女王陛下と俺-夏の終わり-①






「・・・で。なんで今日もお前らここに来る」

 前日まで仕事が押していたせいで午前様になり、疲れのたまっていた立石徹は珍しく昼近くまで熟睡していた。
 今は、8月の末も近い、日曜日。
 リビングへ続くドアを開けると、まずソファには家主でない池山和基が主人のように寛いでいるのが目に入る。
 視線を横に流すと、ダイニングのテーブル席には親戚でたまに同居人の佐古真人、6階の住人の片桐啓介がパソコンと書類を広げてコーヒーを飲んでいた。

「俺は、佐古と打ち合わせ。池山は・・・」
「暇だったから、来た!!」
 クッションを腹に抱えてひらひら手を振る池山の姿に、軽い頭痛を覚えた。
「・・・」
これは、デモンストレーションの一環なのだろうか。
「断じて言うが、江口が更にシンガポールへ行かされたのも、今帰って来られないのも俺のせいじゃないぞ」
 ついでに言うなら、自分も三日前まで同じくシンガポールへ二週間近く滞在している。
 ここのところ立石と後輩で池山の恋人の江口耕の部署の上司達は担当分野を海外へギアチェンジしようと画策し、そのとばっちりを中堅になりつつある二人で一身に受けるはめになり、この自宅も空けがちだ。
 先月、同居人の一人だった本間奈津美が隣の1LDKが空いたからと引越ししたが、その必要はなかったかもしれないと内心思っていた。
 しかし、相変わらず誰もが好き勝手にこの家へ出入りしている。
「集会所か、ここは・・・」
 その呟きは、更に玄関の方で聞こえてきた声にかき消された。
「たっだいま~。立石さん、起きたあ?」
 起きていなかったらどうしてくれよう。
 元同居人の本間が、元気いっぱい、はち切れそうな声で侵入してきた。
 両手に、スーパーの袋を複数握っている。
「あ、おはよう、立石さん、ごめんね騒がしくて」
 寝起きだと素早く察して、てへ、と小首をかしげられ、ため息を飲み込んだ。
 半年近くの同居生活で、もはや彼女は妹のような存在だ。
 その後ろから、ひょっこり受付嬢の橋口弥生が顔を出す。
「こんにちは、お邪魔します」
 香水は付けない主義だと言うが、いつも彼女の全身から麝香系の香りが立ち上っている気がするのは、そのしっとりした美貌のせいか。
「いらっしゃい、弥生ちゃん。今日も無駄にフェロモン垂れ流しだねえ」
「もう、何言ってるんですか、池山さんこそ」
 あはははー、と、明るい応酬に、パソコンを終了させながら片桐が呟いた。
「フェロモン対決・・・。いや、大戦?」
 同じく書類を片付け始めた佐古も苦笑している。
「・・・なんか、だんだん濃くなってきたな、ここの空気・・・」
「ハルはどうしたんだ、こっちじゃないのか?」
 片桐の隣に座って尋ねると、こめかみをポリポリ搔いて物憂げに答えた。
「・・・弟に攫われた」
「・・・ああ。夏休みだもんな・・・」
 片桐の同居人の中村春彦は、年の離れた腹違いの弟と最は近密に連絡を取り、可愛がっている。
「子どもには勝てないねえ」
 佐古がにやにや笑って片桐の顔を覗き込むと、むっと唇をへの字に曲げた。
「それで、仕事・・・?」
「いや、そうじゃないって。そもそも篠原が・・・」
「え?」
「こんにちは、えっと、お邪魔します・・・」
 今度はふんわりとした長い髪が森の妖精を思わせる、小柄な女性が白いおもてを覗かせた。
「村木さん・・・?」
 春先の得意先のトラブルが縁で関連会社に引き抜いた、村木美和がおそるおそる入ってくる。
 その後ろからは、高級そうなリネンのシャツを着こなした長身の男が段ボールを抱えて続いてきた。
「すみません、私もお邪魔します」
 片桐の祖父の秘書、篠原高志である。
「ああ、そういうことか・・・」
「そういうこと」
「遅くなってすみません、ちょっと手間取りました」
 そういいながらぐるりと視線を巡らし、瞳はカウンターの中でレジ袋を開けてキャベツをむき始めている本間にロックオンした。
「奈津美さん、手伝います」
「いえ、間に合ってます」
 即答である。
 にっこり笑い返すが、目が笑っていない。
「バドミントンのラリーを見ているようだぜ・・・」
 すっかり冷めたコーヒーを飲みながら片桐がため息をつく。
