶望の淵に立つ男の、慟哭とも言える言葉が続く。
『つまりは・・・』
 言葉が、いくつもの刃となって振り下ろされた。
『私自身もこの刀を越えることは出来ぬまま、老いさらばえていくのです』

【・・・己の技量を悟ったことだけは、褒めてやろう】

 りん、とした声が耳を叩く。

 振り向くと、ただならぬ光と力が沸き上がっていた。
 ふいに、「本科」の瞳が開く。
 深い、深い蒼の瞳がぎらりと光り、嗤う。
【褒美に、しばし時をくれてやる。似ても似つかぬ無様な刀を生み出したことを恥じ続けるが良い】
 禍々しい色をした力が、老鍛冶の身体に流れ込んでいくのを、息を呑んで見つめ続けるしかなかった。
 人間たちは、宝刀の及ぼす力に気が付かず、何事か話を続けている。

「あなたは・・・。いえ、あなたさまはいったい・・・」
 初めて発した己の声は、ざらざらとした音の集まりで。
【我は、山姥切。それも解らぬのか】
 鋭い瞳に、切り裂かれる。
【我の姿を写し取るために、そなたは生まれた。・・・が、なんと不格好ななりよ】
 なんと無様な。
 あしざまに笑われ、顔を両手で隠した。
【そなたは、その醜い姿をさらし続けるのだ。とこしえに】
 それが、自分に下された罰。
【去ね。醜い、にせものよ】
 あなたは美しく、
 私は、醜い。
 それが、この世界の全てだと、知る。


 この世には二つの姿が存在する。
 一つは、魂を奪われるほどに美しく
 一つは、目を背けたくなるほど醜い。

 琴を、戯れにつま弾きながら少女は答える。
「あなたがどう思おうと、変える気はないわ。統率はあなた」
 審神者と呼ばれる彼女の瞳は、くせもの揃いの憑喪神たちを束ねる、霊力と生に溢れていた。
「しかし・・・」
 己が『写し』として作刀された天正十八年(西暦1590年)から長い時が過ぎ、今は西暦2205年。
 眠りに沈んでいた刀剣たちは審神者に召還され、歴史を密かに塗り替えるために過去に潜入しようとする『歴史修正主義者』を追撃すべく送り込まれた。
 戦場はいずれも歴史に刻まれ、記憶に残る場所ばかり。
 それらを駆け巡り、名だたる刀剣たちと隊を組んで戦わねばならない。
 当然、戦の勝敗は戦隊の編成とそれを指揮する者の力量に大きく左右された。
「異議を唱えているのはあなただけよ。今まで誰も何も言ってこなかったわよ?」
「だが・・・」
 ぽろん、と、雫のように音が落ちる。
「じゃあ聞くけど、誰が最適だというの?」
「・・・お・・・」
「大倶利伽羅?今遠征にでてるでしょ?」
「いやそうでなくて・・・」
 言いあぐねると何かを察したのか、刀の巫女はくすりと笑った。
「・・・ああ。大太刀連中はだめよ。あれらは見栄えと馬力は良いが、起動が遅すぎる。振り下ろすまでどれだけ時間がかかると思うの。視野が広くて機敏でないと判断つかないし、みんなが困るでしょ」
「そんな・・・」
「そんなはずはないなんて言わないで。あなた、この部隊の何を見てるの?」
「・・・」
「不思議ね。敵のことは誰よりも目端が利くのに、味方の想いが解らないなんて」
「・・・俺は」
 ぴしゃりと、音で先を立たれる。
「ねえ、国広の山姥切」
 小さな指先は糸をかき乱し、押し寄せてくる漣の中から凛とした声があらわになる。
「私は、あなたがいいの」
「・・・」
「だから、この話は、おしまい」
 音が、通り抜けていく。


 目の前の敵を全て切り伏せたところで、あたりを見回した。
 太刀、脇差、短刀ともにみな、正確に敵を仕留めていく中、ひときわ目を引く戦場があった。
 ごおん。
 凄まじい地響きとともに、周囲が殲滅していく。
 大柄な身の丈をもってしても越えてしまう大太刀を軽々と操り、群がる敵を一掃する。
 他を寄せ付けない高貴な面差しに清々しい空気をまとい冷静沈着に物事と向き合う。
 居並ぶ刀剣たちの中でも別格の存在。

 彼こそ、神と呼ぶのにふさわしい。

「・・・あぶない!!山姥切!!」
 近くで戦っていた藤四郎の一人の高い声が耳を打つ。
 切り伏せたはずの敵将の一人が息を吹き返したのか、最後の力を振り絞って突っ込んでくる姿が見えた。
 振り返った時には、もう、遅い。
「・・・くっ」
 身体が、敵の暗い思念を深々と受けた。
 喉から血の味がせり上がってくる。
「・・・そう易々とやられると思うか・・・」
 臭気と闇を絡め取りながら、相手の最も淀んだ所に渾身の力を注いだ。
「・・・逝けっ!」
 手応えを感じ、引き裂く。
「・・・っ」
 閃光とともにぱあっと黒いものが粉砕され、霧のように飛び散った。
 怨念の全てが光りに飲み込まれていくのを見送るうちに、己の力もこぼれていくのを感じた。
「・・・っつ」
 がくりと膝を地面についた。
 ぐるりと天地がひっくり返るような揺れを全身で受ける。
「山姥切・・・っ。しっかりして!」
 悲鳴が聞こえる。
 思いの外深手なのか、目の焦点が合わない。
 優しい指先が頬を包み込むを感じた。
 ああ、俺は今、無様にも倒れているのか・・・。
 天からの強い光が瞳を刺す。
 ・・・日輪。
 そうか、神と言うより日輪そのものなのだな・・・。
 ふと唇に笑いがこみ上げてきたその時、揺るぎない声が聞こえる。
「山姥切!!」

