『野分-1-』
暗い色を帯びた形の定まらない多くの雲が、空を駆け抜けていく。
ごうごうと風は吹き、木々はざわめき、ちぎれた葉が乱れ飛ぶ。
野分。
すべてを壊せ。
すべて、吹き飛ばしてしまえ。
全き姿を思い出せないほどに。
ざわりと頬をなぶった風に不快なものを感じ、空を見上げた。
「なあに?どうしたの、山姥切」
すぐそばを歩いていた乱藤四郎が真似て顔を仰向かせる。
「雲の動きが・・・」
ぽつりと呟くと、また、ざわざわと湿り気を帯びた空気が手足にまとわりついた。
「んー。曇ってきた?」
少女と見紛う容姿の乱藤四郎の声色は優しさとあどけなさが同居して、どこか心地いい。軽い微笑一つで誰の懐にも自然と入ってしまうのだが、それは山姥切にしても同じことだ。
「先ほどと、何か、違うと思う・・・」
ここのところの天気が良く過ごしやすくなってきたと、ほんの少し前に彼と語ったばかりだが、その時見上げた空の色と、どこか違うことに山姥切は何故か不安を覚えた。
今、この場にいるのは自分たちのほかに数人の刀剣士たち、そして審神者。
自分たちの過ごす領域よりも少し遠い城へ、交流試合に出かけた帰りだ。
先頭ではいつも通りに大太刀の蜻蛉切が、まだ幼さの抜けない審神者を大切そうに両腕で抱えて歩いている。
すぐそばには太刀の燭台切光忠が付き従い、のんびり構え得ているように装っているが、十分に周囲に気を配っているのが遠目にもよく解る。
その後に続く、骨喰藤四郎、薬研藤四郎も親睦会の帰りだからと言って気を抜くたちではない。
後詰の自分たちが見る限り、異常はない。
だけど。
「なにか、変だ」
「え・・・っ」
その不安の糸口がつかめない。
唇をかみしめ、あたりに耳を澄ましたその時。
「山姥切―っ」
審神者が振り向き、満面の笑みを浮かべ自分へ無邪気に手を振ってみせる。
大手門までもうすぐ。
帰還に気付いた門番が内鍵を外し、少しずつ開き始めていた。
そんな時だからこそ…。
ちり、と、首筋の後ろにわずかな殺気を感じた。
「乱・・・!!銃を南南東に向けて構えて!!」
「え?あ、うん!!」
乱が銃に手を伸ばすのを待たずに、地面を蹴る。
間に合うかわからない。
「蜻蛉切、審神者を降ろせ!!」
矢が、自分の背後からまっすぐに、少女めがけて飛んでくるのを感じた。
通り過ぎるその矢を抜いた刀でなんとか叩き落せたが、第二第三の矢は逃してしまう。とりあえず手近な矢を防ぎながら先に目をやると、刀剣たちが次々と飛んでくるそれらを同じく叩き切るか銃で撃ち落とすか応戦していた。
門前では蜻蛉切がすぐさま審神者を広い胸の中に隠すかのように抱き込んで、城内に駆け込んだのをなんとか確認できた。
「くそ・・・。なんだこれは・・・」
審神者は安全な場所に逃れたのに、矢の雨はやまない。
目的は、審神者を誅することではない?
山姥切は目を凝らし、間者の居場所を突き止める。
「そこか!!」
「まて、山姥切!!」
誰かの静止の声を聞いたが、駆けださずにいられない。
奴らは、何者だ?
「乱、頼む!!」
「わかってる!!」
乱藤四郎が援護射撃をしてくれる中、まっすぐに突っ込んだ。
敵は、三人。
今は、禍々しい気をあらわにしている。
これほどの邪念に満ちた空間に、なぜ気が付かなかった?
