『野分-9-』
再び目にしたのは、手足を投げ出しうつ伏せに横たわる裸身だった。
「山姥切・・・」
長い髪が四方に散って、藍色に変化した肌をわずかに隠す。
痩せ衰えた身体はそのままで、獣めいた変化もそこかしこに残っている。
だけど。
「ふ・・・」
腕を持ち上げて自らの手の甲を見てみると、なるほど、己の肌の色も藍色に染まりきっている。
「と・・・、いうことは・・・」
覚醒するにつれ、じわじわとこみあげてくるもの。
それは、欲。
目の前の、無防備な身体に対する残酷なまでの支配欲。
欲しい。
今すぐ、欲しい。
欲しい・・・。
柔らかな肌の最奥まで、己の物にしたい。
深く深く、味わい尽くしたい。
髪の一筋も、あまさず・・・。
脳が、次第に侵されていく。
今、自分の中にどれほどの正気が残っているのか。
それを考えることすら、億劫だ。
「もう、猶予は…ないか」
この期に及んでも、覚悟のできていない男を。
笑うだろうか。
憎むだろうか。
「山姥切・・・」
息がかかるほどの距離まで膝でにじり寄り、伸ばした指先に触れたのは墨汁のように艶やかな黒髪。
「君を今から・・・」
掬い上げて口づけると、骨の浮き出た肩がびくりと震えた。
伏せていた腕の中からゆっくりと顔が覗く。
水をはったようにきらめく、瑠璃の瞳。
更に現れた藍色の唇が微かにふるえていた。
『しょくだいぎり』
泣き出しそうな顔だと思った瞬間、必死でせき止めていたものがあふれだす。
欲しい。
「山姥切」
余裕なんかない。
乱暴にその身体を背後からかき抱く。
ひゅっと、喉が鳴る音がした。
だけど、それは腕の中に閉じ込めた男のものなのか、自分のものなのか、わからない。
ただ、ただ。
裸の背中に触れて、流れ落ちる髪の感触を腕に感じ、頬に彼の熱を受けたその時。
何も考えられなくなった。
ホシイ。
「俺を、君の中に入れてくれ」
返事は待たない。
目の前にある頼りなげな肩口に噛みついた。
『っ、あ――――っ』
頭をそらして、彼が高い声で悲鳴を上げた。
ぴりぴりと鼓膜を刺激する、高い音。
全身にざわっと快感の嵐が通り抜ける。
ふーっと、深く息をつき、余韻を味わった。
「・・・いいね」
噛み跡のついたそこに舌を這わせると、びくびくと水揚げしたばかりの魚のように薄い背中がはねる。
『ア・・・ッ』
こらえ切れず漏れた吐息は、まるで桃の果汁を飲まされた口に含んだ時のように、ねっとりと甘い。
「ほんとうに、きみは・・・」
声ひとつで、こんなにも俺を狂わせる。
「は・・・っ、は・・・」
『・・・ん・・。んぁ・・・っ』
互いの吐息が獣じみていく。
うつ伏せのままの山姥切の上に燭台切が覆いかぶさって、ただただ身体を重ねているだけだ。
互いの熱を分かち合い、ほんの少しでもふれ合った部分をゆっくりすり合わせただけで息が上がり、頭は熱で煮えたぎる。
「山姥切・・・」
肩に手をやり、腕の中の山姥切の身体を反転させようとすると、弱々しい抵抗の声が上がった。
『っや・・っ』
刀身が砕けた瞬間に内蔵をかなり修復されたのか、喉が彼らしい音を取り戻してきたようだ。
わずかに首を振ると、細いうなじが露わになる。
唇でたどるたびに、軽く触れているだけなのに興奮が増した。
ちらりと舌先で舐めると、そこにますます青い色素が集まっていく。
今、自分たちは欲望で真っ青に染まっている。
爪の先まで、想像のつかない姿に変わり果てているにもかかわらず、求める気持ちは高まるばかりだ。
そして、それは燭台切だけでないことは、腕の中の身体の熱が教えてくれる。
空に爪を立てて快感を逃そうともがく山姥切の手を、上から握り込んだ。
『ああ・・・。ああ・・・』
ままならない欲への嘆きなのか、それとも与えられた感覚への安堵なのか。
山姥切の吐息が艶を増す。
『う・・・ん』
指と指を、手の甲と手のひらを合わせただけで、そこから快感がしみ込んでいく。
本能のままに、互いの指をきつくからめた。
・・・クル。
「く・・・っ」
脳の全てを欲に明け渡してしまうのをなんとかこらえながら燭台切はいったん身体を起こして膝立ちになり、着物の帯を解いて無造作にはだける。
『・・・』
肩を震わせながら、横臥したままの山姥切は間近で着物を脱ぎ棄てるさまを見つめていた。
彼の不安と恐れの入り混じった表情はそのままに、瞳だけが情欲に濡れている。
自分の顔を、首筋を、胸を、腹を、物欲しそうな視線がたどっていくのを感じた。
自然と、唇がほころんでいく。
