『秘密の花園-七夕-』




 水底のような、重く甘い香りに足を止めた。
 ねっとりとむせるように甘い香りの中に、どこか瑞々しい、のびやかな力の潜む、白い花。
「どうなされた?」
 先導してくれていた住職がそれに気が付き振り向く。
「花の、香りが・・・」
 懐かしさに眼を細めると、ああ、と納得したように肯いた。
「それは、くちなしですな。先代もお好きでしたな、あの花」
 住職の視線の先には箱庭に植えてある膝丈ほどの樹木があった。
 肉厚の白い花びらが夏の光を浴びて輝いている。
「そうですね・・・」
 先代と、母の、好きな花だった。
 いや、くちなしが特にと言うより、草木を育てて愛でるのが好きで、邸内をどんどん季節の花で埋め尽くしていった。
 先代と、母と、若奥様。
 そして、俊一と、自分と、更に小さな清乃が加わり、他の使用人たちと共に花の彩りや香りを楽しんだものだ。
 あの花園は。
 真神家の人々はどうしているだろうか。
 尋ねたら住職はいくらでも答えてくれるだろうが、未練が増すだけだと胸にとどめた。
「それでは、こちらへどうぞ」
 本堂ではなく、別棟に設置されている仏間へ通される。
 今回の帰郷が極秘であることを、住職を始めとした寺の関係者は心得た上の配慮だった。
「・・・ありがとうございます」
「いやいや、なんの」

 十年ほど暮した土地だが、住みよいところではなかった。
 理由は、その十年間、母が先代の内妾だったからだ。
 夫を亡くして、幼子を抱える若い母。
 住み込みの家政婦としての紹介をしたのは、分家筋からだった。
 漁師の元へ嫁いだが、もともとは真神家に仕える家系の者だからと。
 親子ほど年の離れた二人の関係に始めの頃はさほど気にも留めていなかった周囲も、何年も仲むつまじい姿を見て不安を覚えた。
 まずは五年前に先代が一度脳梗塞で倒れた時だ。
 若い夕子が先代を良いように操るのではないかという疑念を誰しも抱いた。
 先代亡き後は、遺産を横取りするのではないか、真神家を占有しようとするのではないかと。
 一度妄想に取り付かれたら、人の心なんてあっという間だ。
 誤解が誤解を呼び、悪い噂が取り巻く。
 まだ子どもの自分に向かってあしざまに罵る大人もいたし、親の噂を信じた子供たちからは仲間はずれにされたこともある。
 先代がかばえばかばうほど、母は世間の目から悪女と見られた。
 女達はいちように眉をひそめ、顔を背けた。
 そして、男達の下衆な関心の的になった。
 真神家の先代を虜にする女の身体はどんな味がするのか、と。
 隙を見ては下卑た笑いを浮かべて近付こうとする者が後を絶たず、時々もめ事に発展した。
 しかし、母の毅然とした態度と、冠婚葬祭でたまにやってくる正妻が公の場で釘を刺したことにより、ある程度は沈静化できた。
 だがそれは完全ではなく、執着に形を変えた男が一人いた。
 地元支援者の筆頭の息子だった。
 彼は、忠義心を建前にありとあらゆる嫌がらせを行った。
 それを秘書達が未然に防いだりしてくれたが、母が死を迎えるとそれはもっとエスカレートした。
 先代がこの寺の中に用意した母の墓所を夜中のうちに徹底的に破壊して、墓石を廃棄した。
 すぐに抗議したが、真神家の菩提寺に愛人の骨を弔うのは末代までの恥だとどこ吹く風だ。
 忠義を盾に取られると、時には主家である真神よりも、地元の支援者を掌握している彼らの方が力を持つことがある。
 彼らの機嫌を損ねることは、現当主にとって好ましくなかったため、真神惣一郎は黙認した。
 母に全幅の信頼を置き、姉妹のように過ごしていた惣一郎の妻の芳恵は、めずらしく夫に仲裁を願い出たが、叶わなかった。
 前妻の長男の養育のためだけに嫁がされた芳恵は、一切の権限を与えられず、ただ本邸に存在する飾りでしかないと、惣一郎が公言していたため、誰も彼女の言葉に耳を傾けようとはしなかった。
 こうなると、地元で母の墓所を受け入れてくれるところは皆無になる。
 縁のない土地に葬ることも考えたが、男の執着ぶりは異常だった。
 次にどんな手を打つのか予測がつかない。
 自分は、この土地を、そして日本を離れることに決めた。
 母の遺骨を守るのはとうてい不可能だ。
 もともと亡くなる直前にこうなることを予想してか、母は散骨することを希望していた。
 先代は渋ったが、それ以外に周囲を納得させることはできないと判断し、全く縁のない地域の海へ骨を運び、撒いた。
 彼らは、近海への散骨すら反対したからだ。
 未成年の自分に同行したのは先代の秘書が一人、仲裁に入ってくれた穏健派の代表が立会人として一人。
 そして、産後の肥立ちが悪くて体調を崩したままにも関わらず、先代の名代として芳恵が付き添ってくれた。
 四十九日も待たずに散骨せねばならない無念はあったが、同行した誰もが母の死を悼んでくれるのは、幸いだと、思った。
 そして、一握りの灰を持ち帰るのを、大人達が極秘にしてくれたことにも感謝している。
 母は全て海に帰してくれと言い残したが。
 もう一人の、大切な人の願いも聞きたいと思った。
 それは、既に死の床にあった先代の願いだった。
 母の死以来、次第に衰弱していき、今では起き上がれなくなっている。
 亡くなった父よりも、父らしく、人生の先達であった人。