 山姥切と、呼ぶな。
 俺は、ただの、写しだ。



 夜露の匂いを感じた。
 自分は、まだ現世にとどまり続けているのか。
 ・・・また、死に損なってしまった。
 これが、自分への罰なのだろうか。
「口を、少し開けて下さい、山姥切」
 下唇を撫でられて、息をつく。
 すると、温かなものが唇を覆い、次にひやりとした水が口腔にゆっくりと流し込まれた。
 喉の奥に到達したそれがしみわたり、どんなに自分が乾いていたかを知る。
「もう一度」
 囁きが唇を湿らせる。
 僅かに開くと、今度はぬるりとした感触とともに甘い蜜を含まされた。
「ん・・・」
 舌と歯列にねっとりとした甘みと少しの力が支配していく。
 ゆるりゆるりとかき回されて、こくりと喉をならすと、口の中からそれは去り、上唇を撫でられた。
「これで、大丈夫」
「は、はいっ!!主さまに報告してきます・・・っ」
 高く少し裏返った声とともに、ばさばさと慌ただしい衣擦れが聞こえる。
 そして、少しもしないうちに近くで何か派手な音も耳に入った。
「あああっ」
 がたん、と何か倒れる振動が背中に伝わる。
「大丈夫ですか?」
「だ、だいじょうぶです。だいじないですう・・・っ。で、で・ではっ!!」
 そして、ばたばたと裸足が立てる音と複数の獣の匂いが遠ざかっていった。
 ふいに額に何かが触れ、そこからじんわりと力が満ちていく。
 いや、まるで先ほど蜜を含んだ時のようにひたひたと浸されていく心地になる。
 唇に、肩に、指先に、そして胸を通り抜けて両足のつま先まで。
「う・・・ん」
 瞼を、押し上げる力を得て、ゆっくり開いた。
 ちろちろと瞬く燭台の灯りと・・・。
「山姥切・・・」
 日輪の光。
「あ、あんたは・・・」
 一瞬にして、現実を知る。
「大太刀の・・・っ」
 慌てて起き上がると、目が回った。
「・・・っ」
「危ない!」
 横倒しになるところを、しっかりとした腕に抱き留められた。
 えも言われぬ高貴な香の匂いとなめらかな絹が頬に当たる。
「なぜ、あんたがここにいる・・・」
 あなたは、輝ける光。
「太郎・・・太刀」
 写しなど、捨て置けばいいのに。

 大太刀の実力者の一人と称される太郎太刀は、その霊力とともに壮麗さでも際立ち、戦場でなくともでなくてはならない存在だ。
 その彼が、三日三晩も看病のため離脱していたという。
「戦は・・・」
 額を指先で抑え、まだぐるぐると回る目をぎゅっと瞑り、声を振り絞った。
「本体指揮なら燭台切が、大太刀は次郎が出た」
 簡潔な答えに、ますます目眩を感じた。
「・・・次郎太刀はこの間負傷したのでは?」
「もう治った。休んでいても酒を飲むだけだからな、あれは」
「しかし・・・」
 今、戦っている敵は油断ならない相手だ。
 もし、彼らの身に何か起こったら・・・。
「山姥切」
 その考えを遮るように、強い力が両肩を包み込む。
 背中に感じる温かい熱。
「・・・あなたが無事で、良かった・・・」
 ふいに、全身を電流のようなものが走った。

 ―無事で良かったと、言っては下さらぬのですね。―

「・・・っ!!」
 両手をついて身体を離そうとしたが、逆に手首を取られてしまう。
「山姥切?」
「俺は、山姥切じゃない!!」
 彼の、まっすぐな瞳を見ることは出来ない。
「俺が切ったのは・・・。山姥などと言う、いるかいないか解らない化け物ではない」
 審神者も、太郎太刀も、真実を見通す目を持つものなら誰でも、もう、とっくに見抜いているだろう。
「生きた、ひとりの若い女だ」
 だけど、あえて言わずにはいられない。
「とよ、と言う名の、気の毒な、か弱い女性だった」
 彼女の、嘆きと血潮が、全身にまとわりついて離れないから。


