『少女。』




「山姥切は昨夜のうちに意識を取り戻していたですって?どうしてそれを早く言わないの!!」
「ひ・・・っ」
 本丸御殿を走り抜ける少女の怒声に、五匹の子虎を従えた少年は首をすくめた。
「ええ・・・っと、ええと、よ、夜も更けましたので、主様は、お休みになられたのではないかと・・・いう、いうことで」
「と、いうことで?」
「いえっ、いえいえっ、ええと、ええと、おやすみなられておられましたです!!」
 目を閉じて絶叫する五虎退の腕の中で、運悪く抱きしめられていた一匹が悲鳴を上げる。
「とっくに朝も過ぎているじゃない」
 昼に近いとは言わないが、太陽が木々を照らし、庭の花々も生き生きと彩を見せている。
 きっちり夜明けに起床し、身づくろいをし、朝食を終え、近侍と一緒に城内を軽く見回り、次の遠征と戦いの布陣を決め、休憩に入ったところではたと気づいた。
 重傷を負って意識不明だった山姥切は、とっくに回復しているのではないかと。
 そもそも見回りの時に、手当てのために彼を担ぎ込んだはずの奥御殿から離れた道筋を歩かされたことも怪しいと思い始めた。
「・・・なにか、あるの?」
 視線をやると、自分よりも少女らしい容貌の五虎退は全身から滝のような汗を流している。
「ええと・・・そのですね・・・。その・・・」
「俺がやめとけっつったんだよ」
 すっと障子が開いて、短刀の一人が入ってきた。
「命に別状はないけど、別件でしばらく面会謝絶だ」
「薬研・・・。どうしてお前がここにいるの?」
 昨夜、山姥切の手当てに立ち会った者の一人が薬研だった。
「だーかーらー、もう大丈夫っつっただろ。俺のやるこた終わったんだから、どこにいようが構わねえだろう?」
 どかっと、正面に胡坐をかくと、ため息を一つついた。
「・・・とにかくよ。山姥切はしばらくほっとけ」
 いつもより低い声で上目遣いに挑まれて、少女はぐっと息をのむ。
「・・・なによ」
「あ?」
「なによ、なんなのよ、薬研なんかが私に命令しないでちょうだい!!薬研のくせに!!」
「はあ?」
「薬研のおたんこなすーっ」
 急に立ち上がるなり薬研と五虎退の間を軽く飛び越え、裾の乱れも気にせずに、縁側へ躍り出た。
「あっ、あああ、主さまぁ~」
 五虎退が手を伸ばすもすでに遅く、審神者であるその少女は弾丸の勢いで廊下をかけていく。
「ち・・・。だから俺らじゃ無理だっつーたのに」
 薬研は膝に片肘をついて舌打ちをした。
「ど、ど、どうしましょう」
「どうもこうも、この先で脇差、打ち刀の奴らが待ち構えてるだろうけど、あの大将のこった、かるーく交わして突進するだろ」
 この陣営の審神者はまだ十代前半。
 自分たちと同じくまだ大人になれない年頃だ。
 審神者としての務めを果たす時は賢しく振る舞っていても、城内でくつろいでいる時には随分と聞き分けのない子供に返る。
「・・・なあ、五虎退」
「はい?」
「おたんこなすって、なんだ?」
「・・・えーっと・・・」


