バレンタイン・ラプソディ-2- 



 




 そんなこんなで、大の男が三人連れだって最後尾のプラカード目指して女性客の波をかき分けて進んでいた。
 と、そこへ上質なコットンのコートを羽織った男が手を振っているのが目に入る。
「よ。お疲れ」
 片桐啓介だった。 
 彼は今日一日、顧客へのフォローで江口を合わせた他の技術者と丸の内界隈を巡っていたはずだった。
「おう。早かったな」
「ん。詩織が話を聞きつけて、もう、うるさいのなんのって」
「・・・江口は?」
 池山のさぐりに片桐はあっさりと首を振った。
「さあ?五時から別行動だったから」
 この男は、最初から合流する気だったのだと三人の会話で岡本は悟る。
 これで、あのマンションがらみのメンバーが勢揃いしたことになる。
「・・・オールスター戦か、これは」
 仲閒が増えたことは心強い。
 しかし、悪目立ちしているのも間違いない。
 身長順に行くと、一九〇センチ近い身長に水泳で鍛えた筋肉も美しい逆三角形の身体でストイックな容貌の立石。昔はどこかふんわりと包容力のある雰囲気が人気だったが、紆余曲折が長すぎるのか、最近はだんだんとシャープな空気をまとい始めている。
 立石より一〇センチほど低いのが片桐。それでも十分身長は高い方で二人並んで浅黒い肌をしており、片桐はアルカイックスマイルと言って良いような形の良い厚めの唇が親近感を呼ぶ、いかにも九州生まれの男だ。これまたここ一年でがらりと風貌と身につけるものが変わっていき、ノーブルな雰囲気に女子社員達が胸をときめかせ始めている。
 さらに片桐から全体的に少しばかりサイズダウンしたのが池山。入社した時から甘い顔立ちでいつでも注目の的だった。好奇心旺盛な瞳が人なつっこく、またしっとりとした唇がどこか色っぽいと評判で、彼と一夜を共にしたがる肉食獣は後を絶たなかった。三十を過ぎた今、その甘さは更に増し、時として男すら惑わしているという噂もあるが、本人はいたって脳天気でにぎやかだ。
 そんな三人と、一七〇センチに届かないチビの自分。
 そうそうたる顔ぶれを前にすると、マネージャー的な存在にしか見えないだろう。
 普段は全く気にならないが、こう、見渡す限り女性ばかりの中で注目の的となるとコンプレックスをくすぐられた。
「気をつけろよ、岡本。最近、お前けっこう女子に狙われてんぞ」
 岡本の心の内を読んだのか、にやりと池山が笑った。
「は?ありえねえ」
「『一児の父になって、なんか物凄く格好良くなった~』って、今日お前が営業から出て行った途端、赤坂たちが身もだえしていたぜ。あのチョコ、半分本気だから気をつけろよ。・・・って、まあ、有希子がとっくに嗅ぎつけているだろうけどさ」
 そういえば今日、池山の部署の事務職員の赤坂が他の数人と連名で渡してきた義理チョコは、青山あたりのスイーツショップのものだった。
「・・・いや、なんでオレ?」
「有希子に選ばれた男だからなあ、お前・・・。頑張ってかわせよ、お気の毒様」
 肩を叩かれて、むう、と岡本は口を尖らせた。
「気をつけろと言われてもな」
 納得はいかないが、確かに赤坂達のなめるような視線に、背筋に冷たい物が走った覚えもあるので、不承不承頷く。
 前を歩く立石と片桐は買って帰るチョコレートの数を指折り数えながら会話を交わしていた。
「個人はおいといて、連名で出すのはいくつだ?」
「とりあえず、これもまた歳暮中元だからな・・・。とにかく本間と橋口が別格扱いかな。そもそも買って来いって意味だったんだろ」
 そう。
 ここを指定したのは、まさにその二人だった。
「ついたぞ、ここだ」
 延々と続く行列に、閉店までにチョコレートが果たして手に入るのかと気が遠くなる。
 いつもならば、こんなものに時間を割いてまで並んだりはしない。
「・・・もしかして、俺達、おつかい・・・?」
 嵌められたことに、今更ながら岡本は気が付いた。
「耐えろ。男ってのはいつだって、女どもの手の平で転がされてんだよ」
 詩織にリークしたのは、当然本間だ。
 妹に九州から電話でねだってこられて、彼女を溺愛する片桐が否という筈がない。
 達観した目をした片桐が肩をすくめるのを見て、一同納得のため息をついた。