 彼は、自分の骨壺の中に愛した女の骨を入れてくれるよう、頼んできた。

「何一つしてやれなかったのに、すまない」
 随分と細くなった喉から絞り出すように詫びられ、なんと答えたらよいか解らなかった。
「お前の母に会えて、私は、ようやく生きた心地がした」
 それは、母とて同じだったのだろう、と、思う。
 亡くなった父は、酒に溺れ、酔うと乱暴を働く人だった。
 幼い自分をかばって、母が傷ついていたのを覚えている。
 海が父を飲み込んだ、と、聞いた時、これでもう怖いことはないと力が抜けた。
 遺体のない葬式をあげたあと、着の身着のままで連れて行かれたのが真神家本邸だった。
 
 初春特有の黄色い花が咲き誇る、広大な花園。
 そこには静かな瞳で見つめる先代と、桜の木の精霊のような芳恵と、見たこともない綺麗な男の子がいた。
 当主惣一郎の長男、俊一。
 まるで光で作られたように眩しくて、まっすぐ見ることがなかなか出来なかった。
 彼に手を取られて、天にも昇る気持ちだった。
 優しい人たち、花盛りの庭、綺麗な俊一。
 この世にこんな世界があるのかと、心底驚いた。
 まるで最初からそこにいたかのように迎えられ、本当に嬉しかった。

 夢のような、幸せな日々。
 そして、これがいつまでも続くわけはないと、解っていた。
 夢は、いつかは覚めるもの。
 今、現実の過酷さと虚しさの前に呆然と立ちつくすばかりだ。

「夕子を、手放せない私を許してくれ」

 それは、母が、幸せだったという証でもある。
 十年間。
 花園で幸せだった日々を、夢だと笑わないでくれる。
 母の存在を、否定しないでくれる。
 これほど、ありがたいことはない。


 住職は自ら経を上げてくれたのち、回廊を更に奧に入った離れに茶を設けているからあとで来るように言い置いて仏間を去った。
 立ち上る線香の煙を見つめながら、しばらくぼんやりと過ごす。
 今は、骨壺の中で一つになった先代と母。
 ようやく安らかに眠ることが出来たのではないか。
 先代の葬式や法事に顔を出すことは叶わなかった。
 すでに海外へ居を移していたせいもあるが、いらぬ誤解を招かぬためでもあった。
 海難事故で亡くなった父の保険金と、家政婦としての母の働きによる貯金とその間にかけられた保険金でけっこうな財産が今の自分にはある。
 それを真神家から搾取したものと邪推される可能性は高い。
 そして、現在自分が受けている最高の教育は、確かに先代の配慮によるものだ。
 誰にも邪魔をされないためにも、今は身を隠す必要があった。
 なので、こうして二人の命日にも法事にも関係ない夏の日にこっそり帰郷した。
 この帰国の手配をしてくれた先代の筆頭秘書の藤田以外、おそらくこのことは誰も知らないはずだ。
 ・・・俊一、は。
 知らない方がしあわせだろう。
 彼のことを思わぬ日は一日たりとてない。
 俊一、俊一、俊一・・・。
 彼がいなければ、自分はとうにこの世から去っている。
 膝の上で拳をぎっと握りしめた。
 でも、会わない。
 昨年のあの日、そう誓った。
 大人になるまでは、大人達に太刀打ちできるほどの力をつけるまでは、会わないと。
 でも、心は揺らぐ。
 会いたい気持ちでいっぱいになり、悲鳴を上げそうだ。
 