ふと、更なる疑念が頭の隅に浮かんだが、まずは仕留めることが先決だった。
今、まさに放とうとしている者の腕を打ち落とし、次につがえようとする者の息の根を止め、更に刀を構えてきた者を屠った。
激しかった攻撃があっという間に止み、ふ、と、息をついたその瞬間。
「離れて、山姥切!!」
乱の悲鳴が耳を打つ。
とっさに飛び退くが、左側の太ももに痛みが走った。
「・・・っ」
何かが、刺さった。
でも今、それは些細なことだ。
返す刀で根源を絶つ。
ぐがっ・・・。
不気味な音共に、相手の気が散じた。
途端にカラカラと音を立てて目の前の身体が崩れ落ちていく。
「・・・傀儡だったのか…」
片腕のない遺体は木で作られた人形だった。
胸元に貼られた札で操られ、口には吹き矢が仕込まれていた。
最初に首を刎ねてしまわなかった自分の失態だ。
太ももに刺さったままの小さな吹き矢を見下ろす。
これは、今抜くべきか。
いや、おそらく抜いた瞬間に事態が悪化するよう仕組まれているに違いない。
そして、じわじわと身体を支配しようとする力を傷口から感じる。
すぐに着けていたネクタイをとき、傷より少し上を強く縛った。
たとえ血の巡りを遅くしたとしても、子供だましのようなものだとわかっている。
これは毒。
それも、些細な傷から大きな成果を得るための。
もうこの身に受けてしまったからには仕方ない。
これが、自分の命運なのだろう。
「・・・、山姥切・・・。だ、大丈夫?」
おずおずと、背後から乱藤四郎が声をかけてきた。
「俺に、近づくな!!」
いつになく激しい声に、乱の顔がこわばる。
しかしすぐさま振り向いた山姥切の瞳には、後悔の色がはっきりと浮かんでいた。
「・・・すまない。とにかく、今は俺に近づいたら駄目だ」
更に後ずさって二人の間に距離を作った後、山姥切は乱暴なしぐさで襟元を開く。
白い首に濃紺の組紐が巻かれているのが乱の目に焼き付いた。
「それ・・・」
「ああ」
無造作に紐を引くと小さな守袋が現れ、それを首から外して乱に向かって投げた。
「これを、太郎太刀が戻ってきたら渡してくれ」
空中で弧を描くそれを、乱は慌てて手を伸ばして受け取る。
繊細な織と装飾を施しきちんと縫い合わされた柔らかな絹の袋の中に、小さな重みと力を感じた。
「山姥切、でもこれは・・・」
握りしめた手の中が、熱い。
山姥切の身体そのものだ。
「あの人を、これ以上巻き込むわけにはいかない」
「でも・・・っ」
「たぶん、残りの傀儡たちを調べればどこかに予備の矢があるだろう。薬研ならきっと解るはず」
山姥切は唇に指をあてて、空に向かって大きく息を吹く。
指笛が、空気を切り裂いた。
甲高い音は林の中を通り抜け、隅々まで響き渡る。
やがて、ほどなくして荒々しい蹄の音とともに馬が現れた。
白い身体に黒い鬣の、足の速さでは本丸随一の名馬。
「小雲雀」
鐙と鞍などが装備してあるのは、すでに事態を把握している仲間の誰かが支度してくれたに違いない。
「ありがたい・・・」
なんとか左足を庇いながら馬に乗る。
「まって、待って、山姥切。どこに行くの?」
「こいつが乗せてくれる限りの、遠くまで」
「それじゃあ僕にはわからない。どこに行くか、ちゃんと教えて」
乱が追いすがると、少し間をおいてぽつりと答えた。
「神の加護を・・・乞うしかない」
それだけ言いおくと手綱を引き、小雲雀に先を促す。
「皆に、すまなかったと、伝えてくれ」
まるで、永遠の別れのような言葉。
「・・・いやっ!!そんなこと、絶対言わないから!!」
思わず怒鳴った乱に、山姥切はふわりとほほ笑んだ。
「頼んだ」
「山姥切!!」
乱の高い声が、虚しく木々の間を通り抜けていった。
「つまり、最初から刀剣を狙った襲撃だったと?」
本丸の奥深く、幾重にも潔斎された奥座敷で審神者は問うた。
いささか強引に本丸へ押し込められた審神者は、全身清められ、白を基調とした衣装を身につけている。
小さな輝石を組み込み複雑に結い上げられた豊かな髪は黒々として見るからに重たく、細い首で支えられるのか不安なほど、この少女神は小柄だった。
主、と、刀剣たちは呼び敬うけれど、それすら重荷でしかないのではないかと誰もが思う。
「私では、なかったのね」
「おそらくは」
