女王陛下と俺-思い出-




 名前は知らない。

 でも、模試の会場で初めて見かけた時からとても印象的な子だった。
 すらりと長い手足に小麦色の肌、思慮深そうな瞳。
 いつも物憂げにうつむいて、彼女の周りで風も音も止まっているような気がした。


「そりゃあ、すでに中学生からそこらの男子より背が高かったからな。みんないつも遠巻きにちらちら見ていて、私はキリンか希少生物か?って感じだったし」
 徹の中の美しい思い出をすぱんと断ち切る。
「長谷川…」
 休日の昼下がり。
 ここは、徹のマンションの部屋。
 せっかく生がやってきたのに、池山と江口と岡本が一緒になり、五人で車座になって飲んでいる。
 いや、前日から男たちが飲み続けて朝になり、昼間になって届けもので立ち寄った生を引っ張り込んだのが真相だが。
「立石と長谷川って中学校から知り合いなんだ?」
 すでに池山と岡本たちの間では長谷川は呼び捨てである。
「いや違う。中学が隣同士だったのかな?模試の会場が一緒だったんだろう。私は知らないよ。こいつを知ったのは高校からだ」
 立石の作ったつまみをつっつきながら答えた。
「いや、中学三年からの塾が一緒だって。覚えてない?最後はクラスも一緒だったんだけど」
「全く」
 一言で徹の胸を突き刺す。

 もともと、中学生時代を水泳部一色で過ごした徹は空き時間は家族の面倒を見ていたために、成績は中の上程度だった。
 しかし、中学三年の時に入った大規模な学習塾で上級クラスに生の姿を見かけた。
 模試の会場でいつも見かけていた少女。
 気になってはいたけれど気後れしてとても声をかけられず、模試ならば会えると、こまめに受け続けていた二年間。
 なので、すぐに同じく上級クラスにいた知合いに彼女の名前を聞いた。
 タカシナ・イク。
 掲示板に張り出される塾内テストの上位者の中にいつも名前を見かけていた。
 高階、郁。
 きりりとした空気をまとった彼女に似合いの名前だ。
 徹の中で目標が出来た。
 それから、親も教師たちも驚く躍進劇が始まる。

「し、執念ぶけえ・・・」
 ぼそっと、池山が横を向いて小さくつぶやいた。
 一瞬、キーンと、何かが走った。
「池山さん…。みんなに聞こえてます…」
 困り顔で江口が教える。
 しかし、問題の生はこれだけ語られてもすましたものだ。
「ふうん。結果オーライじゃないか?そのまま頑張って会社まで突っ走ったんだし」
「それをあんたが言うか!!」
 岡本は頭を抱える。
「なんぼなんでもさあ、立石…」
 今まで何度言ったかわからない呪文を繰り返した。
 生の糠に釘は今始まったことではないので、おだやかに徹は流す。
 そして、中学三年の秋に再会した時に生がずいぶんと大人びたことを思い出した。

「大人びた…?さらに背が伸びたからか?」
 首をかしげる生に、池山がぽん、と手をたたく。
「あ、あれじゃね?十五の夏休みと言えば…」
 彼がまたいらぬことを言いそうな気配に江口と岡本が目を見開くが、するりと言葉出て行ってしまった。
「処女喪失!」
「い、いけやまくん・・・?」
 慌ててフォローに回ろうとした岡本だったがそんな心遣いも空しく、
「ああ、そういや確かに」
 あっさりと生が認めた。
「だろ?そうだよなあ、夏休み!!」
 答えを言い当てて得意顔の池山の首を背後から岡本が締める。
「お前なあ…」

 初夏の模試で見かけた少女は短かった髪も伸び、硬質で中性的な印象から伸びやかで柔らかな雰囲気に変わっていた。
 まっすぐ背筋を伸ばして座る横顔を何度盗み見しただろう。

「え?だいたいみんな初体験って中学生までに終えるんじゃねえの?」
 性懲りもなく池山が話を続ける。
「俺も十五の夏だったし」
「…お前が早すぎるんだよ」
 二日酔いなのか、だんだん痛み出したこめかみをぐりぐりと拳で押しながら岡本が答えた。
「んじゃ、岡本はいつなんだよ?まさか、童貞?」
「んなわけあるか!!俺は標準的に大学に入ってからだよ」
「徹は?」
 勝手にキッチンでコーヒーを入れだした生をちらりと見てからぼそりと答える。
「・・・まあ、俺もそんなところ」
「そうなんだ・・・。江口は?」
「俺もそうですね。野球が忙しくてそれどころじゃないというか…」
 鼻の頭をかりかりとこすりながら江口は照れた。
 何故そこで照れる。
 見てはいけないものを見たような気がして岡本は目をそらした。
「なんだ、つまんねえな・・・。みんな、案外、セーシュンしてないんだなあ」
「それとこれは別だろ!!」
 もう一度池山の首をぎゅうぎゅう締めながら叫んだ。
「酒を飲んでもいないのに、いや、酒が残ってるから昼間っからこんな話してんのかよ!!なら、今すぐその酒をここに吐き出せ!!」
 締められながらも池山はへらへらと笑ってキッチンへ声をかける。
「で、長谷川。相手は誰だったの?俺は近所のお姉ちゃんだけど」
「ああ、似たような感じかな。親戚の…」
「律義に答えるな~!!」
 岡本と立石が同時に絶叫した。

「別に今更、十五の時の相手なんて痛くもかゆくもないだろう」
 心底不思議そうに首をかしげる長谷川に、
「いや、親戚の集まりへ顔を出した時に困るから…」
 背中を丸め、小さな声でぼそぼそと立石がつぶやいた。
「…この期に及んで、まだこんな女と結婚する気満々なのか、立石…」
 耳聡く聞きつけた岡本の頭痛がさらに酷くなったのは言うまでもない。


 思い出は思い出のままに。
 決してそれを取り出してはならぬ。
 その美しさを大切に思うならば。





-おしまい-


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