『愛する。』
ざーっ・・・。
ざざーっ・・・。
ざーん・・・。
波の音にも色々あると気が付いたのは、この海岸を歩くようになってからだ。
単調に、行きつ戻りつするだけだと思っていた白波は、時には小さく、時には多くの波を巻き込んで、砂浜に押し寄せてくる。
初めて砂浜を歩いた時にうっかり海水に足元をぬらされて慌てて飛びのいたら、後ろを歩いていた勇利が声をあげて笑った。
「油断したね、ヴィクトル」
強い風に黒髪を乱されながら、透き通った声で語りかけてくる。
「日本海を、舐めちゃいけないよ?」
小さな町の、小さな浜辺。
内海のように穏やかに見えるかもしれないけれど、潮流の速い日本海に面しているから意外と波の引きが強いのだと彼は言う。
「そのギャップが面白いでしょう?」
誇らしさと愛着が、彼の瞳から溢れ出ていた。
首をめぐらせば簡単に見渡せる、本当に小さな、ちいさな湾。
だけど、漁を営む小舟が行きかい、色々な鳥が飛んでは鳴き、雲は空を走り抜けていく。
変化に富んだ風景。
そして、波と風の織りなす音。
そこに存在する何もかもが、命に満ちて、育み続けていた。
「ヴィクトール!!」
勇利が、愛犬と浜辺を走り、波と戯れる。
笑って、
跳ねて、
輝いて。
優しい光に包まれた光景に、なぜか目の奥が痛くなった。
つま先をぬらした冷たい塩水。
足を下ろすたびに、ざくりざくりと細かな粒の感触を伝える波間の砂。
居を構えるサンクトペテルブルクは港町だし、今まで色々な国の海辺を歩いてきた。
海を、浜辺を知らないわけじゃない。
だけどこれほどまでに、一つ一つを感じたことはなかったと思う。
浜沿いに植えられた防風林の、松の枝を彩る濃い緑の葉。
うっすらと漂う、清々しい香り。
頬をなぶる風は冷たいのに、どこか心地よい。
初めて、知った。
初めて、感じた。
初めて、愛しいと、思う。
小さな海も、冷たい風も、悪戯な波も、雲間から差し込む陽の光も。
そして、勇利。
君がいなかったら。
君がここにいなかったら。
僕は、一生知ることはなかっただろう。
一歩ずつ、足を踏み出す度に砂が鳴く。
愛してる。
愛してる。
愛してる。
君と、君の世界の全てを愛してる。
-完-