最前に座した石切丸が、事の次第を語り始める。
「先ほど、薬研藤四郎が傀儡から採取した矢じりを持ち帰ったものの、なんらかの障りがあるのは間違いないので城外にて調査中。しかし、あちらの目的は穢れを持ち込むことこそに意義があったと思われるね」
門の近くでの戦闘ならば、迷わず負傷者を門の中へ入れてしまう。
それが最大の目的で、中から結界を崩そうとしたのではないかと言うのが、居合わせた刀剣たちの見解だった。
ましてや、今回の手合わせの顔ぶれはいずれも審神者の信頼が厚いものばかりだ。
「山姥切は・・・?」
山姥切。
この主に誰よりも寵愛された、刀剣。
「・・・彼は、燭台切光忠が放った小雲雀にて北東を目指しているはず」
「北東…。青龍の滝へ向かったと?」
この審神者の支配する地は、本丸を中心に東西南北に四神を守護とした社を領内境界線上に置き、空間の守りを固めていた。
とくに青龍の社は清流を擁した森の中にあり、さらに源流を求めて遡った山の奥深く神々しいばかりの滝が鎮座する、修験場にふさわしい岩山だった。
「境界線の外で、清めの力が強いと言えば青龍。しかもかの地は山伏と二人でよく修行に出かけていただけに一番馴染みがあるからね」
たとえ意識が朦朧としていたとしても、確実にたどり着けるはず。
「聞けば、手当ての一切をせず、矢の刺さったままの状態で小雲雀を駆ったそうね。山姥切に憑いた穢れはそこまで重いの?」
「乱藤四郎以外その場にいなかったから断定はできないけれど、山姥切の様子から事態の深刻さは一刻の猶予も許されないということ。領内に留め置けば、主を始め本丸およびここに属する刀剣たちに狂いが生じるほどの邪悪なものだと、彼は判断したのだと思う」
審神者と袂を別った『山姥切長義』と入れ替わるようにして顕現した『山姥切国広』は、『山姥切長義』の『写し』という形で生まれた特異な刀剣だった。
古来より日本には優れた存在を愛でて、その技術を写し取ることや新たな作品を生み出すことを良しとする文化が深く根付いている。そして時には『本歌取り』と言い、後から作られたもののほうが人の心をひきつける例も少なくない。
たがしかし、刀剣の付喪神として降臨した山姥切国広は、『写し』であることに引け目を感じ、常に劣等感を露わにしていた。
そして、己の存在意義を求めて危険な戦場へ出陣することをとくに希望し、戦いに明け暮れた。
どの役割に就いても率先して飛び込む彼は何度も大きな傷を負ったが、いつしか戦の場数においては比類なく、経験からくる知識と研ぎ澄まされた感覚は随一となり、総大将も安心して任されるようになっていた。
正直なところ、最初から敵の狙いは山姥切だった、と、石切丸は思っている。
矢じりに塗りこめられたモノの性質はとっくに検証済みで、本人を殺すためでないことがはっきりしているだけに厄介な話だ。
山姥切は死なない。
だけど。
毒は確実に彼を内側から変えていく。
薬研藤四郎と検証した結果、思いつく方策は一つしかなく、それを知ればなおのこと。
「とにかく、穢れを祓う間の立ち合いとして幾人か青龍の滝へ向かわせたいのだけど・・・」
遠征と本戦に力のある刀剣たちのほとんどが駆り出されてしまっている今、小雲雀ほどの足の速い馬はもういない。
残留組の中で機動力のある短刀たちを先に向かわせたとしても、変容してしまった『彼』を抑えることができるかどうか・・・。
「何人必要?」
「六人。…いや、最低四人でもいい。でも、今回いちばん避けたいのは本丸の守りが手薄になることだと、理解してくれるね?」
「あなたはどちらにつくの?」
「この分だと、君だね。僕と、蛍丸と、蜻蛉切と・・・。青江かな。君への守りは絶対に四人必要だ」
脇差の青江は霊力が強い。この布陣なら、もし敵がさらに本丸にも何かを仕掛けてきても全く歯が立たないだろう。しかし、青龍の滝に向かわせるとしたら乱、薬研、骨喰、燭台切、そして雑用で残っていた鳴狐と山伏の六人の中から選ぶしかない。
出陣中の刀剣たちの中で霊力に特化した者たちの組を特別な手段で呼び戻せば事足りるのだが、そうするわけにはいかない事情が一つある。
その霊力の強い刀剣を揃えた布陣の総大将が、太郎太刀であることだ。
彼を、今呼び戻すのは山姥切のためにも得策ではない。
「なら、あなたには山姥切の傍へ行ってほしいわ」
