『いつか、王子様が』




「いや~。良いモン見せて貰ったわ~」
 ビールを半分ほど飲み干して、本間が満足げに感想を述べた。
「良いモンって、もしもしお嬢さん?」
 池山は肘を突いてつまみのナッツを口に放り込む。
 焼き肉屋を辞した後に総勢十数人では入れる二軒目の店を探したものの、どこも混雑しており、結局いくつかに別れることになった。
 代わり映えのしないメンバーだが、立石、池山、本間、橋口、柚木、村木というグループで手近な居酒屋へ入り、今に至る。
「なかなか来ないと思ったら、まさかそんな出歯亀しているとはな」
 立石が苦笑すると、橋口がすかさず訂正をいれた。
「私達三人は別に覗くつもりは、さらっさら無かったんですよ。奈津美ちゃんがショータイムって言うから、なんのこっちゃって感じで・・・」
 彼女の隣で柚木と村木がこくこくこくと首を縦に振り続けている。
「まあ、そんなこったろうとは思ったけどさ」
 こら、と池山が本間の頭を軽く小突く。
「ええーっ。私だけ悪者?弥生さん、『あんなキスなら私もしたい』って言ったじゃん」
 唇を尖らせて抗議すると、橋口が肩をすくめた。
「まあ、確かに言ったわね。だって、あのキスは素敵だったんだもの」
「なになに?片桐のヤツ、実はテクニシャンなの?」
 にやにやと池山が食いつく。
「それは、一度手合わせ願いたいなあ」
 村木は飲みかけたカクテルを喉に詰まらせ、咳き込んだ。
「・・・あれは、中村さん専用。池山さんが迫ったところで、同じようにはやってくれませんよ。・・・というか、今の台詞、江口さんに言いますよ?」
 橋口は、びしっと人差し指で池山を糾弾した。
「は?」
 村木の背中を撫でてた柚木が目を丸くする。
「うわ、それはやめて!あいつ、怒らせたらけっこう怖いんだよ」
「あいつ・・・?えぐ・・ぢ、ざん・・・?」
 肩で息をしながら、村木が声を上げた。
「だ、誰です?江口さんって・・・」
 息も絶え絶えながら、突っ込むことを忘れない。
「あー。ごめんなさい・・・」
 橋口は唇を指先で覆った。
「やっちゃった・・・」
 柚木はごくんと喉を鳴らす。
「ええと・・・。俺の勘違いでなければ江口さんって、俺の知っている江口さんっすか?」
 本間と立石が両サイドから池山を見つめた。
 すると、きょとんと、池山は首をかしげる。
「あれ?ユズは知らなかったんだっけ?」
「はい?」
「立石んとこのクマと俺、付き合ってるよ」
 途端に、またもや村木が咳き込み出した。
「く、くまって・・・っ、つきあってるって・・・っ」
 たいてい『クマ』と呼ばれるのは男性が多い。
 しかし、もしかしたら、『クマ』のようにパワフルな女性かもしれない。
 慌てて、橋口と柚木が彼女の背中を撫でる。
「ごめんごめん、美和ちゃん、刺激の強い話してごめんね~」
 橋口は平謝りだ。
「・・・謝る相手って、そっち?」
 本間が眉をひそめて池山の背中ごしに立石に問うと、彼は苦笑するのみだった。
「もう結構長いから、いい加減ばれてると思ってたよ。ユズはここのところ俺らと出かけることよくあったし」
 開き直る池山に対して、柚木がぼそぼそと反論する。
「いや、普通はあなた方が付き合ってるとまでは思いませんよ・・・。なんかすごく仲が良いなとは思ってましたけど」
「そりゃそうだ。俺たちだって最初はまさかだろって思ったし。池山みたいにオープンなのが珍しいんだよ」
 立石のフォローに、本間がぐっと握り拳に親指を立てた。
「まさか、この業界、多いんですか?」
 立ち直った村木が不安げに尋ねる。
「なに?やっぱそういうのって気持ち悪い?」
 逆に、池山も不安顔で問い返す。
「いいえ・・・。それは別にないですけど、他人様のことだし・・・。ただ、既婚者プラス同性カップルが多いなら、この業界で彼氏を見つけるのは難しいことなのかなと」
「ああ、それはない。・・・ないと思う。俺、片桐達のほか、知らないよ?」
 両脇を振り向くと、本間と立石も首を横に振った。
「それは・・・ちょっと安心しました。私も、そろそろまともな恋愛したいので」