 気が付いたら、線香の煙が絶えていた。
 膝を進めて線香をとり、ろうそくの火をつける。
 灰にさして合掌し、立ち上る煙に嘆息した。
 
 早くここを辞して、成田へ行こう。
 やはり、手が届くかもしれない日本にいるとどうしても未練が増していく。

 立ち上がり、住職へ別れの挨拶をするために回廊を進んだ。
 山水造りの庭の奧は小さな崖のようなものと滝が作られており、その前に張り出した東屋のような離れがある。
 茶室として使われることもあり、昔は何度かそこで過ごした。
 一言断って襖を開け、膝をいざって中に入った。
「・・・」
 誰かが息を呑む気配に顔を上げると、そこには、一人の先客がいた。
 さきほど言葉を交わした住職ではなく。
「・・・・俊・・・」
 一年前とは面差しがまったく違う。
 でも、俊一だった。
 目が眩むほどの神々しさをそのままに、のびやかに成長を遂げた姿で、そこにいる。
 艶やかな黒髪、白い頬、随分と大人びた眼差し。
 一年前よりもずっと、ずっと、綺麗になった。
 圧倒的な、美しさが、そこにある。
「さと・・・る・・・」
 彼は、唇をふるわせながら、自分を呼んだ。
「さとる・・・覚!」
 きりりとつり上がった目尻から、ひとしずくの涙が、こぼれる。
 そして、前よりも長くなった腕を伸ばし、畳についていた自分の手首を掴んできた。
 震える指先。
 でも、確かな力。
「さとる・・・っ」
 甘い、くちなしの匂い。
 熱い身体が腕の中に飛び込んでくる。
 かすれた声が耳に届く。
「会いたかった・・・。ごめん、会いたかった、さとる・・・」
 前よりも、少し低くて、そして、前よりずっと、ずっと甘い。
 俊一の、声。


 
 背中に手を回すと、額を肩にすり寄せてきた。
「・・・ご住職は?」
「・・・来ない」
 くぐもった声が、身体に染み渡る。
「藤田が、教えてくれたんだ。散骨のことも、今日のことも・・・」
 彼が教えたということは、すなわち先代の遺志に違いない。
 おずおずと、先ほどとうってかわって頼りなげな指先が肩胛骨のあたりをさまよっているのを感じた。
「だから・・・」
 ぎゅっ、と力を込められ、息をつく。
「今だけ・・・。一晩で良いから、さとる・・・」
 十年。
 十年は会わないでおこうと思ってこの土地を出た。
 隣に立つのにふさわしい男になるまでは、絶対に俊一に会わないと、己に誓った。
 なのに、たった一年で。
「俊・・・」
 胸の痛みをそのままに、抱きしめる腕の力を込めた。
「俺も、会いたかった・・・」
 この身体を突き放すことは、到底出来ない。
「すごく、会いたかった・・・」
 顔を覗き込むと、涙に濡れた黒い瞳が見上げていた。
 昔のままの形の良い、少し薄めの唇は百日紅の花のように染まり、熱い息を漏らす。
 つ、と睫を伏せて差し出された花弁に吸い寄せられるように唇を寄せた。
「さとる・・・さとる・・・」
 唇の隙間からうわごとのように名前を呼ばれ、身体の芯が熱くなる。
 抱きしめたまま畳の上に俊一を横たえた。
 ゆっくりとシャツのボタンを外すと、雪のように白い肌が現われていく。
 昔のままの、なめらかな胸元。
 でも、昔のままでない、骨の確かさと肉の重み。
「背が、ずいぶん伸びたんだな・・・」
 無意識の呟きに、ぴくりと、胸元が震えた。
 線が細くて幻のようにはかなげな少年だった俊一。
 たった一年で、彼は王者の風格をそなえた、強い光を放つ青年に変化しつつある。
「さとる・・・」
 不安げな色に目をあげると、俊一の目尻からまた涙がこぼれた。
「こんな俺は、嫌?」
 問われて破顔した。
 俊一以外に、欲しいものはないのに。
 これから先、どのように成長しても、それはきっと変わらない。
「綺麗になった。前より、ずっと、俊一は綺麗だよ」
 唇を合わせると、縋るように首に両腕を絡められた。
「綺麗すぎて、どうしたらいいかわからない・・・」
 服を乱しながら唇を合わせ、舌を絡めて吸い上げる。
 くちゅくちゅという水音が、静かな部屋の中で響く。
「いつも、俊一のここに触りたかった」
 くぐもった声を聞きながら尖って天を向いている胸を指先で転がし、摘み上げた。
「ん・・・っ」
 くねらせる腰から全てをはぎ取る。
 あらわになった下肢に自らのを合わせてこすりつけた。
「あん・・・あ・・・、さと・・・」
 すっかり固くなった互いの茎からはとろりとした粘液があふれ出て、その熱さに目眩すら覚える。
「覚、さと・・・、さとる!!」
 しっとりと汗をにじませた白い肌が波打つ。
 長い足が何度も畳の上をせわしなくかいた。
 細い首が反り、尖った喉仏があらわになる。
「・・・あっ!!」
 俊一が悲鳴を上げた。
 くちなしの花、畳の香り、そして、俊一の身体から立ち上る魅惑的な匂い。
 荒い呼吸と、止まらない熱に、飲み込まれていく。