 思えば、自分が生み出された天正十八年は、既に足利長尾氏当主・顕長の足もとが既にもろくも崩れ始めていた頃だった。
 北条氏政からの信頼のしるしに拝領したのが、本科である「山姥切」。
 そこへ偶然にも足利へ足を向けた刀工の国広と出会い、写しの作刀を依頼した。
 この時、国広は顕長とともに小田原城に籠もって足軽として最後まで残って戦い、互いに生き延び、国広作の山姥切は同じく北条家遺臣の石原甚左衛門の手に渡った。
 そして、仕官先を求めて少ない家来たちと身重の妻を伴い信州を目指していた時に事が起きる。
 先を急ぐ石原にとって、女達は足手まといに他ならなかった。
 妻のとよは十三歳で娶って十数年。
 何度も流産と死産を繰り返し、互いの間に生きている子どもは一人もいない。
 しかし、主君である北条氏の血筋を引く上に抱けば確実に身ごもるため、疎略に扱うことが出来なかった。
 跡継ぎ欲しさに幾人か女に手を付けてみたものの、皆いちように身籠もったところで生きて産まれる子供がいない。
 しかし、前の年にとよが産んだ男子は、産声こそ小さかったが七日間生きた。
 そして、今度の懐妊。
 だからこうして、とよを連れての旅路になった。
 いや。
 そもそも今度の仕官はとよの母方の親戚の伝手で叶う手はずとなったため、彼女なしでは話が通らない。
 だがしかし。
 一度懐妊すると悪阻が酷くほぼ毎日床に就いていた筈のとよにとって、小諸越えは過酷すぎた。
 日に日にやせ衰えていき、歩くことすらままならなくなった彼女を馬に乗せ、または家臣たちが代わる代わる背負ったりもした。
 もはや限界であることは、誰の目にも明らかだった。
 一刻も早く信州へ着きたい。
 だが、牛の歩みのように進みが遅い。
 甚左衛門だけではない。
 若手の家臣の中にはいらだちを抑えきれない様子の者も出てきた。
 そこへ、先の様子を見てきた家臣の一人が山奥の一軒家を見つけてきたのは、天の助けに思えた。
 一同は妻や侍女たちを励まして道を急ぐ。
 粗末ながらも雨風が十分にしのげる山小屋に、ひとの良さそうな老婆が一人住んでいた。
 事情を話し、妻と彼女に長年仕えた乳母と、足を捻挫している年若い侍女を一人、そして腰痛を患っていた年かさの 家臣を一人預かって貰うことを頼み、幾ばくかの細工物を世話料として置いて山を下る。
 身軽になってからの旅程は早かった。
 辿り着いた信州では歓待され、家臣ともども旅の疲れをすっかり落とし、しばらくの逗留で英気を養った。
 そしてとよの叔父の支度してくれた武具を身につけ、屈強のものを幾人か借り、迎えに行くために再び山を分け入った。
 異変に気が付いたのは、渓谷に転がる一つの死体を見つけてからだ。
 裸に剝かれて転がる男の遺体の特徴が気になると言い出したのは、古参の者だった。
 改めて検分するとそれは、山小屋に置いてきた老家臣に酷似している。
 さらに先を行くと、今度は乳母と思われる年老いた女の遺体に遭遇した。
 これもまた、糸くず一つ身につけていない。
 そして最後に、縊り殺された若い女。
 豊満な身体には無残にも乱暴されたあとが残り、生きながら首を絞められたのか目を見開いたままで、この数日の間に殺されたと知れる。
 こうなると、結論は一つしかない。
 あの山小屋は、賊の住みかだったのだと。
 そしておそらく、とよと子どもは無傷ではあるまい、もうとうに殺されたに違いないと誰もが思った。
 しかし手勢の中にとよの生家に由来する者が混じっている以上、生死の確認をせぬままこの場をあとにするわけにはいかない。
 将として号令を下し、手勢を率いて一気に山を駆け上った。
 この凄惨な光景とはうらはらにのどかな春の日差しの中、昼間から酒を飲んでいたと思われる賊たちはろくな抵抗も出来ぬままあっさりと切られていく。
 その中に息子たちがいたのか、くだんの老婆が小屋からまろび出て叫んだ。
「この、恩知らずめ!!」
 易々と取り押さえて尋問したところ、淡々と老婆は答えた。
 山小屋に残された晩に妻は死産した。
 とても小さな、男児だった。
 手の平にようやく載るほどの嬰児は、それでもきちんと人の姿をしていた。
 あまりの嘆きように女として気の毒に思った老婆は、最初は甲斐甲斐しく世話に加わっていた。
 だがしかし、小田原北条家一門の姫であったとよに仕える乳母と侍女は気位が高く、老家臣も同じく老婆を犬のように扱った。
 身をやつしているとはいえ、老婆たちのような下層の者には一生手の届かぬ衣装を身につけ、懐には見事な細工の守刀に絹の袋。
 どす黒い感情が胸を渦巻き始めたところに、戦場で武将たちの遺体から武具をはぎ取り、金品に変えてきた息子たちが戻ってきた。
 彼らと滞在人たちが出会いと同時に衝突し、嵐が沸き起こるのを老婆は炉端に座って静観した。
 威勢だけは良いが身体の利かぬ老人はあっという間に滅多突きにされ、女達は群がる男たちに裸に剝かれて犯された。
 泣き叫び助けを求める声に背を向けて、息子が土産に持ってきた獣の肉を切り分け、山で採れた菜で鍋を煮る。

