全て、夢の中。
みなさん、物凄くお久しぶりです、田中です。
田中秀夫。
タナヒデ、と同僚達に呼ばれています。
あまりにも久しぶりすぎで誰だ?とお思いのことでしょうが、僕はちゃんと存在します。
参照するなら・・・そうですね。
『恋の呪文』の最初のカラオケシーンの中で酔いつぶれている一人とか、その次の飲み会で酔いつぶれている一人とか、片桐さんの破談祝いの飲み会の中の一人とか、・・・・。とにかく、飲み会の中に必ず紛れ込んでいる人物の一人ですが、名前すら出して貰ったことがありません。
なんせこのシリーズはただでさえ登場人物が多く、その上、なぜか皆さんキラキラしい方ばかりです。
地味で目立たない僕は淘汰されたと言っても過言ではありません。
しかし。
僕は存在するのです。
割愛されまくっておりますが、入社当時にひ孫会社というくらい遠く離れた関連会社より大手IT企業本体に派遣されてから毎日、立石さんや江口さんと机を並べて、日々切磋琢磨してきました。
初登場場面からおよそ四年。
一年前に結婚して、子供が産まれました。
可愛いです。
もちもちの男の子です。
ハネムーンベビーでした。
しかし、悪阻の時から妻は指一本触れさせてくれません。
彼女は、もう、結婚式の時の白いドレスの似合う可憐な花嫁ではなく、猛獣・・・いや、全身全霊で子供を守る、愛べき良き母親です。
僕が帰宅すると、『全身まるっと洗い上げるまで私達に近寄らないで』とまるで外敵のように睨まれます。
・・・怖いです。
悲しいです。
しかしだからと言って、彼女に対する愛が冷めたわけでは決してありません。
愛しています。
僕には過ぎた可愛い妻です。
寂しいとは思います。
でも、寂しいな、と思う間もなく仕事が土砂降り状態だから家庭に波風は立っていません。
仕事をこなして、お金を稼いで、いつしか素敵なマンションで妻子と仲良く暮すのが今の僕の目標です。
が。
しかし。
何の試練でしょうか、神様。
「あん・・・・、ああ、あああっ、もう、もうだめだって、コウ!!」
「・・・和基さんの嘘つき」
「あ・・・、あ、うそ・・・じゃな・・・いっ、ん、ああああーっ!!」
がんっ、と壁に何かがぶつかる音が聞こえる。
荒い息づかいも、まるで耳元で聞かされているようだ。
「や・・・。また・・・。コウ・・・」
「あなたの本気は、この程度ですか?」
「ん・・・、ん、んんん・・・。くそっ、そんなわけないだろっ!!」
がたん、と、また、何かが倒れる音がする。
「すき、すごくすき・・・、コウ、すき・・・」
「かずきさん・・・」
衣擦れなのか、なんなのか、こそこそした音とともに、ねっとりとした囁きがかわされる。
「ん・・・。あ・・・。来て・・・」
「かずきさん・・・」
「う・・ん、んんん、あーっ」
かれこれ三時間。
・・・この状態です。
ここは台湾のホテル。
二週間の約束で飛ばされて、ちょうど十日目を回ったところです。
ちなみに隣の部屋の主は、一緒に働く江口耕。
僕の一期下ですが、頭角をめきめき現し、いまやホープです。
元野球選手だったせいか180センチを超える大柄な男で、年を経るごとに落ち着きが増し、さらになんとも言えないフェロモンを発して、こちらの女性社員たちの視線を攫っています。
しかし。
日付的には昨日、いきなり営業の池山和基さんがやってきました。
急に休みを取得したとか言うのですが、なぜかスーツ姿で、しかも仕事の輪の中にずずいと入り込み、適当な会話であれよあれよという間にお客と意気投合し、受注を増やしてくれました。
その勢いで始まった飲み会もがっつり掌握し、さらに他の会社の重役まで紹介して貰い、濡れ手に粟状態で販路を広げまくってました。
そして、盛り上がりに盛り上がった宴会の中、気が付いたら、江口さんと二人で忽然と消えていました。