「いや、それは・・・」
「あのね、石切丸」
「うん」
「私ね。こういう時にこそ、運が強いの」
「・・・は?」
すっと、小さな審神者が視線を横に流しただけで、すかさず傍に控えていた蜻蛉切手を差し伸べ、彼女を抱え上げた。
「蛍丸がそろそろ落ち着いたころだから、ついてきて」
大太刀の蛍丸は前の戦いで多少の傷を負ったため、手入れの間で休息しているはずだ。
「どういうことかな?」
蜻蛉切と並んで歩きながら問うと、たくましい腕の中で目をつぶり身体を預ける審神者は、ぼつりと答えた。
「刀鍛冶をするわ。それも二口」
「え・・・?」
「今なら、多分、いけると思うの」
胸の前に組んだ細い指先は、羽織っている生絹の白い衣よりもなお白く、儚く見えた。
「遅かったね。待ちくたびれちゃった」
扉を開くと、幼い少年の澄んだ声が出迎える。
鍛冶場にはすでに蛍丸と鳴狐が待機しており、鍛冶師と三人でのんびりと茶を飲んでいた。
あまり広くない鍛冶場に審神者、そして彼女を抱き上げている蜻蛉切、成り行きを見届けに来た石切丸と燭台切が入り、一気に圧迫感が増す。
そんな中、いつもなら九官鳥のようにかしましい金色の狐は、いつにない状況にさすがに何かを察したのか珍しくちんまりと打刀の鳴狐の肩にうずくまったまま動こうとしない。
「早速始めたいのだけど、いいかしら?」
「いいけど・・・。二兎追う者のは・・・って、僕でも知ってるよ?」
「そこを攻略してこそ、覇者と言うものでしょ」
「はしゃ・なんだ、姫ってば・・・」
ふふふと、蛍丸が楽しげに笑う。
「ええそうよ。じゃ、行きましょうか」
蜻蛉切の腕から降り、炉に向けて手をかざしながら審神者は言い放った。
「まずは三日月宗近」
三日月宗近。
この本丸にまだ降臨したことのない、美しさでは比類のない名刀。
「・・・三日月宗近?」
石切丸は思わず聞き返した。
「なに?文句ある?」
「ああ。なるほど・・・。しかも二兎とは・・・」
実は三日月を降臨させるために今まで何度もかなりの資材をつぎ込んで試みたが、良い結果は得られなかった。それにもかかわらず目の前の少女は、己は運が強いというのだ。
「お手並み、拝見といきますか」
「そうよ。黙って見ていらっしゃい。そして、私の力の凄まじさに平伏することね」
不敵な笑みを浮かべた後、蛍丸を振り返る。
「蛍。お願いよ」
「うん、わかった。正念場だしね」
ふわりと蛍丸は微笑んだ。
「僕、山姥切の目の色、好きなんだ」
両手を炉に向けてしっかりと立つ。
「ちょうちょみたいだよね」
そう呟くと目を閉じ、集中し始めた。
「蝶・・・」
同じ言葉を口にした大太刀は、今、一番遠いところにいる。
石切丸は懐から守袋を取り出して握りしめ、炉の中で燃え盛る炎を見つめた。
乱藤四郎から預かったこの御守には小さな玉が入っている。
少し前に太郎太刀が霊験あらたかな山で入手した黄石を研磨し、幾重にも術を施したものだ。些細な欲も忍ばせてあるが、本来の目的は山姥切を守るための物。だがなんと山姥切本人が玉を通して太郎太刀に害が及ぶことを懸念したらしく、負傷してすぐに乱に預けたという。
つまり、山姥切は独りで闇と対峙することを選んだのだ。
このままでは、太郎太刀も立つ瀬がない。
「蜻蛉切」
「む?」
傍で審神者を全力で守り続ける男の前に守袋を掲げた。
「これ、君が身につけて」
一瞬目を見開いたが、蜻蛉切は軽く頷いてそれを首にかける。
「これで良いか」
「うん」
熊のように大柄な体格の蜻蛉切は素朴で心優しく、誰に対しても実直だ。
この局面で多くを問わずに従ってくれることは、大いに助かるし、力にもなる。
「そのまま後ろから主と蛍丸を抱きしめて、一緒に念じてくれるかな。そうでもしないとあのお方は来てくれないだろう」
名刀の誉れ高いだけに、扱いの難しい太刀だ。
「たしかに」
ふっと息を吐き出すように笑って、蜻蛉切は集中している二人の方へ手を伸ばす。
「ああそれと。鍛冶が成功したら、僕にそれ返してくれるかな。まだ使い道があるので」
「承知した」
三人の身体が触れ合った瞬間、炉の炎の力が一層増した。
「来たれ、三日月宗近」
審神者の、凛とした声が響く。
「我の招きに応じて、その姿を見せよ」