 とすすすすっと、獣が駆けてくる音がする。
「おやまあ、来たね・・・」
「はやっ!!もう来ちゃったの?」

「やあやあわれこそわーっ」
 どこかひょうきんな顔をした狐がかばっと口を開け、叫んだ瞬間、爪を紅に染め整えられた白い手に首根っこをつかまれて床に沈められた。
「・・・おぐっ」
「・・・っ!!」
 息をのむ誰かの気配を無視して、氷のような声が狐の背中にのしかかる。
「前口上はいいから、さっさと報告しな」
「う、む、むねん・・・」
「はあ?」
「い、いえいえいえ。あのう、本殿は突破され、間もなく主様がイノシシも顔負けのお姿で現れるかと…」
「なんで?トラップはどうした?今日は遠征一つ戻ってきてそこそこいたじゃんか」
「そ、それが・・・。粟田口の皆さんがこりゃだめだと撤退し…」
 狐はのろのろと答える。
「は?」
「奥を守るという名目の、社会勉強に…」
「ぎゃは。なになに出歯亀してんの?あのお子ちゃまたちったらもう~」
 ぶふーっと、吹き出して笑う声に、ますます狐を拘束する手の力がこもる。
「・・・聞いてねえぞ、おい」
「ああ、ここで加州さまの人徳が…ふぐっ」
 気道がますます狭くなったところで、地雷を踏んだことに今更気が付いた。
「雉も鳴かずば撃たれまいって、お前知らねえの?」
「わ、わたくしめは・・・。きつねにございまして・・・」
「なにい?」
「ひいいい」
 万事休す、といったところで助け舟が出た。
「ま、そこまでにしなよ、きーちゃん。時間ないみたいだしさ」
「・・・ちっ」
 伝令の役目を終えた狐はそのまま宙に放られ、見事主人の胸元に帰還する。
「はあー。やれやれでござります・・・」
「・・・っ!!」
 殺気を感じた鳴狐は、口から災いを呼び続ける狐を抱いたまま一礼すると、素早く離脱した。
 はあーと、ため息をついて、加州清光は廊下に座り込む。
「ようするに、粟田口は薬研と五虎退がちょこっと働いただけか」
 最大刀派、粟田口は現在十三刀在籍している。
 その多くを占める短刀と脇差のほとんどが残留していたがこぞって持ち場を放棄し、お祭り騒ぎに転じたのだ。
 痛み始めたこめかみを指先で押しながら、対策を考える。
「どいつもこいつも止める気ないだろ・・・」
 残りの面子を思い浮かべて指を折るが、この件に関してはまだ幼さの残る審神者に甘くて戦力外な者ばかりだ。
 城内広しといえど、お転婆な少女がたどり着くのも時間の問題だ。
「ほんっと、やってらんねえ・・・」
 自分だって、主を泣かせたくないから似合わない役目をやっているというのに。
「早めの性教育だと思えばいいんじゃない?」
「・・・あんた、それ本気で言ってる?」
 高みの見物がありありと出ている物言いを、視線で刺す。
「いやん、怒んないで~。でも、怒ってるきーちゃんってば、かっわいい~」
 次郎太刀にがばりと抱きしめられて、加州は押しつぶされそうになる。
「はなせ・・・っ」
「ん~も~。アタシをこんなにキュンキュンさせて、ナニするつもり~」
 大柄な大太刀と小柄な打刀の自分では、肉弾戦になると分が悪い。
 あらぬところをまさぐられてもがいていると、助けが入った。
「次郎さん、お遊びはそこまでで」
「あん、にっかりのイケず」
 ぷうと頬を膨らませる次郎の腹に肘鉄を入れて、なんとか加州は逃れる。
「とにかくさあ。結局、俺と青江さんで仕切るしかないってこと?」
 飲んだくれの次郎太刀は戦力外と決まっている。
 いや、まぜっかえすぐらいなら、そもそもこの場にいない方がまだましだったかもしれない。
「そうだねえ、でもそろそろ太刀の兄さん方が帰ってくるでしょ。」
 薄い唇に指先をあてて時計に目をやる脇差のにっかり青江は、こんな時でも笑みを浮かべている。
「まだなのかよ」
「うーん、そろそろとは思うんだけど、遅いねえ」
 彼もどこか楽しんでいる風情で、俺ってくそ真面目だったんだなと加州は独りごちる。
「へしきりとか、めんどくさいヤツらが一番遠方に放たれているのがせめてもの救いか・・・」
「うん、長谷部君がいたら、きっと太郎太刀と山姥切は二つに重ねて斬られているねえ」
「シャレになんねえ」
「それはそれで、幸せなことだろうけど」
「まあね~。究極ってか?」
「・・・ますます、シャレになんねえからやめてくれねえか、二人とも」
「ふふ」
 凄艶な笑みに、一瞬、見とれた。