 下賤の者と、いくらでも蔑むが良い。
 死んでしまえば、皆同じだ。

 まず最初に乳母が事切れ、体力があり勝ち気な侍女は何度犯されても抵抗を試みるため、大人しくさせようとした誰かが首を絞めているうちに息絶えた。
 唯一、性質も穏やかで老婆を気遣っていた奥方は。
 おそらくこの今も、破れかぶれになった末息子に組み敷かれているに違いないと、老婆は哄笑した。
「黙れ!!」
 甚左衛門が老婆の肩を蹴ると、そばにいた忠臣がすかさず刃を振り下ろした。
 そして、小屋の中へ踏み込む。
 どんよりと空気の濁った薄闇の中で、うごめく影を一つ見つける。
 一つ、ではない。
 白い無防備な身体の上で、せっせと若い男が腰を振っていた。
 家臣の一人が素早く背中を切りつけると、どうっと横倒しに倒れて男は絶命した。
 仰向けに転がされた女は、申し訳程度に纏わされたぼろ布から少女のように長い手足を床に投げ出したまま動かない。
「・・・とよ」
 名を呼ぶと、ぴくりと指先が動き、のろのろと、時間をかけておき上がった。
 すっかり汚れきった頬や、土と草にまみれた髪や、どこか焦点の合わない眼差しが、もうとよが元に戻れないところまで汚されたことを語っていた。
「あなた・・・」
 夫が来たことを知って安堵したのか、はらはらと涙をこぼした。
「おまえ・・・」
 土色のぼろと同じくらいみっともない姿へ変わり果てた妻に、かける言葉などない。
「なぜ、生きている」
「・・・え?」
 縋ろうとしたのか、甚左衛門へ向かって延ばされた細い指先が止まった。
「それでも、もののふの妻か」
 恥ずかしい、と思った。
「乳母も侍女も抵抗し続けて死んだというのに、やすやすと賊どもに抱かれて生き残るとは、北条家の名が廃る」
 ここに来た者はみな、この惨状を知っている。
 戻れば語りぐさとなるだろう。
「・・・恥知らずめ」
 いらだちを、ぶつけた。
「あなた・・・と、言うひとは・・・」
 目を見開いたままで座りこんでいたとよの身体がゆらりと揺れた。
 そして、何処にそんな力があったのか、素早く夫の懐に入り、腰に差してた打刀を引き抜き、飛び退る。
「あ・・・」
「来ないで!」
 はだけた胸元もそのままに、細い両手で打刀を支えて首に当てる。
「あなたの・・・。あなたさまの考えは、よくわかりました」
 逗留中に刀工に磨かせた刀は、水を打ったばかりのようなつややかな輝きを放つ。
「やめろ・・・。とよ、やめるんだ」
「死ね、と仰ったではないですか」
 少し力が入ってしまったのか、首筋から一筋の赤い糸が流れ落ちるのが見える。
「やめぬか!!それは、傑作。主から拝領した名刀ぞ!!」
 唾を飛ばしながら何を口走ったのか、己もよくわかっていなかった。
 しかしそれを聞いた瞬間、とよが声を上げて高らかに笑った。
「あなたってひとは、本当に・・・っ」
 嫁いで来て以来、滅多に大きな声を出すことのなかった、とよが。
「とよ・・・」
 隙をついて奪うことは出来たはずだ。
 だが、甚左衛門を始め、居合わせた家臣の誰も、立ちつくしたまま動くことが出来なかった。
 髪を振り乱して、刀を構えるとよの姿は異様だった。
 もはや、姫どころか人とは言い難いにも関わらず、どこか神々しくもあった。
「・・・無事で良かったと、言っては下さらぬのですね」
 ぴたりと笑いを止めたとよの、静かな呟きが、狭い空間を支配した。
「ならば、散りましょう」
 花のような微笑みを唇に浮かべ、力いっぱい刃を引いた。
「とよ!!」
 女の命が、刃に染み込む。

 ―私は、なんのために・・・―

 彼女の最期の言葉を聞いたのは、刀身だけだった。


「それから彼らは取り繕った。そもそも俺は山姥切の写し。本科同様に山姥を斬ったことにすれば良いと」
 石原甚左衛門は産気づいた妻のために山を下って薬を求め、再び戻ると山姥が嬰児を食べていた。それを見た彼はすぐさま刀を振り下ろすと、化け物は虚空に消え・・・。
 名がその事態を呼んだのか、それとも・・・。
 怪奇物語を好む人々は、すぐにその話に飛びついた。
 そして、誰も、疑うことはなかった。
 何しろ、山姥切、なのだから。
 後味の悪い結末を抱える甚左衛門は、請われるままに何度もその話を繰り返し語るうちにだんだんそれが現実だと思い込むようになり、山小屋のすぐそばにあった息子の小塚も、隣に埋めた妻も忘れた。
 ただ時折、刀剣の中に不穏なものを感じ、疎ましく感じ続けていたところ、関ヶ原の合戦の最中に知り合った男が、目の前で刀の刃を折った。
 親切ごかしに差し出した山姥切を、心から感謝の意を示して受け取った男の名を渥美平八郎と言う。

「罪と罰から逃れた男の、その後の行方は、知らない。ただ、行き場を失った妻の怨嗟が身体にまとわりついて、離れない・・・」
 
 いつの間にか、捕らわれていたはずの両手は優しく繋がれていた。
 そして互いに向き合い、じっと正座したままだった。
 自分は、やわらかな布団の上に。
 太郎太刀は、冷たい板の間に。
「・・・これは、慰めにもならないとは思いますが・・・」
 ただ長いばかりの話を、遮ることなく聞き続けた太郎太刀は、睫を瞬かせた。
「物語とは、得てしてそのようなものです。暗い真実を探り当てるのも良し、ただ純粋に楽しむのも良し」
 指先を、彼の手にゆっくり愛撫されて困惑する。
 このようなふれ方をする人を、知らない。
 つい、俯いてしまう。
「確かにとても気の毒な話です。でも、我々は所詮刀。命を、断つ道具です」
 低く甘く、囁きながらもその言葉は胸を刺す。
「化け物も、女も、子どもも、年寄りも・・・。主が必要とあらば、斬らねばならない」
 吐息を感じるほど近くにいるのに、正しすぎる言葉に逃げ出したくなる。
「だけど、斬った命と心を、あなたの中に掴まえたままでは駄目です」
「・・・いやだ」