 涙を唇で吸い取ると、両腕があがり、ぎゅっと背中を抱きしめられた。
 まだ荒い息のままで、かすれた声が囁く。
「さとる・・・。入れて」
 ゆっくりと足を広げ、腰をすり寄せてきた。
 互いに放った物のぬめりが、また次の衝動を呼び覚ます。
「でも、俊一」
 太ももを手の平でさすると、俊一は、んん、むずがるように鼻を鳴らす。
「いいから・・・」
「でも、ひさしぶりだから・・・」
 身体への負担が大きいはずだと言おうとすると、いきなり唇をふさがれ、口の中を激しくまさぐられた。
「しゅん・・・」
 片手で固くなった雄芯を握られて息を呑む。
「大丈夫だから・・・」
 導くように後ろへ先端をあてられて、全身から汗が噴き出る。
 この中を、忘れたことなどない。
 全てを引き替えにしても良いと思ってしまうほどの、快感。
「俊一・・・」
 なおもその先をためらうと、俊一がはらはらと涙をこぼす。
「入れてくれったら」
 白い太ももを開き、うっすら汗ばんだ身体と桃色に色づいた雄芯、そして湿った茂みをさらしたまま、手放しで泣き出した。
「この日を、ずっと、ずっと待ってた。一年前、急にいなくなられて、俺がどんな気持ちだったと思う」
 無意識のうちに先端だけが後肛に咥えられ、くちゅりと音を立てる。
「ん・・・っ」
「あ・・・、しゅん」
「抜かないで、このままきて」
 貪欲に飲み込まれていく感覚に眉を寄せた。
「さびしくて、さびしくて・・・。あの日まで、毎日抱いてくれていたのに、いなくなるなんて、俺はいったい、どうしたらっ」
 腰を上げて求められ、歯を食いしばる。
 奧の奧まで辿り着いてしまった。
「あ・・・っ。さとる、さとる、抱いて、お願い、動いて、お願い・・・」
 浮かせた腰をくねらせて、俊一がもだえる。
 あの日。
 自分は去る決心をしていたから、思うままに俊一を味わい尽くすことが出来た。
 でも、俊一は、あの快感がもっと続くと、もっともっと先まで二人で行けると信じていた。
 それをいきなり断ち切られて、辛かったのだと、今頃思い至った。
 自分勝手すぎた。
 あまりにも、残酷な仕打ちだったと後悔する。
「ごめん、俊一・・・。俺が身勝手だった」
 額に口づけをして、ゆっくりと奧を突いた。
「ん・・・、さとる、さとる・・・」
 背中に爪を立てられ、ゆっくりと引き出す。
 俊一に濡らされて、ねっとりと潤っているのがわかる。
「いや、いかないで」
「いかないよ。どこにもいかない」
 だから。
「俊一」
 両手で俊一の腰を掴み、一気に貫いた。
「ああああっ」
 俊一の前から白い液体が飛び散り、彼の薄紅色の胸から顎にかけて汚す。
 びくびくとけいれんする胸の突起に唇を落として舌でなぶりながら、また引き出し、ゆっくりと奧まで潜り直した。
「んん・・・っ。いい、いい・・・。さとる・・・っ」
 俊一が頭を振ると、ぱさりぱさりと黒髪が畳を打つ。
 両膝を抱え上げて、円を描くように抉ると、俊一の雄芯がゆらゆらゆれながら再び勃ちあがりはじめる。
 右のふくらはぎに顔を寄せ、舌を出してぺろりと舐めた。
「う・・・」
 それだけで、俊一は呻いた。
 互いの身体が、覚えている。
 そう思った瞬間、覚の身体もますます熱くなった。
 寂しがり屋の俊一は、触れられることに弱い。
 指で触れられるだけでも感じるが、唇と舌に触れられるともっと感じるらしい。
 全身から花のような香りを発しながら、身体をくねらせて悦ぶ。
 そして、自分はその香りに酔って我を忘れてしまうのだ。
「覚」
 もっと。
 黒い瞳を潤ませて俊一がねだる。
 乾いた唇を薄い舌でちろりと舐め、小さなため息をついた。
 すんなりと伸びた首筋が、くっきりと表れた鎖骨が、すっかり紅に染まって突き出ている胸の突起が。
 全身で、食べてとささやきかけている。
 濃くなるくちなしの匂いに惑わされ、己の中の獣がゆっくりと起き上がる。
 「しゅん・・・っ」
 呻りとも、咆哮ともつかない声を上げ、その身体に飛びかかった。
「あ・・・、ん、ん、ん、ん・・・」
 激しく腰を打ち付けると、腕の中で嬌声が上がる。
「あ、あ、ああっ、も・・・っと、もっと、もっとして、さとるっ」
 強く締め付けられて、自分が俊一の中に取り込まれていくのを感じた。
 自分が俊一を喰らっているのか、
 それとも俊一が自分を喰らっているのか。
 唇も、指先も、足も、雄芯さえも、既に自分の意志から遠く離れたような気がした。
 混ぜて、混ざり合って、抱きしめて、喰らって。
 今がいつで、
 ここがどこで。
 全てが無に帰していく。
「俊・・・。しゅん・・・っ」
 無意識のまま名前を呼び続け、物凄い勢いで駆け上る。
「はっ・・・」
 ひときわ強く貫くと、俊一が高く声を上げた。
「ああーっ」
 その首筋に歯を立てる。
 びくびくと痙攣する花筒を、もう一度深く抉って、覚は果てた。