 奥屋敷の襖の前では、粟田口軍団がぴたりと張り付いておのおの耳を澄ましていた。
「うっわ、なんかまたやるみたいだけど、太郎さんってば病み上がり相手に鬼畜じゃな~い?」
「相当な手練れですね、彼は。あの山姥さんが言いなりになるなんて」
 ぴょこぴょこと動きながらひそひそと言葉を交わす。
「ふおっ、これが噂の言葉攻め?うわ、なんかカッコイイ~。俺もやってみてー」
「やだ、誰相手にやんの、あんた!!」
「なあなあ、それよか山姥切すごくね?大太刀のデカチン入るってめちゃすげえ」
「・・・なまず、君は、どうしてそうなんだ・・・」
「え?だってすごいじゃん。あんなの突っ込まれたら反動で口から内蔵出てきそ・・・」
「わーっ、なんでんかんでんしゃべりゃあええってもんやなか!!」
「えー。だってさあ、俺にとっちゃ未知の世界だしー。なあなあ、糞したくなったらどうするん・・・」
「わー、わー、わーっ!いらんことばっかいう口やねーっ。もうどうでもよかけん、だまらんしゃい!!」
「・・・そうよ、黙ってちょうだい、鯰尾」
 一瞬にして、背後が冬の日本海になる。
「あ・・・れ?主、早かった・・・ですね?」
 彼らの目の前に、この城内の主人である審神者の少女が猛々しくも仁王立ちしていた。
「・・・あなたたち、ここでなにしているのかしら」
 微笑めば微笑むほど、粟田口の面々には般若に見える。
「ええと、ですね?主君、これは…」
「なによ」
「・・・っ」
 一瞬の沈黙の隙間に、思わぬ声が滑り込んだ。
『あぁっ・・・!!』
 全員の視線と頭がいっせいに声の在りかに向かう。
『ん・・・。あっ・・・!!ん、や・・・』
『大丈夫。もっと行ける・・・』
『も、無理…っ』
 荒い息づかいと絹連れ、そして何か、表現しがたい音も交じっている。
『やー・・・・ぁっ』
 聞き覚えのない高い声。
 だけど、この先には二人しかおらず。
 粟田口軍団は、そろーりと、視線のみ元に戻した。
「・・・っ」
 そこには、頭のてっぺんから指の先まで真っ赤に沸騰した少女が、今まさに噴火せんばかりになっている。
「あの・・・な。大将?」
「開けなさい」
「は?」
「ここを開けなさいって言ってるの!!」
 だんっと、白い足袋を履いた足で力いっぱい床を踏み鳴らした。
「ぼ、ぼくらにはむりです~・・・。だってほら、中を見ようとしたけど、この通りだし」
「見ようと・・・したの?」
 空気が冷たいのか熱いのかわからない。
 命ぎりぎりな緊張感だけが漂う。
「とにかく、開けてってば」
「いやマジで、結界がぴしっと張ってあるから俺らには無理だって、大将」
 振り向くと、どこに隠れていたのか、加州清光とにっかり青江がそば近くに控えていた。
「あなたたち、いままでどこにいたの」
「うん?その辺で主を待ってたけど、違う道を通られちゃったみたいだねえ」
 緊張感のない青江の声は、今はただ少女の神経を逆なでするだけだ。
 ふっと視線をそらして加州に詰め寄る。
「なら、次郎太刀連れてきなさいよ。いるんでしょ!!」
 太郎太刀と同じ熱田神宮へ奉納された次郎は、結界の処理が上手い刀剣の一人だ。
「ムリ」
「なんで」