「・・・まるで、そこに結界が張られているように見えるのは、私だけでしょうか・・・」
 背中を丸めつつ、テーブルの空いたスペースに段ボールを下ろした。
「これは?」
 立石が見上げると、本間と篠原の間に立ってぴょこぴょこと首を巡らせていた村木が振り返る。
「あ。それは山形の親戚からたくさん果物が来たので、皆さんで分けてもらおうと思って・・・」
「そもそもの今日の集まりは、これ。・・・うっわ、良い香り」
 言い添えながら佐古が段ボールの蓋を開けて歓声を上げる。
 中には立派な桃と葡萄がみっしりと詰まっていた。
「さすがにこれだけの量を一人で食べるのは無理なので・・・」
「確かに・・・」
 鮮度が良いうちに食べた方が美味しいだろう。
「山形ってほんっと果物うまいよねえ」
 立石の帰国と同じくしてこちらのマンション入りしていた佐古が、事の次第の説明を続ける。
「昨夜、なっちゃん経由でこの果物の話が来て、じゃあ、みんなでお昼ご飯を食べようってなったんだよ。でも、徹が帰ってくるのが遅かったから、事後承諾?」
「お疲れのところ、ごめんなさい、立石さん・・・」
 一番若い村木が、心底済まなそうな顔をして、両手を合わせている。
「ごめんな?徹」
「ごめんね、立石さん」
「・・・」
 全員の視線が立石に許しを請うている。
 一瞬、なぜだかプレーリードッグの群れに囲まれているような錯覚に陥った。
 らんらんと目を見開いた獣たちに囲まれて、家主は白旗を揚げた。
「いや・・・。そんな、俺は別に構わないけど・・・」
「おっしゃ。いいってよ!!」
 すっくと池山がソファから立ち上がる。
「じゃ、昼にしようや。俺、朝はトーストだけだったから、腹が減ってさあ」
 すたすたと立石の前を横切ってするりとカウンターの中に入る。
 あ、と、篠原が小さく呟いたのは、おそらく立石と片桐にしか聞こえていない。
「本間、どこからやったらいい?」
 水道のレバーを上げて手を洗い出した池山に、まな板でキャベツを刻み始めた本間が指示を出した。
「じゃあ、そのボウルに卵割ってもらえるかな」
「了解」
「あ、佐古さん、冷蔵庫の空いているところにその果物をいつたん入れてもらって良いですか?」
「はいはい」
 佐古もカウンターの中に入っていくのをじっとりと羨望の眼差しで見送る篠原の肩を、片桐がぽん、と叩く。
「・・・まあ、とりあえずお疲れさん。お前はそこに座ってろや」
 許しが出ない以上、本間に近寄るのは不可能だ。
立石、片桐、篠原がテーブルに座って眺める中、残りの五人が着々と昼食の支度を調えていく。
ホットプレートがダイニングとリビングに一台ずつ設置された。
「・・・お好み焼?」
 本間達がキャベツともやしとタマネギを小麦粉と卵と水で和え始めていた。
「そう。一台は俺のところのホットプレート。それでそもそも呼ばれたんだけどな」
 片桐がコンセントを繋ぎながら篠原に視線を送った。
「で、篠原を呼んだのは池山。村木さんの果物とか運ぶのに車を出してくれって」
「なんで長谷川の車じゃないんだ?」
 実は、ここから車で15分ほどの所に、立石の同級生の長谷川生の住むマンションがあり、転職と同時に村木はそこに転居し、今では本間や橋口を交えて行き来をする仲だ。
「え?だって長谷川さん、今ごろ開君と御蔵島でイルカウォッチングだろ?」
「え?」
 目を丸くすると、篠原と片桐が気まずそうな顔をした。
「池山の姉さん家族と御蔵島に一週間くらい前から滞在していて、多分、帰りは明日じゃなかったかな・・・。いないから、篠原が運転手になったんだよ」
「そう・・・。そうだったのか・・・」
 衝撃に顔がこわばってしまう。
 好きな女のスケジュールを他人から、当たり前のように聞かされるのはさすがにショックだった。
 ここ最近の忙しさを知っている長谷川からは滅多に連絡が来ない。
 それ以前に、彼女との間の深い溝が埋まらないままだ。
「あ・・・。ええとな。おれのとこの詩織も一緒なんだよ。だから俺は知ってたんだけどな」
 九州にいる妹の詩織は、昨年仲間で片桐の実家を訪ねて以来、女性陣と何かと交流があるとは聞いていた。
「・・・ま。子どもに勝てないのはお互い様ということで」
慰めに肩を叩かれ、言葉もない。