き・・・んと、耳の痛くなるような高音とともに、強い光が鍛冶場を包み込んだ。
「斎」
ひときわ高らかに、少女は宣じた。
か・・・ん。
空気が、はぜる。
「きた」
審神者の小さな呟きが、一番遠くで持した燭台切の耳にすらはっきりと届いた。
しゅー・・・・。
水煙がたちこめ一瞬視界を失うが、何者かが出現したことを、居合わせた者全員はみな気配で感じた。
言葉でたとえようもない尊い薫りと絹のさらさらという衣擦れが耳に届く。
「・・・そなたが我を呼んだのか。ふむ、このたびは随分と幼い主どのよのう」
光の中から現れたその姿は、優美。
「熟女がお好みとは知らなかったわ。ようこそ三日月宗近」
・・・本当に、土壇場での強運だ。
見物を決め込んでいた燭台切光忠は、内心舌を巻いた。
「花の魅力はそれぞれだ。そなたも十分美しいぞ、斎宮の君」
「ありがとう。気に入っていただけて嬉しいわ」
すっと背筋を伸ばした審神者が手を伸ばすと、古代から長い時を超え国の宝と称される太刀の付喪神は優雅に応え、その指に口づける。
「熱心なお誘いには弱いのだ。俺は情が深いのでな」
「その、情の深さを見込んでさっそく頼みたいことがあるの」
傲然と言い放つ少女に、指先を握り込んだまま目を見開いた。
「なぬ?」
「大変申し訳ないとは思うけれど、今、この城では急を要する事態が発生しているの。早速働いてもらうわ、三日月宗近。あなたの腕の見せどころ満載よ」
「・・・たいていの審神者は、俺がとうじょう顕現すると感涙して高座に配し、崇め奉るものだと聞き及んでいるのだが・・・」
能力においても他への追随を許さない三日月宗近は、滅多に降臨しない。
げんに、周囲の城でも彼を手に入れた審神者は皆無で、誰もがその名を憧れの気持ちを込めて口にしていた。
「残念。もっと早くに召喚に応じてくだされば、存分におもてなしもできたけれど・・・。そんな場合ではなくなったわ」
ばっさりと振り下ろす審神者に、三日月は一瞬の間をおいて爆笑した。
「ははははは!!これはずいぶんと面白い主どのだ。いやあ、勿体をつけすぎた俺が悪かった」
今まで勿体ぶっていたのか。
その場にいた誰もが心の中でため息をついたに違いない。
「後日、存分にして良いから、今は私に従って」
「御意」
名剣は、柔和な顔に笑みを含ませて頷いた。
「して?俺は何をすればよいのかな?」
「まずは、この本丸から北北東に位置する青龍の滝へ直接飛ばしてちょうだい。とりあえず、10人」
「青龍の滝?領外に10人?召喚直後でさすがにそれはないだろう」
「あら?無理なの?三日月宗近ともあろうものが」
相変わらずの上段の構えに、審神者を抱いたままの蜻蛉切の顔色が化粧を施したかのように白くなりつつある。
以前、この審神者の態度にいたく立腹した刀剣が袂を別った。
それは、備前長船長義作の『山姥切』。
山姥切国広の本科としても知られる名刀だ。
「むりだな。今の俺は生まれたてのひよこも同然。3人にしよう」
「なら、8人」
「いやいや、せめて4人」
「わかったわ、6人。これ以上は譲れない」
「・・・うむ。6人ならなんとか」
「商談成立ね」
「初対面でいきなり商談とはな・・・」
さらっと幕を下ろした少女に、さすがの三日月も笑うしかないようだ。
「ご協力感謝するわ。でもね、実を言うとあなたの初仕事はそちらではないの。さあ。こっちに来て近侍を蛍丸と交代して頂戴」
「はあ?」
驚きの声を上げたのは三日月一人で、蛍丸はすんなり審神者から離れる。
「み、みみみ。みがづぎむ゛ね゛ぢがざま゛・・・」
異様な声に一同が目を向けると、鳴狐の肩に乗っているお供の狐が全身をぷるぷると震わせていた。
「わ、われは使いの狐。よ、よろしくおたのみ、おたのみ・・・」
緊張のあまり、いつになく消え入るような声で名乗りを上げている。いや、今にも気絶しそうな様子で、いつもは無表情の鳴狐が慌ててその身体を支えた。
「要するに、鳴狐と力を合わせて小狐丸を召喚してほしいの、今すぐ」
小狐丸もたやすく現減出来ないことで知られた名剣である。
三日月宗近同様、この本丸で今まで何度も刀鍛冶を試みては失敗し続けていたのは、周知の事実だ。
「・・・ほんに、この主殿はおもしろすぎる・・・」
ぽつりと落とされた感想に、付喪神一同、同意と同情の念を送った。
-つづく-