「次郎姐さんは、昨夜の祝勝祝いで呑み過ぎたのかつまみに当たったのか便所でゲロゲロしてる」
「またなの?あの、のんべえったら、全くしょうがないわね」
 しれっと口にした真っ赤な嘘が、あっさりと通じた。
 「じんとく?」とひそひそとささやきあう声を黙殺し、イライラと爪を噛みながら、青江をねめつける。
「・・・そしたら、石切丸は?」
 石切丸もまた、石切剣箭神社に長く奉納されているため、神力は並々ならぬものがある。
「山姥切の衣服からただならぬ穢れを感じるとのことで、潔斎にこもったきりです」
 「ただならぬ汚れじゃねえの」という声のもとへ殺気を放った。
 山姥切は陰でこっそり『鼠さん』と呼ばれるほど、みすぼらしい恰好を常としている。
 しかし、その下に隠された美貌はどんなに装っても隠しようがない。
 そんな山姥切を審神者が気に入り、近くに置きたがっていることは周知の事実だ。
「なら、なら、こじ開けるくらいの神力があるのは・・・」
「残りは、まだ遠征から帰ってません」
 さらりと躱されて、地団太を踏む。
 こうしている間にも、二人の睦言は筒抜けだ。
「あーっ、もう、とにかく誰か止めてってば!!」
 聞きたくないのに、聞こえてくる。
「もう、本丸に戻ろうぜ、大将」
「いやっ。山姥切と帰るの!!」
「あー、それは無理だから。太郎さんは三日後に結界解くって言ってるから、それまで待とう」
「ひどい、三日も経ったら山姥切が死んじゃう」
「それはないから、大丈夫」
「なんでだいじょうぶなの?」
「それは・・・」
「それは、太郎太刀の神力のなせるわざだから、だよ」
 青江の助け舟におーっと一同賞賛の声を上げた。
 だがしかし、じっくりと彼の微笑を見据えた審神者はぺっと切って捨てた。
「うそね」
「えー、そこは信じてもらえないんだ?」
「信じない。青江のそういう顔の時は一番信用ならないもの」
「やだなあ。僕はいつも誠心誠意お仕えしているのに」
「なら、石切丸呼んできて」
「それは無理だなあ。石切丸の結界って太郎太刀より強靭な上にたちが悪いんだよね。近寄ったらこっちが喰われちゃうよ、ああ怖い怖い」
 へらりへらりと笑われて、審神者はまた地団太を踏む。
「もうっ!!みんな肝心な時に役に立たないんだから」
 何度目かの癇癪玉の破裂をこわごわ見ていた粟田口の中から、ひょっこりと鯰尾が突っ込みを入れた。
「あ、ひどい。俺たちだってこうしてここに侍ってるじゃん」
「はあ?あなたたち、山姥切を助けようともせず、盗聴してさらに覗き見しようとしてたじゃない!!」
「えええ?助けるもなんも、山姥切もばりばりノリノリじゃ・・・」
 そこで渾身の一撃がいらぬ言葉を吐いた少年の顎に命中する。
「うが・・・っ」
 後ろに飛んでいく脇差を全員があきれ果てた顔で見送る。
「きじもなかずば・・・って、誰かあいつに教えてやれよ・・・」
 誰かの小さなつぶやきにぷちりと最後の糸が切れたような気配がした。
「あ・・・ばか・・・」
「だれも、かれも、みんな・・・」
 のろのろと地を這うような声が、恐ろしい。
「・・・大将、あのさ・・・」
 あわてて差し出された手を払いのけて、審神者は叫んだ。
「きらいきらい、みんな、だいっきらいーっ」