「そうよねえ。一日のほとんどを仕事につぎ込むんだから、やっぱり出会いは必然的に職場になるわよね」
 橋口がほう、とため息をつく。
「そういや、キミタチみんな女子校出身じゃん。女の子同士でくっついている子いなかったの?」
 興味津々で池山がにじり寄る。
 それを受けて女子三人は顔を見合わせ、しばらく思案した。
 最初に答えたのは、律儀な村木だ。
「それの見極めは難しい気がします。けっこうみんなべたべたしていたし。ただ、あれはなんだかプレ恋愛って感じだったから・・・」
「ああ、疑似恋愛っていうか、予行練習?」
「ええ。キスってどんな感じかな?って好奇心で、ちゅってしたり、他の人の身体ってどうだろうってふざけて触りっこしたり・・・。女の子もお年頃ですから、それなりに」
「それなりに・・・」
 今日は何度目のカルチャーショックだろう。
 柚木は軽い頭痛を覚えた。
 自分は、女性に何か夢を見ていたのかもしれない。
 いや、肉食獣の実姉だけがイレギュラーだと信じたかったのだ。
 柚木の苦悩もつゆ知らず、次に答えたのは名門女子大出身の橋口。
「私の大学はまったく見かけませんでしたね。生徒数が多すぎたせいもありますが、他の四年大とも交流があるから疑似の必要ないし、むしろ将来を見据えて有望株を捕獲にかかっているというか・・・」
「ほかく・・・」
 オウム返しに呟く柚木に立石が同情の視線を送る。
 こういう時にストッパーになる片桐がいないので、もはや野放し状態だ。
 周囲も二軒目三軒目と言った雰囲気でほろ酔い加減の漂う店内だが、見た目は整っている池山達が繰り出す衝撃的な発言の数々に、一部の人たちが聞き耳を立てている。
「こいつら、どうしてくれよう・・・」
 しかし、そもそも今夜は片桐がいてもいなくても最初から暴走特急だったことを立石は知らない。
「あ、私の短大はいたよ。中庭の噴水で堂々と額くっつけて十分以上も見つめ合ってる子達が。私は授業中だったから、講義そっちのけでまじまじと窓の外の二人を見ちゃったよ。あれ、本当にカップルだったみたいで、卒業後は一緒に暮してるって、風の便りに聞いた~」
 相変わらずあっけらかんと本間は手を上げた。
「ま。いるところにはいると。そんなとこか?」
 立石は話題を切り上げにかかる。
「いるところにはいるねえ・・・」
 せっかくの立石の努力を池山がひっくり返した。
「そういや俺、余興で片桐の唇奪ったけど、あんときはそんなに良い反応なかったけどな」
 あったらどうだというのだ。
 心の中でがっくりと立石は崩れ落ちた。
「舌まで突っ込んだけど、フツー?つうか、物凄く嫌がられた記憶あるんだけど」
「そこで、何を求めてるんですか、池山さん・・・。反応が良かったら、あなたたち韓国ドラマ並みに三角関係だか四角関係になって、今頃泥沼係争中ですよ・・・」
 橋口が冷静に突っ込む。
「あ~。それは嫌なんだけど、俺のキスにぜんぜんなびかなかったのが、ちょっと悔しい気がしてさ」
「・・・池山さんって、実は愛されたがりと言うか、甘えたさんだよねえ」
 にやにやと本間は笑う。
「ね。江口さんをそろそろ帰してあげたら?」
 身体をひねって池山ごしに立石を見上げた。
「・・・その権限は俺にない。勘弁してくれ」
 この爆弾男を野放しにしているとろくな事にならないのは骨身にしみているが、だからと言って折角キャリアアップ中の江口を北京から呼び戻す理由にならない。
「ああ、なんか俺、今、すっごくチューしたい」
 後輩への気遣いを池山の脳天気な台詞が粉々にする。
「長谷川・・・。なんでこんな男と・・・」
 思わず立石は、割り箸を握りしめて折ってしまった。
「・・あの。長谷川さんも男性ですか?」
 こっそりと村木が本間に解説を請う。
「ううん。池山さんのモトカノ」
 シンプルな回答に素早く脳を回転させ、おそるおそる更に問うた。
「・・・なんか、すでに三角だか四角だかですよね?」
「うわ、美和ちゃん鋭い~!」
 そんな野次馬たちをよそに、立石は背中を丸めてぶつぶつと意味不明の独り言を呟いている。