「無になれ・・・無になるんだ、俺」
 ぶつぶつと岡本が呪文を唱えていると、片桐が吹き出した。
「大丈夫だよ、取って喰われたりしないから」
 しかし、好奇の視線は未だに岡本達をちくちくと突き刺している。
「がんばれ、岡本。あともうちょいで辿り着くから」
 係員に先導されるままにうねうねと歩き、ショーケースが見えるところまで四人は辿り着いていた。
 たしかに、こうなるとあとは前に並んでいる女性達と店員達の呼吸次第だ。
 いったいどれほどの時間が経ったのか、考えたくもない岡本は、携帯電話でネットを見ることで気を紛らわせてきた。
「んー。このロゴ、どっかで見たな・・・」
 池山の呑気な声が前方から聞こえ、ふと残りの三人も看板に目をやったその時、どっと歓声が上がった。
「え?何?何が起きたわけ?」
 騒ぎの方へ首を巡らせると、スーツ姿のデパートの店員、そしてダークスーツを着た上背のある男達を従えて、コックコート姿の男が歩いているのが目に入った。
 いかにもイタリア人的なダークブラウンの髪と瞳、高い鼻、そして均整のとれた体つきはとても華やかで、まるで彼だけスポットライトを浴びているようだった。
 実際、周りを囲む女性客達は黄色い悲鳴を上げながら、次々と携帯電話やスマートフォンをかざして写真を撮り始め、そのフラッシュが眩しい。
「・・・で、なんであの人、あんなもんかついでんの?」
 池山の指摘は、そこに居合わせた者全員の疑問だっただろう。
 そのイタリア男は、たいそう真っ赤な薔薇を束ねたたいそう大きな花束を肩に担ぎ、大股でこちらを目指して歩いている。
「・・・もしかしなくても、アレは、ここのショコラティエ?」
 岡本は、興奮のるつぼになっているこの場から逃げ去りたい気持ちで一杯だった。
 ブランド名は、いかにもイタリア人の名前だ。
 そして何よりも、汗を拭き拭き先導している店員の指先が、こちらのブースを指し示している。
「もしかしなくても、そうなんだろう」
 立石は腕を組んで成り行きを見守っていた。
「あのさ・・・。なんか、あの男の視線、池山をロックオンしてるけど?」
 片桐の見解が耳に届き、その言わんとする意味を考える間もなく、薔薇の花束が振ってきた。
 赤の洪水と、青々とした生花特有の匂いが池山を囲む。
「え?」
 気が付いたら、胸元に花束を押しつけられていた。
「アリガト、キミニ カンシャ」
 蕩けそうな甘い声。
 片言の日本語が、独特のリズムに乗って池山の耳に届く。
 チョコレートブラウンの瞳がにっこりと笑った。
「は?」
 きゃーっと、あちこちから悲鳴が上がる。
「あ、あのですね。あなた、あなたがせんにんめのおきゃくさん、なんですう・・・!!」
 一度、池山の前を通り過ぎたはずの先導係員が慌ててとって返し、しどろもどろに説明した。
「んあ?」
 眉間に皺を寄せ、汗にまみれた男を凝視する。
「せんにんめ?」
「千人目?」
「・・・マジ?」
 同時に三人が疑問を口にした。
 先ほどの言葉は、あらかじめスタッフに習ったものだったのか、イタリア男は満面の笑みを浮かべたまま、小首をかしげた。
 上質なスーツを着たデパートスタッフは、まるでいまにも貧血を起こしそうに顔が白い。
「あー。その、さあ」
 埒があかないと見た池山は口を開く。
【俺にくれるの?この花?】
 とりあえず、英語で問うてみた。
【そう!!君にあげる!!】
 答えるやいなや、まるで犬が尻尾をちぎれんばかりに振っているような様で、ショコラティエは一歩前に進んだ。
 花と、男に迫られて、池山は石と化す。
「カンシャ、カンシャ、ダイスキ~!!」
 がしっと、両肩に強い力を感じた。
「つ、つぶれる・・・」
 どさくさに紛れて、頬ずり、された気がする。
「スキスキ、カンシャ」
 ついでに、唇を寄せられて頬を思いっきり吸われた。
「ちょっとまてこら・・・」
 この、猛獣はいったい何がしたいのだ。
 周囲の悲鳴を聞きながら、気を失えたらどんなにかと己の頑丈さを呪った。