 罪と罰は、決してなくならない。

 深くうなだれたまま、力なく首を振る。
 耳をふさぎたいけれど、絡め取られた指に捕らえられて、動けない。
 せめてもと身をよじると、端正な顔が下から覗き込んでいることに気が付き、息を呑む。
「放しておあげなさい、山姥切」
「・・・無理だ」
 だって、寂しいと、悲しいと、泣く声が聞こえる。
「強情な・・・」
 呟きが、焦点の合わないほど近付いた。
「・・・う・・・」
 唇に、また蜜をのせられる。
 いや、蜜なんて、どこにもない。
 彼が、いるだけだ。
「・・・そんな、情の深いあなたが、可愛くて仕方ないのですけどね」
 下唇をゆっくりと濡れたものがなぞる。
 上唇もあやされて、ようやくそれが彼の舌だと知った。
「なにを・・・」
「あなたがどうしても手放せないなら、手伝いましょう」
 いつかみとれてしまった唇が、自分のそれをついばんでいるのを呆然と受ける。
「山姥切」
「その名で、呼ぶな・・・」
 顔を背け、力を振り絞って両手をふりほどき、後ずさる。
 無様な姿だ。
 そう思うけど腰に力が入らず、まるでひっくり返った虫のように手足をばたつかせながら懸命に背後へと逃げた。
「名前を、運命を変えることは、おそらく不可能でしょう。あなたは、山姥切だ」
 まるで休息から目覚めた虎が歩み始めたように、のっそりと、四つん這いで太郎太刀が近付いてくる。
「逃げられません。・・・ほら、もうこれ以上」
 とん、と、背中が硬いものに当たった。
 左右を見渡すと、自分は壁に向かっていたことに気付いた。
 そして、すぐに顔のすぐそばに太郎太刀が両手をつく。
「泣きなさい、山姥切」
 さらりと、彼の長い黒髪が落ちてきて、頬をなぶる。
 冷たい、感触。
「いやだ・・・」
 泣かない。
 泣きたくない。
 そんなみっともないこと、したくない。
「泣けない?」
 耳元に囁かれて、熱い息を吹きかけられて、背筋の何かがうごめく。
「いや・・・」
 頬に唇をおしあてて、太郎太刀が呟く。
「あなたは、綺麗だ」
 ざわりと、肌がざわめいた。
「綺麗だとか、言うな・・・」
 唇が、震える。
「いいえ。今夜は、何度でも言います。私の思うままに、好きなだけ」
 頬を、鼻を、額を、ゆっくりと唇でついばまれた。
「あなたは、とてもかわいい人だ」
「言うな・・・」
 胸が、熱くなる。
「好きです」
 呟きがまた降りてきて、唇を塞がれた。
「んう・・・」
 もがきたくても、あの唇が自分に触れているのだと思うと、頭の中が焼き切れそうになる。
 唇は、想像よりもずっとやわらかく、ずっと生々しい。
「舌を出しなさい」
 何度も何度も角度を変えて求められて、息が出来ない。
 空気を求めて胸を喘がせると、とんでもない事をそそのかされる。
「そんな・・・」
 どんなに抵抗しようとも、蕩け始めた心はもうすでにほとんど彼の意のままだ。
 おずおずと舌先を唇の隙間から覗かせると、また唇を合わせられ軽く吸われた。
「あっ」
 驚いて小さく叫んだ瞬間、するりと甘くて熱い舌が入り込んできた。
「ん、ん・・・・」
 丹念に絡め取られ、かき回されて、口の中が、溶けそうだ。
「山姥切・・・」
 いつもは硝子のように澄んだ彼の声が、とろりと濃厚な色を帯びていく。
「かわいい・・・」
「うそだ・・・」
 心の中にしまっているはずの声が漏れてしまう。
「うそつき・・・」
 唾液を唇から滴らせて、こんな酷い顔、誰にも見られたくない。
 誰よりも見られたくない人に、さらすなんて。
「いやだ・・・」
 勇気を振り絞り端正な顔に手を当てて顔を押しのけようと試みるが、逆に手の平を舐められ、悲鳴を上げた。
「ひ・・・っ」
「綺麗な、手ですね」
「そんなはずはない・・・」
「なぜ?」
 熱い舌が、手の平を這い回る。
「へ・・・。へんな形、と言われた」
「誰に?」
「・・・あ・・・」
 言えない。
 言ったら、告げ口になってしまう。
 首を振ると、陶器のようになめらかな太郎太刀の眉間に皺が寄った。
「・・・本科ですか」
「ちが・・・う」
「違わないでしょう」
 唇が、手の平に囁く。
「あなたをこんなに凍らせて・・・。何がしたかったのか、あの方は」
「・・・会ったことが?」
 あの、宝珠に。
「ありますよ。私だけでなく審神者も。だからあなたを呼ぶでしょう。『国広の山姥切』と」
 『国広の』は、『長義の山姥切』を知った上での呼び名。
 ならば、なぜ自分はここにいる。
「あの・・・」
「・・・とっくに去りました。もうまみえることはないでしょう」
 あっさりと言わないでくれ。
 惜しまれないなんて、悲しすぎる。
 悲鳴を手の甲に押し込んだ。