「・・・立石さんって、ああみえて・・・」
「うん?」
「ただのヒトなんですね・・・」
「まあ、そこがいいんだけどね・・・」
 外野のうるさい中、池山が立石にチューを仕掛けて顎を掴まれていた。

「池山さんの唇へのチューは確かに危険よね。官能的過ぎて、身体に直結しちゃう感じ」
 にいっと唇を上げる橋口が、それこそ官能的な笑みを浮かべる。
「キスの先へ進みたくさせるのが池山さんのチューかな」
 立石に引きはがされなかったら危なかったと、明るく笑い飛ばされて、柚木と本間がこそこそと正直な感想を述べた。
「・・・俺、鼻を食われる程度で良かった・・・」
「私も、ほっぺたで良かったかも・・・」
「・・・さすが、キス魔被害者の会」
 新入りの村木はひたすら感じ入る。
「なんだよ、そんなに威力のある俺様のチューより、片桐のチューの方が素敵って、なんか納得いかねーんですけど」
 誰もそんなことは言っていない。
 全員、即座に心の中で突っ込んだが、この男に何を言っても無駄だと思い、ぐっと飲み込んだ。
 ここでいち早く立ち直ったのは、橋口だった。
「だから、優劣の問題じゃないんです」
 ここで、懇切丁寧に解説できるのは彼女しかいない。
「池山さんが酔っ払った時のチューはもっと身体を合せたくなるチュー。さっき見た片桐さんのは、心を丹念に繋ぐ感じ・・・かな」
 ふと宙を見上げ、言葉を止めた。
「私は、そんなキスをしてきたかしら、と、思ったんです。キスを身体を合わせる手段の一つで、心地よいだけだった気がします。唇で心を語るなんて、考えた事もなかった」

 橋口は数日前に別れた男を思い浮かべた。
 聖。
 私の唇では、貴方の心に届かなかったのかしら。
 今更、もうどうにもならないけれど。

「唇で心を語る、か・・・」
 柚木は視線を落とし、手元のビールの泡を見つめた。
「それはまた、すごいっすね」
 幻想的だった、先ほどの光景が目に浮かぶ。
 全員、それぞれの想いをめぐらせ、沈黙が下りた。
 
「ああでも。正直なところ、中村さんも惜しいコトしたわ~」
 しかし、立ち直りの早い橋口が軽くその場を破壊した。
「は?惜しいこと?」
「ええ。私、中村さんとなら、物凄く可愛い女の子が産めるなあって常々思っていたんですよね」
 言わんとすることはわかる。
 中村のはかなげな容姿は、むしろ女性に生まれたなら賞賛の目を浴びただろう。
 しかし。
「・・・弥生さん、ぜんっぜん、懲りてないですね?」
 可愛い女の子を産みたい願望から1ミリたりとも離れていない。
「あ、わかります。私も、中村さんと初めてお会いした時に、彼みたいな容姿と性格で女の子に生まれたら、人生勝ったも同然だなと思いましたもん」
 横から村木が思いっきり深く首を縦に振る。
「・・・美和ちゃん、アンタもか」
 この点に限っては、意見を異にする本間の頬が引きつった。
「産んでみたいよね、あんな妖精みたいな子」
「そうですね~。どんな服も似合いそうですよね~」
 娘に人生を託したい派な二人は手を取り合い、すっかり一心同体だ。
「頼むから、そこから離れてくれませんか・・・」
 怖いから、とはさすがに言えずに柚木がおそるおそる間に入る。
 しかし、それは逆効果だった。
 飛んで火に入る夏の虫とは、このことだろう。
 きらり、と、橋口の目が光った。
「そういえば・・・。今更だけど、よくよく見たら、貴方も良いカンジね、柚木さん」
 身体を僅かにくねらせ、ねっとりと魅惑的に微笑む。
「は?」
 柚木は、ジョロウグモの巣にかかった心地になった。
「目が物凄くぱっちりしててキラキラ光ってるし、唇もいつも笑った感じになってて可愛らしいし、浅黒さが却って健康的で、元気の良い女の子になりそう。そういう子も良いわよね」
 逃げ出したい。
 けれど、指一本動かない。
「ね。この後、ちょっとウチでコーヒー飲まない?」
 コーヒー一杯が大きな代償を呼ぶことは、誰の目にも明らかだ。
「い、いやあ・・・。俺、明日、遠出なんで・・・」