 
 這々の体で帰宅し、シャワーを浴びてから、卓上の包みに目を落とす。
「・・・食いもんに罪はねえが・・・」
 しかし、多少の抵抗があることは否めない。
 正直、イタリア男に抱きしめられてほっぺにチューされた時点で、チョコレートを買う気は綺麗さっぱり失せたのだが、注目の的になった手前、回れ右は許されない。
 それが、社会のルールってものだ。
 だがこれを江口に贈るのはいかがなものかと思うのもまた、ヒトとして当たり前のことではないか。
 それを先ほど本間の部屋へチョコレートを届けに行ったついでに、つい、ぽろりと零したら、一瞬の沈黙のあと、爆笑された。
「池山さんにもまだ可愛いところがあったのね~」
 帰宅直後でまだ化粧を落としていなかったらしい彼女はマスカラが壊れるーっと涙を流しながら、玄関先でいつまでも腹を抱えて笑い続けた。
「そんなに笑うんだったら、やんないぞ、これ」
 高くかざしたのは、件のイタリア男製作のチョコレート。
 唇を尖らせると、ぴたりと止め、速攻で紙袋を奪い取った。
 ・・・掏摸も驚く凄腕である。
 そして、目をにんまりと細めた。
「いいじゃん、折角買ってきたんだから。前菜代わりに贈りなさいよ」
「・・・前菜?」
「うん。それでね。その後、江口さんの膝に乗るの。メインは、オ・レって・・・」
 言っている途中で本間はぷっふーっと盛大に吹き出した。
「ぎゃはははは~っ!!なに言ってんの、アタシ!!いっやー、自分で言っといてハラが痛いわ~」
 涙をダラダラ流しながら、左手でばんばんと池山の肩を叩く。
「・・・マジで、崩壊し始めてるぞ、マスカラ」
「ああ、もういいわ、どうせ今から落とすし、見てるのは池山さんだけだし・・・」
 まだひいひいと笑い転げ続ける目の前の女がちょっと憎くなった。
「・・・非道いヤツだな、お前」
「そんなの、今更気が付いたの?」
 流れ落ちたマスカラを指でぬぐって確認しながら、にやりと笑う。
「ま。冗談はさておき、早く江口さんの所へ行ったら?折角のバレンタイン・イブなんだし。まさか、今日の今、チョコレート届けに来てくれるなんて思わなかったわ」
「だってさあ・・・」
 最初はまっすぐ向かうつもりだったのだ。
 しかし、今は気が重い。
「俺だったら、嫌だな~と思ってさあ」
 江口の頬に誰かがキスするなんて。
「池山さんも時々オトメになるね」
 皆まで言わずとも理解してくれる本間が大好きだ。
 しかし、オトメ呼ばわりされてさすがにカチンと来る。
「なんだよ、お前。そもそもおまえやったことあんのかよ、『メインはアタシ』とかって」
 む、と唇を尖らせるとそのままそれをきゅっと摘まれた。
「ないわよ、そんなもん」
 そんなもん、を、俺にやらせるのかと、軽く睨むと指先が離れる。
「あれはね。タイミングと付加価値が必要なの。でないと、とんでもなく野暮だからね」
 そういうのにご縁がなかったのよ、と首をすくめられ、納得がいかない。
「そのぎりぎり野暮なヤツを今からやれと?」
「んー。江口さんは何やっても喜ぶと思うけど?」
 そして、どういうわけか、江口のことも本間は深く理解している節がある。
「そういうもんなのか?」
「そういうもんなのよ」
 ついつい、頼ってしまうのは何故だろう。
 わざわざ、こうやって尋ねてしまうくらいに。
「・・・まあ、いいか」
 なんとなく胸の中のつかえが取れたような気がしたので、ここはいったん引くことにした。
「ありがとな。とりあえずシャワー浴びながら考えるわ、もう一度」
「うん。そうね」
 小さく手を振る本間を見て、ふと思い出す。
「・・・あいつなら、物凄く喜ぶと思うけど」
 今、ケープタウンで泣く泣く仕事をしていると聞いた男を思い浮かべた。
「んん?」
 唇に人差し指を当てて、首をかしげて見せる。
「メインは、ア・タ・シ」
 すると、本間は眉間に思いっきり深い皺を寄せた。
「・・・ぜったい、や・ん・な・い」


