聖なる夜と、朝を。 




 まさか、こうくるとは。

 腕を引かれてエレベーターに乗り、辿り着いた部屋のドアを開けられた時、池山の口はぽかんと半開きのままだった。
「どうぞ。お入り下さい」
 オーシャンビューの窓、そしてゆったりした家具の配置。
 何がどこにあるのか、全て覚えている。
 横浜のハイクラスホテル、ランカスターホテルのセミスイートルーム。
「実は、結構気にしていたのか、あの話」
「はい」
 背後に立つ江口は即答した。
「ずっと狙っていました、この部屋」
「ずっとって・・・。もう、何年も前のことだぞ・・・」
 池山は額に手を当ててため息をついた。

 指折り数えておそらく四年ほど前。
 池山と江口はほぼ事故のような始まりで互いを意識するようになった。
 同性を恋愛対象として考えた事もなかった池山は動揺して、昔の恋人で現在は女友達の長谷川生を呼び出して相談し、そのままこの部屋に泊まった。
 池山が完全に酔いつぶれたために性的関係は発生しなかったが、翌朝、一緒に風呂へ入ったというエピソードを、江口は執念深く忘れていなかったらしい。

「何があっても忘れられませんよ、池山さん、あのお風呂が物凄く楽しかったって目をキラキラさせて言ってたんですから・・・」

『だって、オーシャンビューガラス張りの窓に丸いジャグジー風呂って、なかなかないじゃん!!』

「それは・・・」
 確かに言った。
 しかし、そんな池山ももはや三十路である。
 バブルな小娘嗜好だった頃と今の自分は違うだろうと、心の中で呟いた。

「いいから、こっちに来て下さい」
 そのまま肩を抱かれて、部屋の三分の一以上を占めると思われる広いバスルームへ連れこまれる。
 先にチェックインしていた江口は、既に奧のバスタブに湯を張っていた。
 丸くて、大きな、ジャグジー風呂。
 そして、ただっ広いガラスの向こうには海。
 変らない。
 昔とまったく同じだ。
 ただ、あの時は朝日がさんさんと差し込んでいたが、今はねっとりとした闇が広がる。

「・・・池山さん・・・」
 背後から首筋に唇を寄せられて、自然と顎が反る。
 両手がゆっくりとコートのボタンを外していく。
 白い大理石の床にスーツとコートをまとめて落とされる間も首筋と耳を軽く噛まれ、池山は熱い息をついた。
「・・・耕・・・。コウ・・・。」
 シャツごしに左右の胸の中心を円を描くように指先でたどられ、腰を揺らめかせた。
 尾てい骨に江口の固くなったものを感じる。
 大きくて厚みのある手に全身くまなくまさぐられながら、どんどん衣服をはぎ取られていった。 
 ばさりばさりと足下に脱がされた物が積もっていく。
 その最中、池山は魚のように身体をくねらせ、背後の男を刺激した。
 もう、四年だ。
 どう触れ合えば、互いの身体が高まっていくのか嫌と言うほどわかっている。
 うなじを強く噛まれて、つま先まで快感が走り、唇が震えた。
「あ・・・」
 ボクサーパンツに手をかけられ、ゆっくりゴムを引き下ろされると、すっかり反り返った花芯がふるりと顔を出した。
「ん・・・。耕、じらすな・・・」
 腕を上げて江口の後頭部を掴み、顔を後ろに向けて唇をねだる。
 半開きの唇から舌を出してみせると、江口はすぐに厚い唇で応じた。
「和基さん・・・」
 唇を深く合わせながら、江口が乱暴に自分のネクタイをとり、服を脱いでいく。
 二人の粘膜をあわせる音が、籠もった室内に響く。
 全て脱ぎ終えたらしい江口が両腕でぎゅっと抱きしめて囁いた。
「洗います。シャワーを浴びましょう」
 耳たぶを噛まれて、池山はこくりと喉を鳴らした。

