『道の知らなく』


  山吹の 立ちよそひたる 山清水
  酌みに行かめど 道の知らなく


   山吹が美しく飾っている山にあるという
   泉の聖なる水を酌みに行き、あの人を蘇らせたい
   と思うのだが、その道がわからない。

                           (万葉集-高市皇子-)


 すみきった秋空の下、天の使いと見紛う少女たちがゆっくりと舞を舞う。

 その年はまれにみる不作の年だった。
 夏から秋にかけて風の害がひどく、国中のありとあるゆる作物を風が薙ぎ倒して回り、国に納める税もままならない状態だというのに、追い打ちをかけるように内裏で火事があり、その復旧のためにも公卿や国司たちは自らの懐を痛めねばならなかった。
 そんな中、涼しい顔をして消失した調度すべてを豪奢なもので取り揃えて献上したのが伊予守源公光だった。
 彼は国司を歴任し、遥か昔に臣籍に下った中流貴族ではあったが財力は当代一と噂される男である。ここで惜しみなく財力を放出することにより、次の除目(現代の人事異動)でさらに上の地位を拝領することを狙う彼は、金に糸目を付けなかった。
 事実、彼のおかげで朝廷の面目は立ったのだから、今上帝の覚えが悪かろう筈もない。
 十一月の中の虎の日に清涼殿にて五節舞が催された後の宴で、今上帝は尋ねた。
「伊予守。そなたにはこの度ひとかたならぬ世話になった。ぜひとも礼をしたいと思う。何か欲しいものがあれば存分に言ってみよ」
 その時、帝は酒を過ごしたせいか、この上なく機嫌が良かった。
 要するに、かなり気が大きくなっていたといって良い。
 そんな好機を、四十を迎えた老練な伊予守が逃す筈もない。
 彼が何を口にするのか、その場に会した殿上人たちは固唾を呑んで見守った。
「では・・・」
 しんと静まり返った内裏で、伊予守の張りのある低い声がゆるりと歌うように流れる。
「帝の掌中の玉である舞姫を、ぜひとも我が妻としていただきたい」
「舞姫・・・?」
 今年の五節の舞姫は四人。
 摂津守の長女と播磨守の次女と修理大夫の長女、そして源宰相の長女であった。
 本当は四人目の舞姫は源の宰相の息女ではなく、とある宮家の姫君だったのだが、直前になって病に倒れた。
 毎年行なわれるとはいえ、帝の御前で立派に舞を納めれば一族の栄誉になることには違いなく、自然と周囲の者はその支度に力を入れてしまう。その過度の期待と重責が深窓の姫君には耐えられなかったと見える。
 宮家の姫君はもののけにとりつかれたという不穏な噂を耳にした人々は縁起が悪いと尻込みをしたし、代わりを務めるにも何分急な話で、失態を侵すのを恐れ、代役として娘をさしだすものはいなかった。
 そうして白羽の矢があたったのが、中宮付きの殿上童である源宰相の息女だった。
 小宰相と呼ばれるその少女は、先の帝と典侍との間に生まれたのち臣籍に下った源宰相と、御所務めをしていた中流階級の女房との間に生まれたが、間もなく二人は別れたため、母親に伴われて数年前より中宮御所に童殿上している。
 血統で言うならば現帝の従妹にあたるが、後ろ盾のない身ならば宮仕えするというのは世の習いになっていた。
 もっとも母親は殿上して間もなく中流貴族と再婚して娘を宮中に残したまま北国へ下向しており、娘をもたない中宮や年嵩の女房たちに可愛がられて育ったので、そんな彼女を『掌中の玉』というのもあながち的外れではない。
「舞楽を拝見した折りには、天女がこの清涼殿へ舞い降りたかと思いました。ぜひとも舞姫を私にお譲りいただきたい」
 御簾の奥深くに控えていた女御たちやそのお付きの女房たちが一斉に騒めく。
 まるで竹薮が風にあおられて笹の葉を鳴らす音のようなざわめきの中、五節舞の衣装を身につけた少女はすらりとした背筋をのばした姿勢のままじっと石のように動かなかった。
 さすがに緊張と驚きは隠せないのか白い頬はやや青ざめていたが、臆する事無く昂然と顎を引き上げ、長いまつげに覆われた切れ長の瞳はこれから我が身に降り掛かるすべてを見極めようというのか、御簾の向こうの伊予守をひたと見据えている。
「伊予守ともあろう方が、なんと幼いことを・・・」
 中宮の華やかな笑い声が緊迫した空気の流れを変えた。
「小宰相もようやく13の歳を迎えたばかり。いきなり求婚されても戸惑うばかりでしょう。親代わりの私としては、この子の気持ちも汲んでやりたいと思いますが、異論はありませぬよね。帝」
 みずからの産んだ子供が東宮である以上、宮中で揺るぎ無い地位に立つ中宮はおおどかな微笑みを浮かべて帝を仰ぎ見る。
「しかし・・・」
 欲しいものは何でも与えると公言してしまった中宮の歳より幾らか若い帝はとまどいの声を上げた。
「報償は追って沙汰をするということで、今回は、次の月に裳着をなさるという伊予守のご息女へこの衣を授けましょう。宜しいですね?伊予守」
 唐渡りの衣を女房に預けて中宮は微笑む。
「はい・・・。ありがたき幸せ。娘も喜びましょう」
 さらりと笑って衣を肩に被け持つ伊予守の姿に、一同は安堵のため息を吐いた。
 願い自体は聞き届けられなかったが、中宮自らの衣を頂いた伊予守の娘はある意味では箔が付いたので、粗略に扱われたと言うわけではない。
 また、中宮付きの女房にはたとえ帝であっても手出しは出来ないということを知らしめ、いかに現在の宮中で中宮の権力が強いかを痛感する一場面だったと言えよう。
「この奉納舞の功労者であるはずの小宰相をあまり追いつめないで下さいまし。気の毒ですわ」
 秘密めいた口調でこっそり耳打ちする中宮に、帝は苦笑しながら肯く。
 その時になってやっと小宰相は天を仰ぎ見て、ゆるゆると息を吐き出した。