 結局、持参してしまった。
 しかし、「はいどうぞ」とはどうしても言えなかった。
 挨拶もそこそこに、食卓につく。
 なので、シックなデザインの紙バックはソファセットのテーブルに放置したままだ。
「今日、帰りに麹町へ寄ったんですよ」
 少し照れたように笑って、テイクアウトしてきたフレンチをそれぞれ温めて皿に盛る。
 江口の清らかな笑みがあまりにも眩しすぎて、一瞬立ちくらみがした。
「・・・くっ、言えるか・・・」
 ほっぺたを汚されただなんて。
 きりりと食いしばると、無垢な日本犬が小首をかしげた。
「どうかしました?もしかして、どこか体調が悪いですか?」
 なんなんだ、この体内血流慈愛百%は。
 このビストロへは前に二人で行った。
 仕事帰りにたまたま通りかかり、ふらりと入ってみたらアタリだったのだ。
 そしてテイクアウトも出来ると知り、いつかまた食べたいと言ったのを彼は覚えていたのだろう。
 一緒に分けてもらったというワインも、自分が気に入っていた銘柄だった。
 ・・・もったいない男だ。
 いつも、そう思う。
 きっかけはほんの事故だった。
 でも、今は、その事故に感謝している。
 ・・・というか、あの時の自分によくぞ押し倒してキスしたと褒めたいくらいだ。
 何度、キスしただろう。
 何度、身体を重ねただろう。
 一緒に眠って、一緒に食事をして・・・。
 もうすぐ五年になるというのに、ますます江口に傾倒していっている。
 ここ二年くらい、仕事でも国内外問わず活躍し、いまやこの部屋にいられることが貴重なほど忙しい。
 そして、家主がいないこの部屋で、彼の残した僅かばかりの気配と匂いを求めて入り浸る日々になってしまった。
 自分もそれなりに仕事に打ち込んでいるし、それなりの成果を上げていると思う。
 でも、接待続きで疲れ切った身体を引きずって帰宅した時に江口が部屋にいない時。
 ぽっかりと空いた穴が、時々つらい。
 だから。
「・・・池山さん?」
 食べる手を止めた池山に、江口の心配そうな声がかかった。
 だから。
「・・・コウ」
「・・・はい」
 だから、言いたい。
「お前が、欲しい」
 ありきたりな言葉しか、知らないけれど。
「今すぐに」

 欲しくて、欲しくて、たまらない。

-つづく-


→ 『楽園』シリーズ入り口へ戻る

→ 『過去作品入り口』へ戻る



inserted by FC2 system