「ずっと、こうしたかったんです」
 シャワーの湯が降り注ぐ中、丁寧に頭皮をマッサージされた。
「こうしたかったっ・・・て、こんなの、いつもやってんじゃん」
 心地よさにうっとりと目を閉じたまま、池山は答える。
 実際、江口が同じマンションの広めの部屋に引っ越してきてから、彼を訪ねると必ず一緒に風呂に入る。
 もともとオーナーの趣味で、そのマンションは風呂場がとくに快適に作られていた。
 江口は、二人きりの時はまるで姫君のように池山を扱う。
 洗われるのは、風呂に入った時の決まり事と言って良いくらいだ。
「それはそうですけど・・・。それとこれとは違います」
 珍しくきっぱりと言い切られて、思わず吹き出してしまった。
「・・・なに。そんなに長谷川と入ったのが悔しかったのか」
「はい。そうです」
 即答に、少し面はゆくなる。
「だってホントあいつの洗い方、めちゃくちゃ雑で、息子以下だったぞ。文句言ったら、『田植え期の田畑にはまった犬を洗うに同じ』って抜かしやがったし」
「それでも、池山さんに触ったのは、凄く嫌なんです」
「触るも何もさあ・・・」
 昔は口に出すには憚られるくらい濃密なセックスを繰り広げていたとは、さすがに目の前の男に言えない。
 しかし、その胸中を敏感にかぎ取ったらしい江口がめずらしく唇をむっと真一文字にひき結んだ。
「本当なら、長谷川さんと利用したホテルを全てしらみつぶしに泊まりたいくらいです」
「は?お前、あいつと付き合ったのは更にもっと前だぞ?」
 当時、二人とも学生だったから、それこそ十年近く前になる。
「だって、池山さん、忘れてないでしょう」
「・・・」
 それは否定しない。
 以前、本間に昔付き合った女のフルネームが言えるかと座興で問われた時に、まず最初に思い浮かんだのが長谷川生。
 そして、彼女以外はおぼろげだった。
 別れた後に何人もの女性と付き合って、江口耕に辿り着いたのに、記憶に刻まれたのは一人。
 共有した時間は長くない。
 しかし、彼女のセックスは他の女性達のように甘く可愛らしいものではなかった。
 例えて言うならば、真夏の昼の光。
 強すぎる快楽は、まるで命のやりとりをしているかのように感じさせた。
 それはひとえに彼女の背負った過去のせいだと知ったのは、全てが終わってからだったけれど。
 おそらく、彼女と関わった男なら誰でもあっさりと忘れることはないだろう。
 一度もそれを語ったことはないのに、なぜか勘付いていたようだ。
「友人として長谷川さんのことは好きです。尊敬もしています。でも、時々、どうしようもなく妬けてくるんです」
 どこか切なさを含んだ声に、池山は見上げた。
「耕」
 シャワーブースの中は湯気が籠もって、霧状になっている。
 むっとした熱気に、心が乱れる。
「・・・あいつは、本当に強烈だったから・・・。確かに、思い出すこともあるさ。でもな」
 両手で江口の顔を包み込み、伸び上がって厚い唇に自らのを寄せる。
「俺は、お前が好きだ」
 唇が触れる瞬間は、いつでも胸が締め付けられる。
 池山は眉を僅かに寄せた。
「お前の味のある顔が好きだ、この無駄にでかい身体も凄く好きだ、匂いを嗅いでいないと、不安になる事もある」
 江口が海外への長期出張で不在だった時は、会いたくて会いたくて彼の部屋で過ごさずにはいられなかった。
「好きで、好きで、時々、どうしたらいいかわからないくらい、好きだ」
 軽くついばみ、角度を変えて合わせているうちに互いに口を開き、すぐに舌を交わらせる。
「お前を知った今、どうして他のヤツとこんなコトしたくなると思うんだよ」
 夢中になって唾液と吐息を交わし合ううちに池山の足下はふらつき、江口が両手を背中に回して抱き留めた。
 胸の鼓動が互いの身体の中に響き合う。
 互いに肩で息をしながら唇を解き、池山は江口の両手を自分の双丘へ導いた。
 江口の大きな手が膨らみをもみしだく。
 鼻が触れ合うほどの距離で見つめ合いながら、固くなった前をあわせ、ゆっくりと左右に動かす。
「・・・来いよ」
 かすれた声で囁くと、深く息をつきながら、江口が指を最奧の蕾へと滑らせた。
「かずきさん・・・」
 左右の指が潜り込み、襞を探っていくの感じる。
「俺のココ、こんなにしたの、誰、だよ・・・」
 唇をわななかせながら、ぺろりと江口の唇を舐めた。
 こすり合う互いの雄が脈打ち、亀頭から粘液がにじみ出し、それが更に快感を呼ぶ。
 ゆるゆると潜ってくる江口の指先が、池山の一番感じるところを撫でた。
 本来、排泄しか知らなかったはずの気管は、今や江口を受け入れる度に喜びに震えている。
「・・・すみません、俺です」
 江口の雄芯の先が入り口のあたりを軽く突く。
「んっ・・・。責任とれよ、この馬鹿・・・」
 喘ぎながら、やっとの事で悪態をつくと、両足を割り開かれ、いきなり抱え上げられてしまった。
「わ・・・。ちょっ・・・」
 タイルに背中を押しつけられ、不安定な体勢に思わず肩にしがみつく。
「和基さん、かずきさん・・・・」
 湯気が上がらんばかりに高揚した厚い胸板と冷たいタイルに挟まれて、喘いだ。
「好きです。好きです、好きです・・・・」
 唇を、むさぼられる。
「ん、ああっ」
 ぐっと亀頭が蕾を開いた。
 入ってくる。
 誰よりも、自分の奧へ。
「コウ・・・」
 肩に爪を立て、貪欲に求めた。