「あなたって人は、まったく・・・」
 言うなり、片手を取られてぱくりと指先を咥えられた。
「な・・・っ」
 ちゅっと強く吸われ指先が彼の口の中に飲み込まれていく。
「や・・・」
 熱い舌が、爪をなぶる。
「爪の先まで、こうして舐めてみたいと、ずっと思ってました」
 不敵な笑みを浮かべた唇がぬらりと光る。
「・・・っ」
 上目遣いに見つめながらぴちゃっとねぶられて、頭に血が上った。
「やめてくれ、お願いだから・・・」
 彼の身体から立ち上る香りと、熱と、囁きが、徐々に身体に染み込んでいくような錯覚を覚えた。
「やめません。これから、あなたの全てを、もらいます」
 指先を開放してくれた唇が頤をはみ、舌が、首筋を降りていく。
「今ここで」
 繊細な手のひらがすっと胸元に入り込み、敏感な肉を刺激した。
「あ・・・」
 顎を引いて手の動きを見ると、着せられていた寝衣の衿はとうにはだけて臍まで露わになり、腰に締めた帯が申し訳程度に止めている程度だった。
「・・・綺麗な、身体だ」
「言う・・・な」
 形を確かめるかのように、両手でゆっくりと撫でられ、肩から着物が落ちていく。
「ふ・・・」
 夜の、しんとした空気が滑り込む。
「・・・寒いですか?」
 肩口に口付けられ、背中を宥めるようにさすられて、裸の胸に触れる絹の冷たさに震えた。
「ああ、そうでした」
 軽く唇に口付けて、太郎太刀は少し身を起こす。
 少し薄れる匂いに未練を感じながら視線で追うと、膝立ちになった彼は袴の紐を解き、更にその下の長着を留めている帯も緩めた。
 そして、するりと開いた衿から、白い肌が現われる。
「あ・・・」
 息を呑む。
 引き締まった腹に、厚みのある胸。
 完璧な美、とは目の前にあるこの身体の事を言うのだろう。
「綺麗・・・だ」
 綺麗という言葉は、この人にこそ捧げるものだ。
「まさか。あなたには敵いませんよ」
「でも、本当に綺麗だ・・・」
 美しすぎて、夢のようだ。
 無意識のうちに指を伸ばすと、手首を握られて、そのまま彼の心臓の上に導かれる。
「いいですよ。触って下さい。・・・私が誰か、解りますか?」
「たろう、たち・・・」
「そうです。好きなだけ、触りなさい」
「うん・・・」
 夢中になって両手でぺたぺたと均整のとれた身体を探る。
 肩に触れて、腕に触れて、たくましい胸に、固い腹・・・。
 馬を駆り、数多くの敵を一斉になぎ払っていく姿は壮麗で、ついつい見惚れていた。
 憧れていた。
 いや、こうしている今も憧れの気持ちが溢れてきて、どうして良いのか解らない。
 なのに、漆黒の長い髪を解き散らし、惜しげもなく見せられた身体から立ち上る香りと相まって大きな花と対峙しているような錯覚を覚える。
 一夜限りの、幻の花。
 月下の、白い花。
 触れても、触れても、どこかふわふわした心地のままで、信じられない。
 ほんとうに、夢のようだ。
「ふふ・・・。くすぐったいですね」
 額を寄せてくすくすと笑われて、正気に返る。
 頬をくすぐるのは、生きた男の熱い、吐息。
「あ・・・っ!」
耳までかっと朱が走った。
「あなたは、本当にかわいらしい」
 片膝を立てさせられて、膝頭をそろりと舐められる。
「いっそ、食べてしまいたいくらい」
 しっとりと熱を帯びた瞳で見つめられて、胸を射貫かれた。
「夜を、始めましょう」
 今までは、前戯に過ぎなかったのだと、覚る。

「・・・あ・・・」
 踵に力を入れて後ずさろうとしたけれど、もう既に壁へ背中を預け続けていた事を思い出す。
「どこへ行く気ですか」
 ここでなければどこでもいいと言おうとしたけれど、唇を塞がれた。
「む・・・」
 言葉を発したくても、器用な舌に絡め取られて行く。
 裸の胸をすり寄せられて、肌の熱さに驚いた。
「逃げないで・・・」
 うなじを掴まれて思うさま口の中をこねられ、朦朧としながらももう一方の手がさまよっていく先をなんとか目で追う。
 扇のように開いて男を迎え入れた足を丹念にさすっていた指先が、目的を持って中心へと向かった。
「そこは・・・、いやだ・・・」
 唇を解いて訴えるが、すぐに下唇を食まれ宥められる。
「大丈夫」
「いや・・・だ。触るな・・・」
 太股の内側を滑っていく指先が、寝衣の裾に潜り込んだ。
「太郎太刀・・・っ!!」
「大丈夫。知ってます」
「・・・っ」
「あなたが傷を負ってから今まで、そばにいたのは私なのだから」
 慌ててあたりを見回すが、広い板の間には細くともされた燭台と床にのべられた布団、そして薬湯をのせた盆くらいしか見当たらない。
 自分の身に付けていたものの一切がなかった。
「・・・っ、あれは・・・っ」
 はっと、息を呑んで両手で顔を隠す。
 いつも自分を覆い隠してくれていた長布がないことに、今更気付いた。
「あなたの衣は、血で、かなり汚れていたので今は清めに出しています。明日には戻ります」
 心配しないでと額に唇が落とされる。
「いやだ・・・。あれがないと・・・」
 全てを晒すなんて、そんなこと。
「今は、駄目です。山姥切」
 やんわりと太股の奥を揉まれて、息を呑む。
「・・・あっ」
 するりするりと指先でなで上げられ、膝が震えた。
「あなたのここは、まるで茘枝の果肉のようですね」
 三角州の陰茎にかかるべき覆いが、自分には生えていない。
「なめらかで、甘い」
 中途半端な造作。
 そう言われているとしか思えない。
「やめろ・・・っ」
 抗議の言葉を、また、飲み込まれてしまう。
「いやです」
 強い声に、目を見開いた。
「あの者は、あなたに何をしたのですか」
 あの者が、誰なのかなんて今更問い返せないほどの強い瞳に貫かれる。
「なにも・・・」
 目を逸らすと、唇を強く吸い上げられた。
「嘘です」
 何もかも、さらけ出さねばならないのか。
 吐息が、震える。
「なにも・・・。ただ、醜いと、言っただけだ」
「いつですか」
「・・・彼に、銘打ちされた時・・・」