おかげで、僕は彼らの分まで呑まされる羽目になりました・・・。
その前に。
昼間、不思議な電話が一本入りました。
前述の、片桐さんの部署で事務職の、本間奈津美さんです。
仕事の繋がりがあるせいか、江口さんや池山さんとも懇意にしているようです。
そんな彼女が、わざわざ僕の居場所を突き止めてお客先にまで電話をしてきました。
しかし、その内容は意味不明で理解できません。
「もしかして、営業の池山さん、今そっちにいる?」
「・・・うん?なんか、営業展開してるけど・・・」
首をかしげると、電話元で彼女が背後にいる誰かに向かって叫びます。
「かちょー、やっぱり台湾にいました!!」
よく聞き取れませんでしたが、なんとなくざわついているな、と思いました。
「いい?田中さん。悪いことは言わない。今すぐ、今夜だけでいいから、よそに宿を取って、そこに避難しなさい」
ちなみに、彼女と僕は同い年。
顔見知り程度で親しくないけれど、まあ、命令口調なのは、彼女が何らかの動揺をしていることなんだなあとは推測できました。
「でも、いいホテルだよ?仕事場に近いし、交通の便いいし。それに、今更急に言われても・・・」
「あとで池山さんか、江口さんが払うから、とにかくどんな部屋でもいいからよそを今から予約して」
「なにそれ」
意味不明じゃん。
ちょっとむっとするとそれが伝わったのか、大げさなため息が届きました。
「忠告は、したから。じゃあね」
唐突に通話が切れ、なんとなく面白くない僕は彼女の命令に背きました。
だって、なんで僕がホテルを?
納得いかないことは嫌いなんです。
それに、今の宿は事務職の子が前もって手配してくれたもので、親しい人もいないこの国でどうやってホテルをとればいいかなんてわかりません。
めんどくさいと、切り捨ててしまいました。
僕は、仕事のために来たんだ。
そう、言い訳をして。
そして。
今。
彼女の忠告に逆らったことを心底後悔しています。
「こう、耕、もっと、もっと、おくに・・・、はっ、はうっ」
奥って、奥って、何ですか、神様。
「和基さん・・・。そんなに締めたら・・・」
締めるって、首を?
いやいや、そんな・・・。
「だって、こうがそんなとこを・・・、あん、いや・・・」
「いやじゃないくせに・・」
今まで聞いたこともない、オスの声。
「いやっ!!抜くなよ、あ、ああ・・・っ」
毛抜きでとげを抜いているとか・・・なわけはなく。
「和基さん、こっちを向いて・・・」
「耕・・・。あ・・・ん」
ミシミシという半端ない早さの反復運動が絶え間なく続き、パンパンパンって、何かを叩く音も混じっています。さらにその間、生え抜きのSEと万能営業の声がくっきりはっきり鼓膜へ届きます。
そう。
江口耕さんと池山和基さんの肉声です。
あろうことか、江口さんの部屋で、ふたりは、せ、せっくすしているようです。
いや、いるようですなんで、甘っちょろすぎますね。
やってます。
がんがんやってます。
まさに、本番中です。
しかも、ほとんど休みなくやってます。
へべれけにされた僕が現地社員に介抱されてなんとか辿り着く前に始めたとしたら、すでに五時間過ぎていると思われます。
二人の絶倫ぶりに、僕は、オスとしていかに平凡かを思い知らされました。
彼らの部屋は角部屋で、その隣が僕です。
そのさらに隣はたまたまリネン室で、このホテルの壁が薄いことに気が付きませんでした。
これまで、江口さんがいかに静かに部屋で過ごしていたかを実感しています。
「あ、あっあ、は・・・っ、んうっ、だめ、イク、イク、イク、イッちゃうっ」
ベッドが悲鳴を上げているかのような音。
どちらのものか解らない、息と喘ぎと粘着音がこれでもかと続き・・・。
「かずきさん、かずきさん・・・」
まるで、同席しているかのようなこの臨場感っぷり。
眠れません・・・。