「大丈夫。ちゃんと、起こしてあげるから」
 既に話は橋口の家へ泊まること前提に進んでいる。
「・・・心配しないで。今日は、安全日だから」
 大胆な発言に、柚木の額に冷や汗が浮かんだ。
 この話の流れで、誰がそれを信じるというのだろう。
「いや、確実に排卵日だろ・・・」
 こっそりと、池山が断じる。
「は、橋口さん、俺たち、まだ知り合って間がないし・・・」
「これから深く知り合えばいいわ」
「俺、実は下手くそなんですよ。前にそれで彼女から振られたし・・・」
 なんとか後ろに下がろうとするが、狭い店内に逃げ場はない。
「そんなこと気にしないで私に任せて。10分で天国へ連れてってあげるわよ?」
 ヒュウ、と、本間が口笛を吹いた。
「ええと、橋口さん、さっきは、片桐さんみたいな心を繋ぐキスがしたいって言ってましたよね?」
 頼みの綱に思いっきりすがった。
 しかし、橋口は非情にもぷつりとそれを裁つ。
「ああ、あれね。あれは・・・。とりあえず今はいいわ」
 ぽいっと無残に捨てられた。
「俺の感動はどこに・・・」
 あまりの豹変ぶりに、柚木は口をぱくぱくさせた。
「だからね?ウチにいこ?」
 首を傾けてにっこり笑い、両膝に手をかけられ。柚木は絶体絶命だ。
 このまま、膝に乗り上げられたらもうおしまいだと脳の奧で警鐘が鳴る。
 焦りながらも逃げ道を探す柚木は、ふと、あることを思い出した。
「あの、おれの親父、こんなん、なんですけど」
 胸元から携帯電話を取りだして、手早く操作し、画面を葵の御紋のように振りかざした。
「これでもいいですか?デブ・チビ・ハゲ・ヒゲ・脂ギッシュ、胸毛腹毛です」
 そこには、村祭りの法被を着た男が笑っていた。
 健康そうで、人柄も良さそうだが、女性受けしない容姿だ。
「・・・え?」
 橋口の動きが止まった。
 すかさず、村木と本間が身を乗り出して画面を覗き込む。
「うわ、ほんとだ・・・。言っちゃ悪いけど、そのまんまだ」
「ええと、ちいさいおじさん、って感じですね?」
 ぽかんと口を開いて固まっていた橋口が、そろり、と身体を戻していく。
 のど元に食らいついていた女ヒョウが、ふと思い直してゆっくりと牙を外してくれたような心地だった。
「・・・考えてみれば、私、今日は帰国したばっかりで疲れていたんだったわ」
 しゃっきりと背筋を伸ばし、首を一降りした後、にこっと笑った。
「お騒がせしてごめんなさいね、ちょっとなんだか血迷っていたみたい」
 正気に返ったようで、柚木は胸をなで下ろした。
「今日もありがとう、親父・・・」
 携帯を握りしめ、田舎の父へ感謝の念を送る。
「・・・お前、知ってたの?」
 この騒ぎの中、静観していた立石を池山が肘で突っつく。
「・・・まあな。ユズは、そもそももてるんだよ。ノリが良いし、優しいし、あの顔だし。若いけどすぐにでも結婚したいって、よく言い寄られてる。だから、たまにああやって親父さんの写真を魔除けに使ってる」
 面白いくらいに引いていく女性達を少しも恨まない柚木の器の大きさも、知っている。
 確かに、彼と一生を共に出来る人は幸せになるだろう。
「ああ、定番なんだ、アレ・・・。それもどうかと思うけど」
 デブ・チビ・ハゲ・ヒゲ・脂ギッシュ、胸毛腹毛の何がいけないのか。
 年取ったら皆同じだろうと思うのだが、遺伝子を残そうとする本能がそれを拒むのだと、幼なじみの有希子が言い放ったのを思い出した。
 そう豪語した彼女が、自分と身長の変らない岡本を最終的に選んだ所を見ると、実は本能なんてたいして当てにならない気もするが。
 女達の残酷さをしみじみ噛みしめつつ、その単純さがまた可愛いと思ったりもする。
「さあて、オチも付いたところで、今日はお開きとしますか」
 締めにかかると、まだまだ飲み足りない女性陣から抗議の声が上がった。
「夜更かしは、お肌の敵だぜ?」
 彼女たちがそそくさと帰り支度を始めたのは、言うまでもない。






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