 障子越しに光を感じて仰向けのまま視線を上げた。
 ちらりちらりと薄い黄緑色の光が消えてはまたたく。
 さらさらと庭園の水音と風に揺れる木々の枝先のざわめき、そして遠くからは竹藪の竹が起こす音も聞こえてきた。
「もう、こんな時間か・・・」
 あたりは夜の闇に包まれている。
 昼間に寺について法要を行い、この離れに入ったのはまだ回廊に強い日差しが差し込んでいた頃だった。
 その後、俊一と身体を貪りあい、痴態の限りを尽くした。
 たくさん俊一の身体を感じて、俊一には何度も高い嬌声を上げさせてしまった。
「住職に、顔向けできないな・・・」
 いくら山水造りの広い庭園の最奧であっても、ここは寺だ。
 申し訳なさにため息をつくと、胸の上に伏せていた俊一が呟いた。
「大丈夫だよ。多分、最初からこうなることはわかっていたはずだから」
 かすれ気味の声に、まだ汗に濡れた彼の髪を指先ですくと、腹ばいのままゆっくりと身体を上げてきた。
 ようやく冷めてきた筈の肌が擦れ合い、また、少し熱を帯びる。
「そのために、たくさん、お布施もしてきたし?」
 悪戯っぽい微笑みに、鼻を摘む。
「・・・あの方に、失礼だろう」
「わかってる。でも、このことは、譲れなかった。だって、今日を逃すといつ覚を捕まえられるか解らなかったから」
 唇を寄せられて、応じる。
 吐息と、舌をゆっくり絡め合い、また夢中になり始めたところで、すぐそばでぴちゃりという水音に唇を離した。
「・・・鯉かな」
 覚の上に乗ったまま、俊一が身体を伸ばして障子に手をかけた。
 すっと開くと、縁側のすぐそばの池で、また、ぱしゃりと魚のはねる音がする。
「覚、蛍が来てる」
 池よりも少し先に山と滝が造られ生い茂った木々のしつらえが蛍の逢瀬に最適だったようで、多くはないがちかりちかりと黄緑色の光を放ち舞っているのが仰向けに見る覚の目にも映った。
 伸び上がって、喜ぶ俊一の横顔に、かつての幼さが蘇る。
「もう、とっくに蛍の季節は終わったと思っていたのに・・・」
「ここは、少し人里離れているし・・・。色々条件が揃っての事かも知れないけど、多分、名残の蛍だろうな・・・」
「なごりの、ほたる・・・ね」
 口の中で、俊一が反芻する。
 木々のむこうには星空が広がっていた。
「七夕の夜に、蛍と、お前・・・」
「・・・しゅん?」
 空を見上げながらやわやわと微笑む彼があまりにも儚くて、腰に回す手に力を込める。
「待って、良かった・・・」
 片方の目から、一滴、涙が伝うのが見えた。
「置いていったお前のことも、お前を隠したお祖父様のことも、絶対行き先を教えてくれなかった藤田のことも、それから、真神の家のことも、何もかも憎くて、気が狂いそうだった・・・」
 腹の上に跨がって見下ろしながら、また、俊一がはらりはらりと涙を落とす。
 涙は頬を伝い、細い顎からぽとりぽとりと覚の胸に落ちた。
「どうして、俺を独りに出来るのか、どうして我慢をしなきゃいけないのか、いったい、俺にどうしろと?・・・もう、なにもかもぐちゃぐちゃで。覚が欲しくて欲しくて、昼も、夜も覚のことばかり考えた」
 大理石のようになめらかな裸体を夜の光の中に惜しげもなくさらしたまま、俊一は泣き続ける。