 後に盛大な裳着の式を行った伊予守の娘が東宮御所の典侍としてあがることにより、すべては解決したように見えたが、そうは問屋が卸さなかったことは一月も経たぬうちに人々の知ることとなった。
 大嘗会を終えて間もなく、伊予守から小宰相への熱烈な求婚が始まったからである。
昼夜を問わず送り付けられる文と贈り物を片っ端から小宰相が送り返すという応酬を女房達は面白おかしく噂しあい、己の男ぶりに自信のある者や伊予守に反感を持つものは彼を出し抜こうとわれもわれもと小宰相のもとへ文や贈り物を届けた。そして、渦中の女童を一目見ようと局のあたりを徘徊するものも増え、心休まる時は無いに等しい日々か続く。
「迷惑です」
思い余ってそんな文を返してみると、
「居並ぶ男達の中で私だけ返事をいただけるということは、脈があるということだな」
と、彼は声も高らかに公言する。
「のぞみなんてとんでもない」
それを聞きつけ躍起になって否定する彼女に
「いやいや、小宰相の心は本人の預かり知らぬところで傾いていると言う証拠さ」
と女に関して手練れと名高い彼は嘯き少しも意に介さない。
 糠に釘という言葉はこういう時を言うのだろう。
 父である宰相もしまいには「ここまで思われるのだったら女として本望ではないか・・・?」と恐る恐る言って寄越す始末。
 中宮が小宰相に決定権を預けると言った以上、自分さえしっかりしていれば何も臆することはないと安堵した己の甘さに歯噛みした。
 自分が今どんな気持ちであるかなんて、いったい誰が慮ってくれるのだろう。
 綿のような雪が静かに降り出した庭をうつろに眺めた。
 五節舞を舞った秋はとうに過ぎ去り、騒ぎに降りまわされているあいだに年を越し、今は宮中にしんしんと雪が降り積もる。
 いったい、いつまでこのような生活を続ければいいのか、もう、考える気力さえ奪われている。
 このような時に助言してしかるべき母親は恋多き女として知られたが、そんな生活に飽きがきたのか年貢の納め時と笑って越後へ行ってしまい、雪深い国ゆえに連絡を取るすべもない。
 中宮と先輩女房達が何かと気を遣ってくれるおかげて、局にいきなり男が押し掛けとくることもなくなり、夜はなんとか1人で物思いに沈むことも出来るようになった。
 彼女たちの力添えが無かったら、とっくの昔にどこの誰かに夜這いをかけられててごめにされていることだろう。
 日々の煩わしさから、少女らしくふっくらとしていた頬からいくばくかの肉が落ち、頤がほっそりと尖り、きりりとした切れ長の瞳とあいまって鋭い顔つきへと小宰相の容姿は変化をとげていった。
 まっすぐな黒い髪は冷たく肩を波打ちながら流れ、白くて広い額に氷のような美しさをたたえていた。
「そなたを欲しいと言う伊予守の気持ちも分からなくはない。これからどんどんそなたは美しくなっていくであろうからな」
 中宮は雪を思わせる重ねの細長(若年の女性が着た正装。十二単と童衣装を合わせたの変形版のようなもの)を新調してやりながら、その面差しを見るなりため息を吐く。
 中宮にしてもここまで混乱するとはさすがに思っていなかったので、どう収拾をつけようかと思いあぐねていた。
「それにしても、伊予守も人の悪い・・・」
 彼の粘り強さに感嘆しつつも、引き際というものを熟知していながら決してそうはせぬ彼の意地を中宮は疎ましく思った。
「せめて、居並ぶ求婚者の中に誰ぞ意中のものがいれば良かったものを・・・」
 ようやく大人への入口に立った少女にそれを要求するのも酷かと、中宮は苦笑する。
「どうしたものか・・・」
 白地に菱の文様を織り込んだ衣に指を滑らせて再び彼女はため息を吐いた。