「はいはい、そこまで」
 ぱんっと手を叩く音に、一同振り返る。
「燭台切・・・。遅い」
 ぼそっと加州が呟く横で、青江が両手をひろげて歓待した。
「やあ、光忠さんおかえり」
「お帰りも何も、きみたちさあ…」
 どこかのんびりとぼやきながらもいきなりつかつかと審神者に近寄ると、「失礼」と一言呟くなり胴を掴み、ひょいと肩に担ぎ上げた。
「な、な、何するのーっ、おろしなさい、光忠」
 俵のような扱いに、胸から下が逆さになった少女は燭台切の背中を小さなこぶしで必死になって叩く。
「やだね。即刻撤収だろう、これは」
「いーやーっ」
 陸揚げされたばかりの魚のようにぱたぱた跳ねて暴れるものの、不自然な体制でどうにもならない。
「ほらほら暴れない暴れない。落ちたら痛いよ?」
「落ちてもいい!!降りるのーっ」
「いや、ほんとに痛いからやめよ?」
「いいのーっ。おろして~っ」
 もはや子供返りの域に達しつつあった。
 普段は沈着冷静で戦の差配をするときには表情を動かさない少女が今、駄々をこねて大暴れしている。
 その信じられない光景に誰もがあっけにとられ、しかしこれなら騒動にも終止符が付くかと安どの空気が流れつつあったが、それもつかの間のことだった。
「さて弟たち。お前たちはここで何をしていたのかな?」
 涼やかな声色に、少年たちは顔色を変える。
「い、いち兄・・・」
 刀派唯一の太刀である一期一振が慈悲深い微笑をたたえて現れた。
「兄ちゃん、目が、目が笑ってない・・・」
「当たり前だろう。この騒動一部はお前たちに責任があるからな」
 ぴしりと指摘したのちに、とりあえず床に伸びていた鯰尾を小脇に抱えて、号令を出す。
「全員、とにかく僕について来なさい。いかなる理由があろうとも脱走不可」
「はあ・・・い・・・」
 しょんぼり肩を落とした短刀たちの後ろに、一期一振と一緒に帰着したらしい脇差の骨喰藤四郎がいつの間にか佇み、じっと仲間たちを見守っている。
「最強の布陣だ・・・」
 加州は感慨深げにため息をつく。
 あっという間に廊下は静かになった。
「ところで、近侍はどうした?」
 光忠の問いに、さっと、左右を青江と加州が固める。
「蜻蛉切はよもやこうなるとは思わず、熱心に刀装作りに励んでる」
 抱えた少女の重みを感じさせない足取りで、本丸に向けて進んだ。
 さすがに暴れ疲れたのか、抵抗する動きもだんだん小さくなってきている。
「あの人、真面目だもんなあ・・・。中断できるかな」
「狐を送ったから大丈夫じゃない?」
「ああ、あれはある意味破壊力あるねえ」
 刀剣たちの雑談が弾む中、じわりと潤んだ声が落ちる。
「ねえ、降ろしてってば・・・」
 燭台切はベストの背中をふるえる指先にぎゅっと握りこまれるのを感じた。
「・・・あのさあ、主」
「おろして」
「降ろすのはダメ」
 燭台切はきっぱりと断りながらも、少女の体に腕を差し入れて体勢を変え、横抱きにした。
 彼の金色の瞳が間近に見つめてくるのに耐えられず、審神者はふいと顔を俯かせた。
「主」
「・・・なに」
「あそこを開けるのはたぶん簡単だけど、そのあとのこと、ちゃんと考えた?」
「あとのことって・・・」
「山姥切はかなりの恥ずかしがりやさんだよ?いっつも隅っこにいて、目立たないようにってぼろっぼろの衣装着て」
「逆に悪目立ちしてるだろ、あれは」
「そこはまあ・・・。とりあえず置いといて」
 加州が茶々を入れるとちらりと微笑を返し、「ねえ、主」と柔らかな声で話を進める。
「あれほど必死になって自分を隠し続ける理由は解らないけれど、山姥切は誰にも何も見られたくないんだよ。それなのによりによって密か事が筒抜けだったなんて知ったらどうなると思う?」
「どうって・・・」
「あの子はきっと正気ではいられないと思うよ」
 あの子、と、燭台切は言う。
 その言葉の中に親しみと優しさを感じ、ぱんぱんに膨れ上がっていた審神者の憤りがしぼんでいく。