「覚は、俺が欲しくないの?」
「欲しいさ」
 一瞬、外のざわめきの一切が止まる。
 音も風も止まった中で、黒い瞳を見上げた。
「物凄く欲しかった。いつも欲しかった。だから、少しでも俊一の気配があったら、それでいっぱいになってしまうから・・・」
 視線を逸らさずに、身体を起こす。
 両方の太ももにゆっくりと手をかけて、そこから引き締まった細い腰を撫で、更に上の、赤く突き出た胸の突起を撫でた。
「あ・・・」
 ぴくりと、顎を振るわせる俊一に構わず、両方の親指でそれぞれの胸を摘んでは押し潰す。
「ん・・・」
 切なそうに睫を瞬かせる彼の耳に唇を寄せた。
「そばにいると、どうしても、いつでも、ずっと、こうしていたくなる。ずっと、俊一を触って、俊一の中にいたくなる・・・」
 耳たぶを噛むと、こくりと、喉を鳴らすのが聞こえた。
「うん・・・うん・・・」
 いつの間にか、また、互いの芯が熱くたぎってしまった。
「ほら、こうして・・・」
 先ほどまで貪った後ろに指を入れると、ちろりと情事の名残が流れてくる。
「んん・・」
 膝を立てた俊一がきゅっと、膝頭で覚の腰を締め付ける。
「さとる・・・ねえ・・・」
 ねだられて、両手で双丘を割り開いた。
「入るよ」
 囁くと、こくこくと、小刻みに肯いた。
 もう、何度こうしたかわからない。
 しかし、何度しても足りない。
 まだ、足りなかった。
 亀頭を締め付ける俊一の入り口の力に歯を食いしばりながら、ゆっくりと腰を下ろさせる。
 ぬるりぬるりと進む彼の中は、ありえないくらい熱い。
 時折締め付けられて、息を呑んだ
 こんな快感、きっとどこにもない。
「は・・・、さとる・・・さとる・・・」
 恍惚とした俊一の瞳には、もはや何も映らない。
 また、うわごとのように名を呼ばれ、応える。
「しゅん・・・」
 唇を合わせて、腰を揺らしあいながら、また、溺れた。
 手の平に感じる背中も、あわせた胸で主張する赤い乳首も、そして挟まれた俊一の屹立も、愛しくて、全て取り込みたくなる。
 心と、身体に刻みつけたくて、手の平をさまよわせる度に、唇で吸い上げる度に、俊一は快感を増した身体に混乱して腕の中で暴れ出す。
「ん、や、いや、さとる・・・っ、いやっ!!」
 全身でしがみついてきた俊一が、背中に爪を立て、最後に肩に噛みついてきた。
「・・・っ」
 生きている、と思った。
 この瞬間こそ、生きている。
 気を失いかけながらもすがり続ける俊一の耳に囁いた。
「俊、好きだ・・・。物凄く、好きだ」
 長めの髪をかき上げ、耳元から首に唇を落とす。
「俺は、お前のものだよ、俊」
「・・・ほんとに?」
 目を瞑ったまま、腕の力を込められる。
「ああ、本当に」
「・・・俺を、愛してくれる?」
「ああ、お前だけを」
 どくん、と、俊一の中がまたうごめく。
「愛してるって、言えよ」
 命令しながらも、縋る指先。
「愛してる」
 汗とも涙ともつかないものがまた、覚の身体の上を伝う。
「ずっと?」
「ずっと・・・」
 すると、ぺろり、と先ほど強く噛まれた肩口を舐められる。
「俺も。覚。あいしてる・・・」
 互いに手足を絡め合い、隙間なく抱きしめ合った。