 夢うつつの中でかちりと金属がおこす音を聞いた。
 雪は止んだのか、深い闇と静けさにあたりは包まれている。
 聞きなれた音だがいったいなんだっただろうとぼんやり考えているうちに、誰かが几帳をくぐって枕元へにじり寄った気配を感じた。
「・・・阿波?どうしたの・・・?」
 幼少の頃から自分の側付きとして仕えている老女だと思い、ゆるりと瞼を押し上げる。
老女の応えはない。
 不審に思い身を起した瞬間、背後からいきなり何者かが抱きすくめた。
「淑子どの・・・」
 この宮中で自分の真の名前を知るものは、少ない。
「としこ・・・」
 首筋に暖かい息がかかる。
 自分の体をすっぽりと包み込む広い胸、鋼のように強い腕。
 まごうかたなき成人男性のものだった。
「お会いしたかった・・・」
 実家のものと中宮位しか知らない自分の名前を口にするこの男の張りのある低い声は、聞き覚えがあった。
「伊予守・・・」
 中宮から娘へと拝領した衣を肩にかけながら、御廉を隔てて部屋の奥深くにいるはずの自分を刺すような眼差しで見据えた彼の姿が瞬時に浮かんだ。
 殿上人にしては受領階級ゆえにか黒く焼けた肌とえらが張って骨張った輪郭に高い頬骨、そして一重に切れ上がったまなじり。
 じっとりとどこか爬虫類を思わせる顔つきは、小宰相の背筋に冷たいもの走らせた。
決して見場の良い男ではないのに、女の噂が耐えないのはその長身の体躯のせいだったのだろうか。
 しかし、両親よりも年上のその男が子供の自分を妻に望む真意が掴めず、今まで逃げつづけていた。
 その男が、今、ここで自分を捕らえてしまった。
 混乱しながら彼女は彼から逃れようともがくが、力の差は歴然としている。
「やめて・・・・っ」
 これから起こるだろう事に対する恐怖と屈辱に涙を流して抵抗するが、唇から息は絡め取られ、衣服はあっという間に剥ぎ取られていった。
「いやっ・・・・」
 ねっとりと帳をおろした闇の中、白鷺がかん高く鳴く声を聞いた。