 自分が作られて数ヶ月後の春に、主君の顕長が国広に命じた。
 本科に「山姥切」と銘打するようにと。
 何を思っての事なのかは解らない。
 ただ、刻まれたその時に、顕長と自分の命運は決まったのかもしれない。
 顕長は敗走し所領を召し上げられ、流浪の中に生涯を終えた。
 そして、自分は・・・。
【そなたのせいで味わったこの屈辱、許し難し】
 怒りに震えていても、かの人は美しかった。
 打擲されても、視線を外すことは、到底出来なかった。
【この写し風情が・・・っ】
 衣をはぎ取られて、足蹴にされながら、息を殺して嵐が過ぎ去るのを待つ。
【誰が、そなたなぞ・・・っ】
 髪を切り落とされ、全身に鋭い痛みを感じながらも、慕う心が止められずに手を伸ばした。
 その手を踏みつけて、かの人は、笑った。
【醜い・・・。ほんに醜いのう】
 骨が、みしりと鳴るなか、力が更に込められた。
【男でありながら童子のような半端な姿。これを褒めそやした顕長の目もたいしたものよ!!】
 哄笑に身を縮める。
 みしりみしりと鳴るのは、心の中だ。
「どうか・・・」
 どうか、お許しを。
 生まれてきた罪を、どうか。
【・・・哀れな】
 するりと、柔らかな布をかけられた。
【くれてやる。これで多少なりともその醜い姿を隠すがよい】
 唯一の慈悲だった。


「まさか、あの衣・・・」
 山姥切国広のしるしとも言える長衣を、太郎太刀は思浮かべる。
 頭をすっぽり覆うそれは、随分と古びて、傷んだものだった。
 それを、片時も離さないと教えてくれたのは、同じく国広に作られて寝食を共にすることが多い打刀の山伏だ。
『あれがないと、兄弟は眠らない』
 身体の一部のようなものだと、笑っていた。
 しかし。
 そのような経緯を誰が想像できる。
「妬けますね」
 まるで、雛が初めて認めた相手を親鳥と慕うように、本科を盲愛するさまを見せつけられて。
 身体を寄せて、薄い背中を抱きしめる。
「・・・太郎太刀?」
 この細い身体に棲みついた、暗い思念を全て解き放ちたいと思った。
 だけど大切にしている想いまでを無理矢理取り上げることは出来ない。
「山姥切・・・」
 せめてその更に奥へ入り込んで、自分の痕をつけたいと思うのはいけないことだろうか。
 心が欲しい。
 渓谷の水のように透明で綺麗な瞳に明るい色を当てたい。
 そして、なによりも。
 この、かぐわしい身体を味わいたい。
 むさぼり食って、一つになりたい。
「そこに尽きるか・・・」
 己の衝動を認め、ほとりと笑った。
「・・・なに?」
 不安げな雛鳥のつむじに口付ける。
「あなたを、食べたい。今すぐに」
「・・・っ」
 山姥切の身体から、甘い香りが立ち上った。


「待て、ちょっ・・・」
 突然、人が変わったかのように容赦なく快感を送り込まれる。
「あっ・・・」
 びくん、と、踵が空を泳いだ。
 執拗に、双丘をなで回され、揉みしだかれる。
 胸の突起を舐めあげられ、囓られ、指で潰された。
「山姥切・・・」
 何度も何度も名前を呼ばれて首を振るれど、すぐに捕らえられ、口づけに溺れた。
 くちゅくちゅと音を立てて舌を合わされ、下腹もさんざん探されて、腹立たしさと悔しさがこみ上げてくる。
 彼の声に、息に、指先に翻弄されていた。
「あ、あっああ・・んっ」
 まるで歓んでいるかのような声を上げて、腰を揺らす自分はなんて恥知らずだろう。
 そして最も腹が立つのは、触れられて、浅ましくうごめきだした己の雄芯にだ。
「だから、醜いと、言った・・・っ」
 両手を下ろして彼の手を剥がそうとするが、逆に煽るように動いてしまう。
「あっ・・・。んっ、いやだっ・・・」
「あなたの頬と同じくらい、柔らかで、心地よい・・・」
 そう囁きながら、頬を唇でなぶられて、頭の中が焼き切れた。
「もう・・・」
 もう駄目だ。
 指先から力が抜けていく。

