『シゲルとミケ-明け方の月-の、おまけの、さらにおまけ。』




「なんかばばさま、わるくちいわれてるよ」
「・・・たのむから、そういうのは降りて言ってくれねえか」
「なんで?」
「なんででも」

 最近、ずしっとした重みで目が覚める。
 そして、こいつも起こすつもりで乗っかっているとしか思えない。
 その証拠に。

「目え覚めた?シゲルさん」
 ・・・と、きたもんだ。

 眠っていた筈の自分の腹の上にまたがっているのはミケ。
 本当は一歳になったばかりの三毛猫だが、月が空に出ている時だけ人のナリになる。
 人間ならば十五、六歳程度の体つきで、真っ直ぐに伸びた手足はまだ細い。
 しかし雄への入り口に立っているらしく、そのはけ口をなぜか三十路目前のシゲルに向けることが増えた。
「ねえねえ、目え覚めた?」
 そう言ってはだけた胸元に舌を這わせ始めたので、額を掴んで引きはがす。
「あほんだら。なにしやがる」
「ん。だって、しんじろう喜んでたよ?」
 慎二郎は伯母の家で焼き畑農業の修行に入ったが、相変わらず半分夫婦のような暮らしをしているようだ。
 それをのぞき見していた猫たちの情報が、回り回ってミケの口からこぼれ落ちてくる。
「だから、それをいちいち俺で試すな」
「むー」
 毎度毎度両唇を摘んで言い聞かせるが、とんと響かないようで次の月が昇る時は必ず身体をいじられてたたき起こされる。
 仕方ないので起き上がり、ミケに水を汲んでくるよう言いつけた。
 あぐらを搔き、キセルに煙草をつめて火を点けると、湯飲みに水を汲んできたミケが正面にちょこんと座った。
「あのね。おんなたちが、ばばさまはあくどいって」
「ああ・・・。そういやそうだっけか」
 もともとは御武家の出とかいう慎二郎がこの近くに流れ着き、庄屋に厄介になって数ヶ月。田舎には希な美丈夫だったため女たちは色めき立ち、色事がらみで勘当されたという彼は性懲りもなく彼女たちを綺麗に平らげていった。
 どうせ飽きたら出て行くだろうと村の男たちも静観していたのだが、なぜか50を過ぎたシゲルの伯母にはまり、つきまとい、口説き倒して押しかけ婿状態になっている。
 表向きは農業に興味を持っての弟子入りとなっているが、伯母に溺れきっているのは誰の目にも明らかなので、今度は女たちがいきり立っている。
「めんどくせえ・・・」
 ミケが言うには、村一番の美女ならまだ良いが、しなびた婆に持って行かれたことがどうにもこうにも許せないらしい。
「許すもなんも」
 正直、慎二郎の片思いである。
 伯母は労働力の対価と暇つぶしで閨の相手をしているに過ぎない。

「そもそも、仕込みが違うからな」
 けろりと婆は言う。
「十三からおよそ三年間、妾奉公の賜物じゃな」
「妾奉公・・・」
「じゅうさん・・・」
「にゃー・・・」
 なぜかシゲルの家に伯母と慎二郎が上がり込み、酒を酌み交わしていた時のこと。
 いい歳の大人が集まり酒を飲み始めると、どうしても色事の話になるのは何故だろう。
 そもそも奉公したのは倒幕前のとある大名屋敷だった。
 女にしかできない奥仕事で、ご不浄掃除や力仕事ができる娘をということで十三歳のおミツが引っ張って行かれた。
 当時、両親は子沢山と天気任せの小作故の度重なる負債を一掃したいところだったので、渡りに船だったという。
 現在の焼けてしぼんだ容姿からは全く想像できないが、肌の色も抜けて白くなるとなかなかの目鼻立ちであるとことが発覚し、更には年のわりに成熟していた体つきに目をつけたあるじにあっというまに閨に引き込まれ、すぽんと男子を産んだ。
 長い間子宝に恵まれない武家屋敷は沸きに沸いた。
 息子はすぐさま正妻の子に仕立て上げられ、ミツも生みの母として屋敷の一角に部屋をもらった。それからまた一年と経たないうちに次の子を身ごもり、それもまた男子だった。
 続けざまの男子誕生に気を良くした主人はおミツに言った。『なんでも望みを叶えてやろう』と。それは、暗に奥での立場逆転を示唆していた。
 そこで、三ヶ月の息子を抱いたおミツは答えた。
『おいとまを頂戴しとうございます』と。