「で、そもそもどうしてこの部屋とれたんだよ」
 念願の風呂に浸かりながら、池山は尋ねた。
 シャワーブースで二回貫かれ、湯あたりしたのをそのままベッドに放り込まれ、更に際限なく挑まれた。
 自分が誘ったのだから自業自得だが、疲労困憊である。
 結局、湯船に浸かれたのは、夜が明けてからだった。
 じわじわと、ガラス窓の向こうが白んでいく。
 朝日が浴室を照らすのも、もうすぐだろう。
 背中からしっかりと抱きしめられたまま、指先で浮かんでいる泡をはじく。
 ジャグジーで入浴剤が泡立てられ、水面をもくもくと覆っていた。
 さすがにこういうことは自宅ですることはないから、楽しい。
 子供のように夢中になって泡で遊んでいると、時々、江口が後ろから身体に悪戯をして邪魔をする。
 しばらく声を上げて笑いながらじゃれ合っているうちに、ふと、疑問が浮かんだ。
 江口は裕福な家の出だが、働くまではスポーツ一本槍でこういうことに疎い。
 寮生活が長かったせいか、毎日の暮らしも質素で、堅実だ。
 とうてい、イブの夜にリザーブするような洒落た真似は出来ない。
「ええと・・・」
 両腕を胸元に回してぎゅっと池山を抱きしめて顎を肩に乗せ、しばらく逡巡した。
「おい」
 肩を軽く上げて催促すると、ぽつりと答えた。
「・・・すみません、本間さんを売りました」
「は?」
「その前に、もっとすみません。勝手に携帯電話の中を見ました」
「・・・別に良いけどさ、いつ見たんだよ」
 隠し事は一切無いつもりだっただけに、江口の行動は意外だった。
「・・・こっちに戻ってきてからです」
 江口の任務が解かれたのは、今期に入ってからだ。
「・・・九月くらい?」
「はい、そうです」
「ぜんぜん気が付かなかったな」
 自分に隠し事をしていたなんて。
「本当にごめんなさい。見るつもりはなかったんです。でも、たまたま池山さんが眠っている時に電話がかかってきて、とったら篠原さんで・・・」
 そういえば、そんなこともあったかもしれない。
「ちょっと受け答えをした後、着信履歴を見たら、メールとかも、『秘書さん』って名前が結構多くて・・・」
『秘書さん』。
 それは片桐の祖父母付きの第三秘書の、篠原高志のことだ。
「で?」
「しばらく我慢していたけれど物凄く気になったので、アドレスを書き写して、連絡を取ってしまいました・・・」
 池山は驚いて傍らを振り返る。
 そこには、見るからにしょげかえっている江口の顔があった。
「・・・ま、いいけどよ。確かに、お前のいない間、秘書さんと結構連絡取り合っていたのはホントだし」
 正直、暇をもてあましていたのだ。
 篠原自身はもちろん池山と違って多忙だが、彼は春から大きな悩みを抱えていた。
 偶然行き会った本間と軽い気持ちで一晩過ごし、予想外の魅力にすっかりはまってしまったのに、まったく相手にされない。
 いつ会っても、適当にあしらわれ、けんもほろろに追い返された。
 持ち前の美貌と知性で老若男女問わず手の平で転がしてきたであろう篠原にとって、初めてのことだった。
 一人の人に固執するというのは、彼にとってある意味、趣旨変えに近いカルチャーショックでもあるようで、かなり迷走中だ。
 最初に見かけていた頃は、いつも冷静で完璧に仕事をこなすアンドロイドのような男だと思っていたが、急に人間くさくなったのがなんとも可愛らしく、また、なんとなく自分に似た部分を見いだして、ちょくちょく構っていた。
 そういえば、秋ぐらいから彼からの連絡が間遠になっていたが仕事のせいだと思ってたし、逆にこちらは江口の帰国に浮かれていたので気にも留めていなかった。
「なんだ、お前にシフトしていたのか」
「ええ、まあ・・・。そうとも言います」
 相変わらず、歯切れの悪い答えだ。
「なに。お前、俺が秘書さんとどうにかなってるんじゃないかって思ったわけ?」
 ぱしゃりと湯を顔にかけると、手で泡と水分をぬぐいながら、ぼそぼそ言い訳を始めた。
「いや・・・。池山さんが浮気しているとかは・・・思わなかったんですが、篠原さんが、相談事を口実にしているんじゃないかって気がして・・・」
「あの文面のどこを読んだら、そんな結論になるんだよ」
 どのメールも、なつみさん、なつみさん、なつみさんの連打である。
「いや、メールの中身は、ちょっとしか、見てないから・・・」
「やっぱり読んだんだ」