「あ、だめ、もう、痛いって・・・」
「でも、凄く感じてるでしょう。・・・ほら」
「ああんっ」
いったいどんな体位で、今、二人がどんな感じに絡み合っているのか。
想像以上に色っぽい池山さんの声と、想像以上に強引でイケズな江口さんの態度。
目を瞑れば、ますます想像し、目を開けば、耳が音を追って、僕はくたくたです。
・・・こんな世界、知りたくなかった・・・。
というか、お腹いっぱいです、神様。
そして、翌朝。
「おっはよーっ!!」
つやつやのツルツルの肌をして、水も滴るような良い男の池山さんは元気いっぱいでまたもや仕事場に現われて。
また、いい加減な英語日本語台湾語、そしてなぜかハングル混じりの会話で契約を仮締結し、更には新たに知り合った人々へ名刺を手裏剣のようにばらまき、昼頃には颯爽と帰国の途に就きました。
しかも、去り際に物陰で江口さんと熱い接吻を交わし、昨夜のことを妄想と片付けたかった僕の脳みそにきっちり刻みつけてくれたのでした。
「だーかーらー、言ったのに~」
帰国して初めての出社の日の朝一番、よりによって回覧書類を届けに来た本間奈津美さんに、僕の憔悴ぶりをめざとく見つけられてしまいました。
「あ、こりゃ、言っても時間の無駄かな?と思ったから、すぐに切ったんだけどね。私もあのあとのフォローに忙しかったし」
なんでも、池山さんはいきなり台湾へ出奔したそうです。
朝、課長が出社すると二日間分の書類と指示メモがきっちり揃えて並べられ、その上に休暇願が出されており、営業の事務の子が速攻で本間さんに連絡を取ったところ、コトが露見したそうで。
ちなみに、本間さんは最近、池山さんと同じマンションへ転居したとかで、近所づきあいが激しく、大抵のことは把握しているとか・・・。
微妙に言葉を濁されましたが、どうやら彼らは痴話喧嘩のようなものを前日に繰り広げ、逆上した池山さんが台湾へ突撃したのだとか。
では。
つまりは。
あの夜のことも、もちろん想定内、というか確定事項だったと言うことで。
それ以前に、彼らの間柄はそんなにオープンなのか。
この会社は、日本は、いつからオフィスラブにこんなに寛容になったのか!!
いや、そもそもあれをオフィスラブとひとくくりにして良いものなのか。
疲労感が増して、立ち上がれなくなりました。
「これからは、ちゃんとこちらの指示に従ってね?」
背中に光を浴びた本間さんが天使のような微笑みを讃え、僕の顔を覗き込んできました。
黒々とした長い睫、ぷるんとはじけるようなチェリーピンクの唇。
小首をかしげた拍子に彼女の黒髪がさらりと肩から流れ、柑橘系の甘い香りが鼻に届いてくらりと来ます。
・・・そうだった。
僕が、江口さんたちとプライベートで極力関わらないようにしている理由は、本間さんにありました。
・・・彼女は、僕が、社会人になって初めて一目惚れした人でした。
「ぼ、ぼくと・・・付き合って下さい。まずは、このあとお茶から・・・」
「ごめんなさい、無理です」
瞬殺でした。
一秒も考えたふしはありませんでした。
あまりのことに、その後何を言われたか、全く覚えていません。
そんな彼女と親しい人たちと行動をともにする気には、とてもなれませんでした。
そして今。
・・・やっぱり、お近づきにはなりたくないというのが本音です。
いや、二度と、関わりません。
あの夜のことは、忘れよう。
僕は、地味に、真面目に、家庭を、会社での自分のポジションを守っていきたい。
雑念よ、去れ。
俺は、清く正しく生きるんだ。
「し、従います・・・」
「よろしい」
にっこり、と満足げに本間さんが笑った。
朝日が・・・あまりにもキラキラしていて、目が霞む。
「田中くん?」
全ては、夢の中で。
-完-
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