 そして、お役ご免になったおミツは鍬を一本携えて村へ戻ってきた。
 息子二人は、正妻の手で大事に育て上げられ、幕末も生き延び、今ではけっこうな名家として名を馳せているらしい。
 しかし、それもこれもおミツにとってはどうでも良いことであった。

「・・・何故ですか?」
心底不思議そうに首をかしげる慎二郎の横で、ミケも不満げに「にぃ」と鳴く。
「そりゃあ、おまえ、ばばあは焼き畑しか興味ねえからよ」
「んだな」
 こっくりと伯母はあいづちを打った。
「それに、あの柔肌は、わしの好みから遠くかけ離れておってな・・・」
「柔肌?」
「柔い肌じゃったよ。腕も腹も足もな。色も白くて、なんもせん男の身体はつまらんのう」
 それを聞いた途端、慎二郎は慌てて自分の腹を覗き込む。
「わしらと違って、殿様の肉は閨事くらいしか訳にたたんからな。おなごのようにふわふわしとったわい」
 労働階級はもとより、下級武士ならば武芸に励むことで活路を見いだすという野望があるが、上級ともなると武芸は形だけのもので、あとの仕事と言えば跡継ぎを作る以外にたいしてやるべきことがない。
「もう三十も半ばを過ぎた殿様はとにかくどのおなごでも良いから妊ませろと家臣どもから言われておったから、詮議の時以外はとにかく時を選ばず腰を振っとったな・・・。おかげでわしはお腹さまとしての教養よりも色街なみのあれやこれやをみっちり仕込まれるはめになった」
「なるほど・・・。それでおミツさんは・・・」
 その、妾教育の賜物を毎日のように体験している慎二郎はぽっと頬を赤らめて腰をもじもじさせた。
「頼む、そこから先は帰ってから二人でやってくれねえか」
 こめかみを神経質にかきながら、シゲルは唸る。
「ここでおっぱじめるのだけは勘弁してくれ」
 しっしっと、指先を払うと、伯母はにいいと歯を剝いて笑った。
「そうさな。明日もちいと仕事があるで、帰るかな」
 その言葉に、喜色満面の慎二郎が飛び上がる。
「はいっ!!今すぐ帰りましょう、そうしましょう、おミツさん!!」
「あー、あー。けえれけえれ、とっととけえれ」
 開いたままの戸から二人が月明かりの中並んで帰る後ろ姿を見送り、ぽつりと呟いた。
「なんだあいつら・・・。意外と似合いじゃねえか」
 そこへ、ぴょんと飛びついたミケは素早く懐の中に入り、額をこすりつける。
「まあ、いいこった」
 にゃーと、ミケが合いの手を入れた。


「ねえねえ、熟した実がなんたらって、おなごたちが言ってるよ」
 今日も、ずっしりと確かな重みがシゲルをたたき起こす。
「熟した実・・・?」
「ん。ばばさまに育ててもらった方が美味しいかろうって・・・」
 そう言いながら、れろれろと、シゲルのはだけた胸元を舐め始めた。
「慎二郎も、シゲルも、食べ頃になるまで待つんだって」
 なぜここで自分の名前まで挙がるのかが解らない。
「そりゃいったいどういう・・・・って、おいこら、そんなところ舐めるなたわけ!」
「んん?おいしいよ?」
 てちてちと小さな舌が固まりだした突起に悪戯をしかけているのを確認し、すぐさま口を摘む。
「む」
 この猫は、せっせと噂話と閨の技術を仕入れては披露しようとする。
「女たちに味見される前に、お前に丸ごと喰われそうで怖いよ・・・」
「むむー」
 じたばたもがくミケを押しのけて起き上がった。
「・・・仕事すっか・・・」
 ええーっと、背後で不満げな声が聞こえてくるが黙殺する。
「お前も、くだらんことばっか見聞きしとらんで、ちっとは働け」

 ただのだらしない飲んだくれがいつの間にか、まっとうな男になりつつあることにシゲルは気が付いていない。

 シゲルの受難は続く。



 -完-


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