見せつけるように、すっかり勃ちあがった物をさらりと指でしごいてみせた。
「きもち、いいね。さわっているだけなのに、すごくいい・・・」
細い喉が、こくりと、微かに動いた。
熱い、ため息。
唇はますます青く染まり、闇の色に濡れていく。
君も、欲しいか。
この、俺を。
「そうこなくっちゃ・・・」
ひとり相撲では寂しいことこの上ない。
「あ・・・」
喉が勝手に音を奏でる。
耳に熱い息を吹きかけられて、思わず目の前の肩に爪を突き立ててしまった。
「・・・っ」
その身体がわずかに揺れる。
そして。
「爪、戻ったんだね」
この期に及んでも柔らかな声。
異空間に封じ込まれた自分の前に現れたこの男は、変わり果てた姿を見ても眉一つ動かさなかった。
しかも刃に貫かれたこの身を正面から強く抱きしめた。
それは、彼が自刃したも同然で。
結果、刀身は飛散した。
だけど、なぜかまだ自分たちは生きている。
腹に空いた傷はふさがり、焼けただれたはずの喉は甘い音を紡ぐ。
そして、生えてきた爪が目の前の肌を切り裂く。
「山姥切」
覗き込んできた瞳は金色。
そんなに、優しい声で呼ばないでくれ。
「やめろ・・・」
俺に、そんな価値はない。
「燭台切」
燭台切光忠。
なぜ。
「あ・・・」
甘い。
甘い吐息が耳をとろけさせる。
いつまでも、いつまでも聞いていたい。
欲望が果てしなく湧き出て溺れてしまいそうだ。
「山姥切」
名前を呼ぶと、瑠璃色の瞳がきらめく。
拒絶と、罪悪感。
同じ世界で同じ毒に染まり、獣になり果てた自分のありように、山姥切は苦しんでいる。
巻き込んでしまったことへの後悔。
だけど後戻りできないと、互いの本能が知っている。
その証拠に二人の身体は異形のままだ。
相変わらず青い呪文が駆け巡って肌を青銅色に染め上げる。
刀身を粉砕した時に、赤い呪文はともに飛散した。
しかし、熾火のようなものが芯の部分にまだ残っていることをお互い感じている。
殺戮衝動がまた息を吹き返す前に。
この、飲めば飲むほど喉が渇いていく甘い水に身を任せるしかない。
山姥切国広は、どの戦場でも的確な判断を下し仲間を守り続けた男だ。
わからないはずはない。
燭台切光忠を生きて返すには、共に身を焦がす以外に方法はないことを。
「山姥切」
だから、あとで、好きなだけ憎んでくれ。
「怖がらないで」
すっかり欲にまみれたこの俺を。
「大丈夫だから」
いかにも優しくささやきながら、悪い男がたいてい口にする台詞をその唇に落とした。
「ん・・・」
くぐもった声に酔いしれる。
ああ、甘い。
甘くて、甘くて、気持ちいい。
柔らかな唇を、濡れた舌を、思うままに貪った。
手のひらの中の、滑らかな肌。
そして、面白いほどに応えてくれる身体の熱さに悦びを感じた。
手も、足も、胸も。
重ねるだけでまるで溶け合うようだ。
絡めて、絡まって。
上なのか、下なのか。
時間も空間も忘れて。
ひたすら快感を求めた。
汗にまみれた指で彼の身体を探り、さらなる奥を暴く。
「・・・は・・・っ」
どちらの声なのかもはやわからない。
ただ。
自分たちはこうなるべきなのだと。
それだけだ。
「あー・・・っ」
かん高い叫びが聞こえたけれど。
彼の中に深く強く、突き立てた。
「ぐ・・・っ」
優しさなんてかけらも持っていない。
己の望むまま、乱暴に身体を進める。
「あっ、あ・・・。し・・・」
心の準備なんてできるはずがない。
思いもしない男に君は抱かれているのだから。
それでも、なんて身体だ。
甘くて甘くて、
気持ちよくて。
狂いそうだ。
「・・・みつただ」
欲が深まる。
「ねえ、光忠って、呼んでくれないか」
もう、止まらない。
「あ・・・っ」
これは睦言だ。
最中に名を呼びあうなんて。
「ねえ、今だけでいいからさ・・・」
どんなわがままも、今だけならいいだろう。
二人だけの空間で、
二人だけにしかできない、今を。
「あ・・・っ、あっ、あうっ・・・」
さんざん揺さぶられて鳴きながら、彼は震える指を伸ばしてきた。
「・・・っ。ああ・・・っ」
肩に、痛みが走る。
「・・・は・・・」
一緒にとろけてしまえ。
跡形もなくなるまで。
「みつ、ただ・・・っ!」
ああ。
気持ちいい。
凄くいい。
思わずため息が漏れる。
よくてよくて、よくて。
全てを解き放ち。
全てを失う心地よさを知った。
山姥切国広。
君が欲しかった。
ずっと。
今も。
-つづく-
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