それにしても。
これは結構来る。

うなだれている立石の横に、どん、と大きなボウルが置かれた。
「徹。こっち担当な」
 これは、池山なりの気遣いなのだろうか。
 見上げると、池山が両手を腰に当ててにやりと不敵に笑う。
「さっさと焼かないと、キスするぞ」
 女性陣が「きゃーっ」と黄色い歓声を上げる。
「何故に、そこで、キス・・・」
「腹が減ってるから」
 眼がギラギラ輝いているのは、演技に見えない。
 コイツは本気だ。
「・・・わかったよ」
 ため息をつきつき玉じゃくしを手に取った。



 二手に分かれてお好み焼を焼きながらつっつき、デザートの果物もあっという間に平らげ、食後のお茶を楽しんでいると、リビングチームの本間が本棚にある卒業アルバムをめざとく見つけた。
「あれ?これ、高校の時のアルバムでしょ?立石さん、見ても良い?」
 シンガポールへ旅立つ直前に同窓生と名乗る男から同窓会開催の出席依頼メールが来て、返事を出そうにも顔と名前が一致しないので、物置から取り出して確認し、そのままリビングの本棚に起きっぱなしにしていた。
「ああ・・・。良いけど、大して面白くは・・・」
 許可を得た途端、本間がばっとそれを開き、橋口と村木と池山がハイエナのように飛びかかって覗き込む。
「うっわー。みんな初々しい~っていうか、何、これ、もしかして立石さん?」
「これって、高校一年の時ですかね。でも、もう、今と雰囲気似てますね・・・」
「それって、カラダのこと言ってんの?弥生ちゃんのエロ~」
 水泳部時代の立石を指さして、池山がねっとりとした笑みを浮かべる。
「いや、顔ですって・・・。それに高校生一年生で今の骨格だったら凄すぎますよ」
「たしかに。でも、映画やドラマに出ても遜色のない均整のとれた体つきですね」
 否定する橋口の横で、村木は冷静に写真を検分する。
「もてたでしょう、立石さん」
 長い髪を背中の半ばくらいまでのばし、ふんわりとした装いで儚げな美少女風の村木に茶化すわけでもなくさらりと言われて、立石は真面目に答えた。
「いや、俺は全く注目されなかった。地味で所帯じみていて、年寄りっぽいと言われてたし」
「あー。ねー。高校一年だとそういう判定になるんだ。女って残酷~」
 物心ついた時からモテ街道を歩んできた池山が哀れみの目を向ける。
「それが、社会人になったら結婚するのにイイ感じ?って、180度変わるのよねえ」
 今や、歩けばRPGのダンジョンかのように、結婚したい女たちに付け狙われる日々だ。
「もしかして、立石お前、海外勤務で躱しているのか・・・」
 ここ最近の鬼気迫る勢いとも言える仕事の取組みようを思い浮かべた片桐がぽろりと零す。
「・・・いや、そのつもりはないんだけど・・・。それに海外にいても似たような感じだし・・・」
 物憂げな声に、空気が沈んでいく。
「なんだ、あっちの女もかぶりつきなのかよ・・・」
 ひそひそと、さざ波が起きる。
「不動の安定感?」
「なんか・・・。もててる今の方が不幸せって、うまくいかないもんだな・・・」
「不幸せって決めつけるのはどうかと思うよ、池山さん・・・」
 本間の突っ込みは、全員の意見でもあった。
「で、いくさんは・・・っと」
 話を変えるために本間がページをめくる。
 しかし、それが話題として適当だとは思えない、むしろこれから塩を揉み込むことになるのではないかと、片桐と篠原が視線で会話する。
 しかし。
 止めに入る手立てはもちろんないので、固唾をのんで見守った。
「・・・ええと、バレー部だっけ」