「淑子どの・・・」
 琵琶の一番低い音のような響きのある声に呼びかけられて、ゆっくり小宰相は目を開けた。
 涙を流しつづけたせいで瞼は重かった。
 大きな体にのしかかられて思うさまに引き裂かれ、疲れと痛みで声も出ない。
 宮中は女房達と殿上人たちの交流の場であり、秘め事などそこかしこで展開され見て来たので男女のあいだに何があるかは知っている。
 だが、知っていたからなんだと言うのだ。
 また、まなじりから頬にかけてひとすじの涙が落ちていった。
「泣かないで下さい・・・」
 頬を骨張った大きな手がゆっくりなでる。
「伊予守さま。そろそろお出ましにならないと・・・」
 阿波が外から戸をほとほとと叩いた。
 瞬時にして内側の掛け金をはずしてここに招き入れたのはこの女だったのだと悟る。
「また来ます」
 もう一度頬をなで、額に唇を落すと、伊予守は立ち上がる。
 桧の戸が開き白銀の光が乱反射して彼を包むのを見届け、ゆっくりと小宰相は目を閉じた。


「小宰相さま、申し訳ありませぬ。外で不審な音がするので様子を見ようと戸を開けると、伊予守さまが押し入ってこられて・・・・」
 おろおろと阿波が弁解しはじめるのを目をつむったまま聞く。
「髪の一筋だけでも見るだけだとおっしゃるので、信じてお通ししたのに・・・」
 いや、違う。
 掛け金が外れて伊予守が枕元に座すまで、さして時間の掛からなかったことを覚えている。
 この老女は長年仕えていた主人を売ったのだ。
 彼女が今年に入っていやに身辺で羽振りが良いのは、孫娘に裕福な男が通うようになったからだと思っていた。
 しかし、本当はこの日の為に伊予守から金品を巻き上げたのだと知った。
「非力な私をどうかお許しください・・・」
「そうね」
 なおもかき口説く老女の口を封じた。
「貴方が悪いのではないわ。不自由な生活をさせていた私が悪いのでしょう」
 起上がって見据える少女の眼差しに老女は息を呑んだ。
 何もかもが見透かされている。
「老いた体で宮仕えを続けるのは大変でしょう。そろそろお孫さんの所におかえりなさい」
 青白い頬に赤い唇が笑みの形を作る。
 しかし、目は冷たく凍ったままだった。
「ひ、姫さま・・・・」
 日頃慕ってくれていた幼い主人が自分に向ける初めての表情に老女は愕然とした。
 確かに伊予守からいろいろともらったのも確かだが、飢饉のせいもあって財政の乏しい宰相家にとっても女主人にとっても悪い縁談ではないと思ったので、彼の願いを聞き届けた。
 半分は忠誠心もあっての行動だったつもりだが、この主人は自分を解雇すると言う。
「も、もうしわけあれませんでした・・・」
 もう、少女の眼差しを見返す勇気はどこにも無かった。
 手を付いてひれ伏すと、直ちに局の出口へ向かう。
 あわをくって足をもつれさせながら駆け出す老女の後ろ姿を見て、哀れに思わなくもない。
 しかし、裏切られた悲しみと苦しさが憐憫よりも勝った。
 いつかは許せるかもしれない。
 遠い、いつかは。
 でも、それはいったいいつのことだろう。
 込み上げてくる涙は後から後から頬を伝って落ちた。
 今は無理矢理思いを遂げた伊予守と欲に負けた老女と何も知らなかった自分への、怒りと悲しみと混乱で何も見えないし、見たくない。
 その反面、どこかで安堵する自分が居る。
 ・・・狩りは終わった。
 もう人々に追いかけられて逃げ惑うことはないだろう。
 格子戸の隙間からうっすらと朝日が射し込み、きらきらと輝きながら光の柱を作った。






 -つづく-


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