「ええと、全部じゃありません、ちょっとです」
 でも、と腕の力を込められて、肺の空気が抜けた。
「あんまり仲が良いから・・・物凄く不安になって」
 更に締め上げられて、ううっと池山は呻いた。
「だって、池山さん、ものすごく魅力的だし・・・」
 このままだと、絞め殺されそうだ。
「わかった、わかったから、腕緩めろ!!」
「あ。すみません」
 ぱっと腕を解かれて、池山は前に崩れ落ちた。
「こんの・・・馬鹿力め・・・」
 ぜいぜいと肩で息をすると、背後からしょんぼりした謝罪の声がもじもじと聞こえてきた。
「ああもう」
 ばしゃん、と水面を打って身を起こし、身体の向きを変えて江口の膝に乗り上げる。
「ほんっと、お前馬鹿だな」
 両手で頬をパンと、軽くはたいた。
「はい。馬鹿です」
 尻尾も耳も髭もしゅんと垂らした大型犬が目の前にいる。
 このしおれぶりが可愛くて仕方ないので、いつ喧嘩しても腹が立ったことはあまりない。
「んで?本間を売ったって、何したんだよ。ん?」
 両手をそのままに額を寄せて甘く囁くと、おずおずと腰に手を回される。
「・・・クリスマスイブは、茨城に行くつもりらしいと情報を流しました」
「・・・ああ、それか」
 ここのところ、佐古が立石達の部屋を訪れる頻度が下がっていた。
 そもそも今年のクリスマスイブは金曜日で、仕事があるから来ないと12月に入ってからわざわざ申し入れがあり、立石と本間はそれをかなり気にしていた。
 物心ついた時からアメリカ暮らしだった佐古にとって、クリスマスは特別な日だったはずだ。
 それを独りで過ごさせることに不安を感じた本間が、定時退社で茨城の押しかける計画を練っていることは、佐古以外の全員が知っている。
 22日の夜から23日の午前中にかけて立石と本間は料理を作り、佐古のマンションへ宅配便で送った。
 あとは当日、ワインを持った本間が電車を乗り継いでいくだけだ。
「それで、秘書さんの車があったのか・・・」
「気が付いていたんですか」
「まあ、たまたま1階に下りる用があったからさ。片桐に用があるのかなって思っていたんだけど・・・」
 本間を捕まえに来ていたのか。
「はい。送迎だけでもいいから、当たってみるとおっしゃってましたから・・・」
「そうか」
 本間が譲らなかったのは、容易に想像が付く。
「で?リークしたお礼なわけ?」
「ええまあ・・・。偶然だったんですが、この部屋を押さえてるって話になって・・・」
「それは・・・また・・・」
 篠原が、本間と過ごしたくて予約していた部屋。
「ちょっと、気の毒な・・・」
「ええ・・・。でも、誘惑に勝てませんでした」
 うろうろと、大きな手が背中をさまよっている。
「・・・あきれました?」
 眉を下げられて、笑いがこみ上げてくる。
「ばあか」
 しおれきった江口の両頬をつねって伸ばした。
「んなわけないだろ。もしも俺が秘書さんに打診されたら、同じようにありがたく使わせてもらったさ」
 篠原と本間には悪いが、こんな機会、なかなかないのだから。
 ふいに、池山の中でスイッチが入った。
 目の前の男を、もっと感じたい。
 足を広げて、江口の腰に絡める。
 彼の瞳も同じように雄の色が広がり、ゆっくりと突き上げてきた。
 同時に二人で息をつく。
「なあ・・・。チェックアウト、何時だっけ」
 唇を耳に寄せてことさら甘い声で尋ねると、江口は膝を撫でた。
「・・・明日の、正午です」
「・・・は?明日?」
 思わず、素に戻った。
「はい明日」
 確かに、今日はまだ土曜日。
 連泊するのも可能だ。
 しかし、クリスマスイブのセミスイートは、景気が低迷している今でも争奪戦だろう。リザーブするなら半年以上前、もしくは特権を振りかざしてねじ込むかだ。何にしろ、本間を追いかけ始めて割とすぐに部屋を押さえたのは、半分願掛けでもあったのではないか。
「・・・まったく、意外と乙女なんだよな、秘書さんって・・・」
 そんな彼の可愛らしいところが本間の琴線に響くといいなと、少し思った。

 今日はクリスマス。
 キリスト教徒ではないけれど、特別な日。
 愛しい人との時間を存分に味わいたい。
「コウ・・・」
 唇を合わせながら願った。
 すべての人に、幸福を。


『聖なる夜と、朝を』 -完-


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