「ああっ・・・っ」
 叫んだけれど、耳を噛まれて魚のように跳ねた。
 気が付いたら二人とも裸の身体を絡みつかせ、獣のように息を切らせている。
「っあ・・・」
 互いの肉茎を彼の大きな手にまとめられ、こね合わされ、ドロドロに溶ける。
「・・・ん、くぅっ・・・」
 覆い被さる男が、薄く目を開いて、赤く染まった自らの唇を舌先でちろりと舐めた。
 こんな彼を見たことがない。
 想像したこともない。
 戦場での太郎太刀は、凛々しくて、どこか冷めた目をしていた。
 なのに・・・。
「気持ち・・・良い」
 顎を反らして、熱い息を吐く姿に同調して、快感が背中を駆け上る。
 急激な早さで駆け上る感覚に、恐怖を感じた。
「いや・・だっ」
 どくっと下肢が弾け、互いの胸元を熱い液体が濡らす。
「あ・・・っああっ」
 一気に精を吐き出して柔らかくなった自分の性器の隣で、同じく精をまき散らしながらもまだ固く膨らんだままの男の雄が荒れ狂う。
「まだです」
 背中と腰に彼の腕がまわり、強く抱きしめられて汗と粘液に濡れた胸と腹をぐちゃぐちゃにすりあわされ、固い肉に何度も突かれる。
 まるで、自分の中を突かれてかき回されているような錯覚に、また、どうしようもない情動が沸き起こる。
「だめだ、また・・・」
「何度でも・・・」
 双丘を両手で揉まれて、胸の突起を彼の肌で刺激されて、まるで嵐の中に投げ込まれたように、何も考えられなくなった。
 後ろに指を入れられてかき回されていることも、感じて先をねだったことも、荒れ狂う快感に飲み込まれて、夢の中のような心地になる。
「かわいい・・・」
 唇を求められて、舌を差し出す。
 渇いた唇を甘い唇に潤されて陶然となった。
 とろりとした媚薬を流し込まれ、喉が鳴る。
「いきますよ」
 了解を求めるささやきの意味なんて、解らなかった。
 ただ。
「・・・あああっ」
 ぐっと熱い棒に分け入られて、我に返った。
「いた・・・痛い・・・。痛い、痛い・・・っ!!」
 彼の亀頭が、めりめりと分け入ってくる。
「っく・・・」
 眉間に皺を寄せて唇を引き結んだ男の顔が、急にぼやけていく。
「う・・・っ」
 ぽとりと、目尻から熱い液体がこぼれた。
「山姥切・・・」
 優しい声が額を撫でる。
「いた・・・い・・・」
 あとからあとから、決壊したかのようにぼろぼろと涙が流れて止まらない。
「愛してます」
 こんな、こんな時に卑怯だと思った。
 入り口にとどまる彼の雄はどくどくと脈打っていて、やめる気などさらさら無いことを語っていた。
 でも、嬉しい。
 こんな自分の中に、入りたがる者なんていなかった。
 嬉しくて、嬉しくて、身体がはち切れそうだ。
「あなたが、可愛くて、愛しくて・・・。今、こうしている幸運に感謝します」
 涙が、こめかみを伝う。
「これは・・・。口説かれているのか」
「そうです。こんな時で申し訳ありませんが」
 額から汗を流しながら、悠然と太郎太刀が笑った。
 神、と思っていた。
 憧れていた。
 でも、こんな触れ方をする。
 獲物を捕らえた雄の姿をして。
「ん・・・」
 保ち続けるのは辛いだろうに、胸を喘がせながらも笑って、答えを待っている。
 そして、自分は。
「あ・・・っ、んっ・・・」
「すみません、すこしだけ・・・」
 緩やかに腰を進められ身体の中がざわめく。
 甘い予感が、もっと奥へと、囁いた。
「もっと、・・・」
 膝を少し開いて、見上げた。
 欲しい。
 欲しいと、唇が震える。
「来てくれ・・・」
 腰を浮かせて、誘う。
「山姥切・・・」
 一気に貫かれて、水鳥の声のような悲鳴が喉で鳴る。
「・・・っ!」
「愛してる」
 足を抱え上げられ、胸をいじられて、腹の中をさんざん突かれた。
 床が鳴って、散らかった衣ぎぬがさわさわと囁き、彼の長い髪が絡みつく。
「あ・・・つ・・・」
 すぐ近くに布団があるのに、なぜか自分たちは部屋の隅の板の間で挑んでいる。
 何度も強く揺さぶられて壁に当たる背中と床に擦れる腰に痛みが走ったが、それを相手に訴える気にはならなかった。
 剣を交える時よりもずっと、汗を流し、息を乱してあられもない声を上げ・・・。
「あ、あっあ、・・・。もう、無理だ・・・」
「・・・は・・・っ。はあっ・・・。だめです、まだ・・・」
 容赦ない力を、身体に打ち付けられる。
 聞いたことのない水音と熱さと苦しさにもみくちゃにされながら、それを上回る快感に夢中になった。
 営みとは、なんと生々しくて、気持ち良くて、嬉しいものなのだろう。
「好きです」
 仰向けに転がされ、耳に注がれ続ける言葉に、涙が溢れる。
 泣いて泣いて泣いて、瞳が溶けてしまいそうだ。
「おれは・・・」
 俺も、言って良いのだろうか。
 指を絡め合って、激しい快感に啼きながら、心を探す。
「山姥・・・切」
 上気した身体を倒し、更に深く突いて、濡れた唇が囁いた。
「あなた、が、いなければ、私は・・・っ」
 強いひと突きに、全身が貫かれる。
「ああーっ」
 背中を大きく反らせて、果てた。

「・・・あなたがいなければ、私はただの、器でしかなかった・・・」

 自分が、彼を満たすことが出来たのだ。
 それだけで、十分だと、瞼を閉じた。


 腕の中で深く眠る青年を抱きしめたまま、太郎太刀は虚空に冷たい眼差しを向ける。
「・・・まだ、いらしたのですね」
 彼が優しい言葉をかけるのは、ただ一人。
 腕の中の、山姥切だけ。
 その潔さに、女の唇に笑みが広がる。
「もうすぐ夜が明けるので、そろそろ行こうと思います」
「そうですか」
 妻の命よりもはるかに執着されていた宝刀が、憎くかった。
 ・・・ような気がする。
「ありがとうと、伝えて下さい。そしてごめんなさいとも」
 長い間取り憑いて、彼の劣等感を煽り続けた。
「あなたが憑くべきなのは、あの男でしたね」
「ええ・・・でも」
 愛されていないことを何度も思い知るのは、辛すぎた。
「忘れなさい。忘れられないなら、愛しなさい」
 暗い心を解き放つために。
「私も、そう思います」
 朝靄が、薄く開けた木戸の隙間からゆっくりと流れ込んでくる。
「風が・・・」
 さあっと木々の匂いが滑り込んで、女を包む。
 命の息吹が聞こえる。
 なんと、心地よいことか。
「おしあわせに」
 笑みだけを残して、光に溶け込んだ。


「ん・・・」
 頬を撫でた風に、色素の薄い睫に縁取られた瞼が開く。
 桜貝のような唇に自らのを押し当てて、囁いた。
「おはようございます」


 木々がざわめく。

 ―ともに、生きよう―


 -完-


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