「・・・やっぱり、行き先は、教えてもらえないの?」
 膝に馬乗りになって、楔を収めたまま、俊一は覚の胸に寄りかかる。
 柱に背を預け、俊一を抱き込んだ状態で縁側ちかくに腰を下ろしていた。
 時々、互いの屹立がぴくりぴくりと波打つが、離れがたくてそのままにする。
「勝手な言いぐさで悪いけど・・・」
 額に口づけして囁く。
「俊一の、匂いをかいだだけで、これだよ?」
少し揶揄するように、くっと腰を突き出すと、それを感じた俊一が顔を赤らめた。
「や・・・。もう・・・」
「もう?」
 硬さを増したもので中をゆっくりとさぐると、また、太ももと筒がきゅっと締まった。
「だめ・・・、ちょっと、さすがに、さとる・・・」
「ほらね」
 くすりと笑うと、黒い瞳が恨めしげに睨んできた。
「さとる・・・。前からちょっと思ってたけど、お前、俺には意地悪っていうか、非道だよな」
「まさか」
 こん、と、奧を突いてみせると、「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
「こんなに可愛がっているのに」
「あ・・・ん、そういうところが・・・」
 息を乱しながら、俊一は肩にまた噛みついた。
「痛・・・っ」
「覚の、意地悪」
 がぶがぶと何度も噛みついてまるで子猫の甘噛みのようにひとしきりじゃれた後、ぽつりと呟いた。
「・・・わかった」
「うん?」
 頬と頬をすり寄せる。
「わかったから、せめて約束して」
「うん」
 次に鼻を擦り合わせて、唇をついばんだ。
「一年後に、また、ここで会ってくれる?」
「俊一」
 頬に手をやると、手の平をとって口付けられた。
「行き先も尋ねないし、連絡もしない。だけど、来年の七夕に、何があってもここに来て」
「ここに?」
「うん、ここに」
「それは・・・ちょっと・・・」
 ためらうと、手の平に噛みつかれる。
「嫌なのか?」
「だって、いくら何でも毎年ここでこんなことしたら、迷惑だろう」
「今の倍、お布施を積むから大丈夫」
「いや、だから、しゅん・・・」
「絶対、ここがいい」
 両手で覚の顔を挟み込んで、じっと闇色の目が見据える。
「ここで、覚と、蛍を見ると思うから、俺もがんばれる。頑張るから」
 少し、大人びた、目元。
「・・・」
 一年前よりも、ずっと甘くなった唇。
「覚」
 掠れた、甘い声が促す。
「・・・わかった」
「さとる!!」
 首元に腕を回されて、ぎゆっと抱きつかれる。
「・・・出世したら、一番に、お寺の人たちに恩返ししないとな・・・」
 抱き留めて、ため息をついた。
 俊一には、いつも、勝てない。
 しかしそれは、この土地の人間なら誰でも同じだろう。
 そこにつけ込んでも、良いだろうか。
「うん」
 可愛い俊一。
 たいせつな、ひと。
「なら、約束・・・」
「ああ、約束する」
 子どものように、指切りをする。
「一年後に、ここで」
 額と額を合わせて。
「一年後に、必ず、ここで合おう」
 唇と、唇を静かに合わせた。
「あ・・・。さとる・・・」
 腰の動きを再開すると、また、俊一の喘ぎ声が上がる。
「約束する」
 水のせせらぎの中に互いの情交の音を紛らせながら、何度も何度も契りを口にした。
「ぜったいに」
「あ、あ、さとる、ぜったい・・・。ぜったいだから・・・っ」
「ああ、かならず・・・」

 この身体にかけて。
 君を。
 君だけを。


 -完-


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