『彼女とマンションと私』





 人は、恋をすると全てのことが一変する。
 風景がまったく違って見えたり、今までそんなに関心のなかったものが好きになったり。
 そして、ちょっと人として情けなくなるのも、恋ゆえかもしれない。

 興味本位でうっかり片桐の同僚である本間奈津美に手を出してしまった篠原は、目下、恋煩い中である。
 一夜を共にした翌朝に遁走してしまった本間を追いかけて、マンションまでやって来たものの、けんもほろろにたたき出されてしまった。
 そんな篠原があまりにも気の毒なので、池山が場所を移して自分の部屋へ片桐とセットで招く。

「秘書さんさあ、まあ、ちょっとしばらく本間ちゃんをそっとしといてあげたら?けっこうマエカレのこと引きずってるみたいだし」
 コーヒーと、立石に作らせたサンドイッチを三人で囲む。
「・・・目を離したら、また誰かつまみ食いするかもしれないじゃないですか・・・」
「うーん。それは否定しないけど・・・」
「いやいやいや、それはない。それはもうないだろ。篠原で懲りたと思うし」
「・・・啓介さんって、なにげにひどいですね・・・」
 フォローのつもりが傷口に塩を塗り込んでしまったらしい。
 恨めしげな秘書の視線に、片桐は目を逸らす。
「まあまあ、お二人とも。仲良く仲良く」
 そういいつつも、池山は物凄く楽しそうににやにや笑っている。
「そういや、片桐。さっき森本さんからメール来たんだけど、2Lの方なら近々空くかもって」
「あ。じゃあ、絶対頼みますと返事してくれるか?」
「了解」
 煙草片手に携帯電話を操作すると、すぐにまた返事が戻ってきた。
「ん。OKって。で、ここからは直接交渉だから、お前の連絡先教えるぞ」
「頼んだ」
 二人のやりとりを見ていた篠原がぽつりと問う。
「・・・啓介さん、寮を出るのですか?」
「・・・あ、ああ。前からこのマンションが気に入っていたから、空き次第知らせてくれるよう頼んでたんだよ」
 嘘ではない。
 もっとも、その時に一緒に住むつもりだったのは、瀬川美咲だったけれど。
「外観は割と普通のマンションですが、何か利点があるのですか?まあ、交通の便は確かに良いでしょうけれど」
「ああ、それはな。オーナーがマンション作るが趣味で、色々試してるんだけど、ここは防音がかなり良くて、風呂が普通より広いんだよ」
「風呂が広い?」
「1LDK以外は、家族風呂クラスが標準装備で、風呂好きにはたまらない造りなんだよ」
 男二人で入ってもそんなに不都合ないくらい・・・と、いいかけて、さすがに飲み込む。
「だから、本間も飛んで帰って風呂に入ったんだろうと思うよ。そこらのホテルの風呂より落ち着くから。ま、広い分、くつろぎすぎると水道代がかさむけどな」
「家族風呂・・・」
 篠原が、整いきった顔に手を当てて考え込んでいる。
 しかし片桐と池山は、彼が今、ろくでもない妄想に囚われていることを、同じ男として痛いほど解っていた。
「篠原・・・漏れてる、漏れてる、頭の中身タダ漏れだって・・・」
 片桐の忠告もむなしく、篠原は池山ににじり寄る。
「空き室・・・ないですか。私もぜひ、このマンションを借りたいのですが・・・」
 目から何かが吹き出そうだ。
「秘書さん・・・。気持ちは解るけど、都内からはちょっと離れてるだろうここ。仕事に支障が出るんじゃね?」
「かまいません。なんなら、セカンドハウスとしてキープしますから」
「滅多に帰れないのに?」
「帰ります。絶対、何があっても帰ります」
「いや、無理だって。数日前にドバイから帰ってきた男がなに言うよ」
「しかし・・・っ」
「落ち着け篠原」
 池山の両肩を掴んで揺さぶらんばかりの篠原を横から引きはがした。
「それをしたら、本間が逃げ出すから、やめとけ」
 静かな声に、篠原がぱたりと両手を落とす。
「なんだかんだ言って、本間は前の彼氏のことでけっこう痛手を受けてんだよ。あんなに甘えているの見てわかるだろ?今は、佐古と立石に任せて、もう少し、待て」
 本当は、上の方の階で1LDKが一室空いていた。
 しかし、本間を知るオーナーと立石たちは、それをあえて本間に知らせなかった。
 なぜなら、しっかりしているようで実はそれなりに傷ついているのが見え隠れしていたからだ。今回、篠原の誘いに応じてしまったのもその不安定さが出たと、皆思った。
 だから、本間がどうしても出て行きたいと言い出すまで、部屋があるとは言わないでおこうと言うのが、片桐を始め男達の意見である。
「あいつは今、恋愛沙汰を休憩したいんだと思う。もしも、お前が本気だというなら、多少のちょっかいはご愛敬だとしても、近付きすぎるのは御法度だ」
「そう・・・ですか・・・」
 うなだれる篠原の肩をぽんぽんと池山が叩く。
「ま、俺は応援しているからよ、秘書さん。たまーに、色々リークしてやるよ」
「またお前は・・・」
 片桐はうんざりとため息をつく。
「いいじゃんよ。けっこうおもしろ・・・いや、お似合いだと思うよ?」
 いや、面白いのが本音だろうと胸の中で呟く。
「まあまあ、そんなわけで。そろそろ酒にしねえ?俺、秘書さんの話をもっと聞きたくなったわ~」
 冷蔵庫に駆け寄ってビールを取り出した。
「・・・ま、そんな日もあって良いか」
 真っ昼間から、悪酔いしそうな酒盛り。
 それもこれも、恋ゆえに。

「秘書さんの恋に乾杯」

 その数時間後に池山の部屋を覗きに行った立石が見たのは、すっかり酔いつぶれた三人が仲良く床に転がって眠りこけている姿だった。







 -おしまい-


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