「・・・あ。これですね。やっぱり目立ちますね、彼女」
 しかし覗き込んだ橋口と村木がふと、顔を見合わせた。
「あれ?私、この方、見覚えあります」
「あら、私も今そう思ったところなの。でも・・・」
 福岡に関わりのない二人は頭をひねる。
「んん?どの人?」
二人の指さす人物をじっくり検分した本間がいきなり声を上げた。
「ああーっもしかして、この人!!」
「ん?どうした、なっちゃん」
「佐古さん佐古さん、こっちきて!!」
「ん~?」
 手招きされて、佐古がテーブル席から離脱し、本間の隣に座る。
「あ・・・」と、篠原が恨めしげな声をひそかに上げたのを、片桐と立石は聞かなかったことにした。
「ほらここ!!」
「うん?」
「小山内真矢がいるの!!」
「あ、ほんとだ、小山内真矢」
「あーそうそう、小山内真矢!!ジャズシンガーの!!」
 橋口と村木は目を見開いて、うんうんと肯く。
「ああ、ようやく名前が出てきた・・・」
 まるで喉に刺さった魚の小骨が落ちたかのように、橋口がのど元をさすった。
「ああ・・・。小山内か。中学の時から長谷川と仲が良かったから・・・」
「ねえねえ、小山内真矢って、有名なんだっけ?」
 きょとんと首をかしげる池山に、もう~っと、本間が頬を膨らませた。
「海外で通用する日本人のジャズシンガーとして、ものすんごい希少なのよ、池山さん」
「昔は福岡にもブルーノートあったしな。だから高校まではなんとかこっちにいたんだけど、ずっと帰国しないままみたいだし」
 立石の説明に、本間はらんらんと目を輝かせる。
「いいな、いいな~。いくさん、真矢と仲良かったんだ~。彼女のCD、私全部持ってる!!」
「良いよな、真矢。初めて聞いたのはフライミートゥーザムーンのカバーで・・・」
「あ、私も私も、あれ、素敵よね」
 盛り上がりきった本間がいきなり歌い出した。
「Fly me to the moon~♪」
 すると、彼女の顔を覗き込みながら、佐古も後に続く。
「And let me play amongst the stars・・・」
意外に甘い、二人の囁くようなハーモニーが部屋の中に静かに広がっていった。
「Let me know what spring is like・・・On Jupiter and Mars・・・」
 村木、橋口、池山の三人はアルバムから顔を上げて、歌を聞き入っている。
 まるで、ミニコンサートが始まったかのような光景だった。
 そんな中、篠原は憮然とした面持ちである。
「二人の好きな音楽が結構被ってるから、時々こうやって急に歌い始めるんだよ」
 立石のフォローにも眉1つ動かさない。
「・・・たしか、篠原、お前もむかし楽器やってなかったっけ」
「ええ、そう言う家でしたから」
「なんだっけ。バイオリン?」
 確か弦楽器だった。
 なんとなく雰囲気から当たりを付けて適当なことを言うと、冷ややかな眼差しが返ってくる。
「いいえ。三味線です」

 気が付いたら、歌が終わっていた。

 全員の視線が今度は篠原に集中する。
「しゃみせん?」
 まだどこか甘さの残った本間の声が、反芻した。

 一瞬後に、ぷぷーっと池山が吹き出す。
「いやー、いいわ、秘書さん。そのノーブルな顔で、三味線!!ギャップ萌えするわ~!!おれ、アンタのこと好きかも~」
 げらげらと腹を抱えて笑い出した彼に、即答した。
「いえ。あなたに萌えて頂かなくても、結構です」






-続く-


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