「・・・なら、どうしたらいいの」
「知らないふりをして、部屋から出てきたら、大事にならなくてよかったって言って喜んであげたらいいんじゃない?」
「しらないふり?」
「うん」
「山姥切が、あのバカ太刀に、あんな、あんな酷いことされたのに・・・?」
 羞恥と怒りが甦りかけたのを、軽く揺すっていなした。
「あれは、治療。深手を負って生死の境をさまよった山姥切が元通りになるための通過儀礼。・・・そう思おうよ」
 帰城した途端、五虎退の伝令で太郎太刀の暴走と審神者の混乱ぶりを知った時には、正直、一期一振たちと頭を抱えたが、今更どうしようもない。
「太郎太刀への仕置きは、そのあとでこっそり、やればいい」
 ここまで騒ぎを大きくした張本人をかばう気には、さすがになれない。
 少しは痛い目に遭うのも必要だろう。
「・・・わかった。そうする」
「ありがとう」
 少女のつむじに軽く唇をあて、一息つくとゆっくり床へと身をかがめた。
「ほら、あなたの近侍が迎えに来たよ」
 つま先が着くなり、審神者は毬が弾むように駆けだした。
 たん、と踏み切って跳んだ先には岩のように大きな男が待っている。
「蜻蛉切、とんぼぎり、とんぼぎり…っ」
 全速力の走りで力いっぱい飛び込む子供を、なんなく抱きとめた。
「おそい・・・」
 涙声の抗議が広い胸に沈む。
「は・・・。申し訳ありません」
「もう疲れた。帰りたい」
「はい」
 こんな時、蜻蛉切のどこか不器用で朴訥とした人柄が一番のよりどころとなるのだろう。
 ゆっくりと抱き上げると素直に身体を預けた。
「では、失礼する」
 仲間に軽く会釈をしたのち、奥へ向かって静かな足取りで進む槍の背中をため息交じりに見送った。
「思ったより早く保護者が来てくれて、良かったねえ」
「僕と蜻蛉切とでずいぶん態度が違うよね、主ってさ・・・」
「ふふ。やきもち?」
「妬くも何もね。まあ、役割は心得ているつもりだよ?」
「君って、意外と貧乏くじ引く方だよねえ」
「青江さんから言われると、なんかポジション固定な気分になるからやめて・・・」
「はあーっ・・・」
 和やかに会話を交わす二人の横で加州がへたり込んだ。
「終わった・・・」
 疲労困憊といった彼の上にお気楽な声が降りてくる。
「ご苦労様~。ね、慰労会やろうよ、慰労会」
 にやにや笑いながら大太刀がどぶろく片手に登場した。
「次郎さん、あんた丸投げっぱで今までどこに隠れて・・・」
「んー。ゲロゲロしてることになってたから、いちおうその辺でおとなしくして見守ってたよ?」
「・・・助けてくれても良かったんだけど・・・」
「ま、みっちゃん来てからあっという間に収まったから、万事めでたしじゃない?さすがやること早いわねー」
「お褒めに預かり光栄至極」
「あん、惚れちゃう~。ね、一発やらせて?」
「それは勘弁してください。僕はまだ死にたくないんで」
「ああん、いけず~。なら、加州はど?」
「いや、俺も勘弁」
「ひっどーい」
 女装していても大柄で腕力も相当な次郎太刀に二人は同時に抱き込まれ、背骨をきしませて息をのむ。
「次郎さん、狐が酒宴の支度が出来たと言ってますよ」
「あいよ!じゃあ、いこっか!!」
 青江の助け舟にほっとするのもつかの間、そのままずるずると廊下を引きずられて行く。
「今夜は眠らせないよ!!」
 その言葉通り慰労会出席者は次郎太刀の独壇場となり、翌朝にはほとんどの刀剣たちが仲良く二日酔いに沈んだ。

 そして。
 三日後に奥御殿から出てきた太郎太刀は、その瞬間から遠征に次ぐ遠征を命じられ、帰着時には必ず山姥切は出陣中で不在という念の入れようで、全く会うことが叶わなくなった。
 その処遇に、七夕の牽牛と織女の方がまだましなのではないかと刀剣たちは震え上がる。
「少女って、こええー」

 さもありなん。



 -完-


→ 『刀剣乱舞』シリーズ入り口へ戻る

→ 『過去作品入り口』へ戻る

inserted by FC2 system